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アテルイ

八世紀・前半まで、奥州は「蝦夷」(えみし)と呼ばれる人々が支配。
朝廷と関係なく、自治を展開。奥州に産出する貴金属。豊富な農産物。
それらを大陸と交易し、莫大な富を蓄積。

後に平安期、奥州藤原氏が栄華を誇りましたが、既に八世紀、その繁栄は
始まってました。その豊かさに、目をつけた朝廷。七世紀・半ばから、
奥州に蝦夷でない人々を入植。「柵」と呼ばれる砦を、各地に建設。
多賀城も完成しました。蝦夷にとって、朝廷の脅威は見過ごせません。

これより後、前九年の役も、そうでしたが、決して、蝦夷から戦いを
しかけてません。いつも、朝廷や国司から、蝦夷を挑発。今、
東北地方を考える時、私たちは、この事実を覚えておくべきです。

何度かの蝦夷の反乱。これは、朝廷に、格好の口実。延暦八年(789年)、
桓武天皇は、五万の兵を奥州に派遣。奥州の「平定」にのりだします。

この時、朝廷軍を迎え撃った若き武将こそ、アテルイ。今に伝わる、
奥州の英雄。副官モレと共に、朝廷軍を待ち受けます。

朝廷の前線軍は、五千。一方、アテルイ軍は千五百。けれど、地形を
よく知るアテルイ軍、近代戦と見まごうばかりのゲリラ戦を採用。

まず三百の精鋭部隊で、朝廷軍をおびき出します。そして、一旦、退却。
朝廷軍が深追いしてきたところを、北上川の東から、二手で挟撃。千二百でも、
十分な数。朝廷軍は前、右、後を固められ、進軍は完全にストップ。

逃げる場所は、西の北上川しか、ありません。次々と水面に飛びこむ朝廷軍。
けれど、鎧が重くて、泳げません。溺死が相次ぎます。アテルイ軍、
ほとんど犠牲を出すことなく、大勝利。蝦夷の士気は、上がりました。

八年後の延暦十六年。都が、平城京から平安京に移った後、朝廷は再び、
十万の兵を奥州に向け、送りだしました。この時の詳しい記録は
残ってませんが、アテルイ軍は、やはり朝廷軍を撃退。

そして、三度目の遠征。延暦二十一年。この時の朝廷軍リーダーは、
坂上田村麻呂(さかのうえの たむらまろ)。なぜかアテルイ軍は降伏し、
田村麻呂はアテルイ、モレの助命を約束して、和解。奥州は平定されました。

なぜ蝦夷が降伏したか、そもそもどんな戦いだったかは、不明。けれど、
田村麻呂。戦う前から周到な準備。数年かけて、蝦夷・部族長を懐柔。
最新の武器を供与。農業技術も提供。希望者には、朝廷への参内も、
許したとか。ここまでされて、蝦夷・部族長も、田村麻呂にメロメロ。
部族が一つ、また一つとアテルイから離れます。

そして、アテルイの降伏。田村麻呂は助命を約束。けれど、朝廷。しょせん、
蝦夷など人と思ってません。いつ謀反を起こすか分からない存在。
アテルイ、モレの処刑を断行。日本史の英雄・坂上田村麻呂は、
結局、東北人には、トンデモナイ裏切り者。

この気持ちは、アテルイへの追慕と同時に、復興が全く進まぬ今、
東北人の心の奥深くに、脈々と受け継がれてます。

ぶどう
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