FC2ブログ

帯広畜産大学

北海道・十勝平野。その真ん中にある帯広市。そこに帯広畜産大学は
あります。国立大学です。地元では「畜大」(ちくだい)。

本部校舎は三階建て。伝統ある様式。本部校舎だけでなく実習棟、研究棟。
そして外来で動物を診察してくれる動物医療センター。
広い敷地にいろんな校舎が建物が点在。

畜大ができたのは戦後すぐのこと。十勝といういかにも北海道らしい場所に、
畜産を専門とする国立大ができたのは、当然の成り行きでした。

共同医学獣医過程。ここは獣医学ユニットのみ。獣医を養成する学科。

畜産科学課程。ここはいくつかのユニットに分かれます。

生命科学ユニット 家畜生産化学ユニット 食品科学ユニット
環境農学ユニット 農業経済学ユニット

まさに「畜産学」「生命学」「農学」「植物学」全て
カバーしようとする気迫が学科構成からも窺えます。

乳牛の疾病を分子レベルで解明しようという研究。
リサイクルして家畜飼料を生産しようという研究。
植物が本来、持つ力を発揮させる栽培方法の研究。
マーケットから農業・社会の関係を見ていく研究・・・

畜大の研究テーマは多岐に及んでます。OBにカルピスや雪印乳業の
社長が名を連ねてるのも、なるほど。とはいえ、これらの研究は総合大の
獣医学部、農学部でも、できない研究ではありません。

というより、広い視点に立てるという点では、総合大の方が、
より有利とさえ言うこともできます。

畜大には「畜産」に特化した、もっと深く突っ込んだ研究が、
必要ではないでしょうか?

そう。畜大に今、ホンとに必要なのは畜産を支える「哲学」へのアプローチ。
これを抜きに、いくらテクニカルな研究を進めてみても、
総合大と変わらない成果しか出て来ないでしょう。

畜産業。これは家畜の殺生の上に成り立つ産業。大型動物ならば、
人間と全く同じでないにせよ、感情を持ちます。けれどエサを与えられ、
太らされ、殺される彼ら。

古代から続いてきた、この産業。何を今さら。

けれど肉食文化に家畜たちの悲鳴がベッタリくっついていることを
否定できる人はいません。ですが「今までやってきたんだし」という
ことで、なんとなく今も行われてます。

おいしいステーキやハンバーグ。でも、その蔭には殺された家畜たち。
畜産家なら誰でも、天塩にかけて育てた家畜たちに、自分の愛情が
移っていくこと、家畜たちも、こちらの愛情にキチンと応えてくれることを
知ってるでしょう。

しかし一定の時期が来ると、ムリヤリ彼らを処分場に送り、変わり果てた
肉の姿で帰って来た、その商品を手に、ニッコリ写真に収まって、
消費者にアピールする畜産家。

人間は土地を求めて争い、そのための殺し合いを古代から続けてきました。
けれど、そういう殺戮(さつりく)を、今ようやく、やめつつあります。

人間は自分と同じ形をした人間の一部を「奴隷」として扱い、
好きなように使用することを、古代から続けてきました。
けれど、そういう使用を、今ようやく、やめつつあります。

次は動物に眼差しが注がれるのではないでしょうか?
何百年かかるか分からないけれど、育てて、殺して、食べるという
畜産業を人間がやめ、動物は動物の生態に任せること。

おいしいハンバーグやステーキなど、今ですら、代替材料でいくらでも
作ることができます。要するにやる気の問題でしょう。

畢竟(ひっきょう)、家畜に限らず、現代、動物の扱われ方は、
昔の人間奴隷に劣らずヒドイものです。殺される家畜。実験に使われる動物。
動物園に閉じ込められる動物。

私が住んでる横浜には「ズーラシア」という大きな動物園。横浜市が至る所で
宣伝してる大きな動物園。けれどシロクマ・コーナーに行けば、体を前後に
動かす同じ動作を繰り返し、頭を左右に振り続けてるシロクマ。

どう見ても精神に錯乱をきたしてます。本来は冷たい海を颯爽(さっそう)と
泳ぐはずのシロクマがこんな場所に閉じ込められてるのですから、
ムリもないでしょう。私たちが一生、三畳くらいの部屋に
押し込まれてるのと変わりありません。

ですが、そのシロクマを見て、横浜市民も動物園・関係者も
なんとも思わないようです。動物園・関係者の中には、
獣医もたくさんいるはずなのに。

引率に来た小学校の教員は、シロクマ・コーナーの前で、子供たちに、
何を語るべきでしょうか? その内容は決して、北極の気候であったり、
シロクマの生態についてでは、ないはずです。

さあ、畜大。こうした人間、動物の関係を本質的に問う哲学を、社会に
対して提示し、問いかけ、今後の議論の材料にすべきではないでしょうか?
それでこそ、畜産に特化した国立大学の面目躍如では?

動物医療センターでは、ペットに必死の延命を行いながら、
肉畜処理施設では、大型動物を次から次へと処分してるこの矛盾。
畜大生の誰ひとり、この風景をシュールとは思わないのでしょうか?

でも、そんなことしたら、畜大の存在そのものが
危うくなるじゃないですか? 畜産業がなくなったら?

およそ、この世の言説で「自己批判」「自己否定」のモメント(契機)を
含まない言説に、力も刺激もありません。国立大の存在がどうのこうの、
と言う前に、もっと根本的な問いかけをしてみるべきです。

よしんば、それで畜大の立場が危うくなっても、自らの立場を危うくして、
生命の問題に切り込んだ大学があった、ということは、多くの人々の
記憶に残るでしょう。

そして人間、動物の残酷な関係が今より少しでも減っていく時、
比例して、人間は今よりも少し優しく、少し礼節ある存在になれると
私はいつも考えてます。一体、そこまでの「自己否定」を
畜大に求めるのは理不尽でしょうか?

青
blue

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

ゆめラジオ

Author:ゆめラジオ
ユーチューブとリンク

リンク
最新記事
最新コメント
カテゴリ
アクセスランキング
[ジャンルランキング]
学校・教育
128位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
塾・予備校
12位
アクセスランキングを見る>>
カレンダー
04 | 2021/05 | 06
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -
検索フォーム
月別アーカイブ