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札幌医科大学

1950年(昭和25年)に道民の期待を担って設立。新しい大学だっただけに
医学部・特有のしがらみがなく、優秀なスタッフを抜擢する雰囲気。
そこへ和田寿郎(わだ じゅろう)が助教授として赴任してきたのも、
運命だったのかもしれません。

和田は北大・医学部を首席で卒業。アメリカ・ミネソタ大学に留学。
最先端の心臓手術を学びました。ところが帰ってきた和田に、
北大はポストを用意しませんでした。優秀すぎたのでしょう。
彼は札幌医大で医師としてのキャリアをスタートさせます。

三十六才の若さで教授に就任。彼の技量は周囲の認めるところ。
ところが先端技術を知る和田にとって、部分治療に
すぎない心臓手術には限界があるように思えました。

いっそのこと、心臓全部を移植できればいいのに。
その技術もあるんだ。

和田の思いは強まります。ただし心臓移植は、世界でも三十例ほどしか
行われてませんでした。和田が四十六才の夏がやって来ます。
働き盛りでした。1968年(昭和42年)8月8日、ちょうど今頃。

真夏の暑い日。小樽の海岸で大学生が溺れたという知らせが入りました。
大学生の体は近くの病院から札幌医大に搬送。8日夜のこと。
和田は容体を見て、即座に心臓移植を決意。
移植を待ってる高校生がいたのでした。

和田は大学生の家族に脳死状態であることを告げ、
ドナーとして心臓を提供することを勧めます。
日本初の心臓・移植手術。

やれるのは、私しかいない。

和田は拳を握りしめます。家族には最善を尽くすことを誓ったでしょう。
最終的に家族も同意し、翌9日午前1時過ぎから日本初の
心臓・移植手術が始まりました。深夜に始まった手術は
未明に終わり、同日のうちに発表。

1968年8月9日の手術場面:毎日新聞社提供
1968年8月9日午前1時

手術後、高校生は無事に意識を取り戻しました。日本中の目が
札幌医大と和田教授に集まり、快挙を称えました。
「二人の死より一人の生」そんな見出しが新聞に。

ところが十月、高校生の容体が急変して死亡する事態となり、
思ってもみなかった疑惑が持ち上がります。提供した大学生も、
移植を受けた高校生も、手術の必要など、
なかったのではないかという疑惑。

札幌医大は騒然。もしこの疑惑が事実なら、和田は二人の若者を
不要に殺したことになるからです。大学生については、搬送した
救助隊員と最初に所見した医師が、脳死ほど重篤な状態では
なかったと証言。

高校生についても主治医が、そもそも移植手術を受ける状態では
なかったと指摘。和田は窮地に立たされました。最終的には
手術の際に摘出された高校生の心臓が、裁判の争点に。
ところが、心臓はなぜか行方不明。

数カ月か後に発見された時には、数カ所に穴が空けられていて、
摘出時の状態を再現することは不可能。最終的に和田は不起訴処分。

今、日本で心臓提供を待ってる人は約五百名。ですが心臓・移植手術は
年間、数件程度。患者たちは海外に行くことを余儀なくされてます。
海外では当たり前となった心臓移植手術は、日本では
和田事件によって完全にストップしたからです。

札幌医大の教員、学生は、自分たちの場所で起きたこの事件を
どう捉え、どう明日に生かそうとしているでしょうか?

和田はその後、東京女子医大に転勤。しかし彼を見る目はいつも
事件に関するもの。そんな和田も今年二月に亡くなりました。
「自分は正しいことをした」と最後まで主張して。
誇り高い医師でした。

ドナーの家族も、高校生の家族も、一人として私を責めたことはない。

最後まで、そう言ってたそうです。

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ほんとうに誰も彼を責めていないのでしょうか。
疑問です。
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