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ポスト構造主義の後

ソシュールが「一般言語学講義」で「言語とは体系(システム)である」と
主張してから、構造言語学が始まりました。言語を構造と捉え、そこには
要素の関係しかない、と主張した構造言語学。

それまでの、ものしり言語学は退場を命じられ,
「サイエンス」に値する客観的な言語学が誕生。

構造言語学が花開いたのがプラハ。プラハ学派の旗手ヤコブソン。
ユダヤ人だった彼はナチス台頭により、欧州にいられなくなり、
アメリカに渡ります。大西洋での船上、彼は人類学者
レヴィ・ストロースの知己を得ます。

ヤコブソンはレヴィ・ストロースに「構造」という概念を伝授。
レヴィ・ストロースはそこから着想を得て、構造を人類学へと当てはめ、
一見、無作為に見える原始社会の人間関係が、実は個人の関係によって
成立する、構造の無数の網の目であることを立証。
それは「構造人類学」となって結実。

レヴィ・ストロースの著作が契機となり、言語学だけでなく、哲学、社会学、
人類学を含む壮大な構造主義が誕生。個人と社会との関係を
構造という観点から見る哲学。

やがて二十世紀・後半、「抑圧」という観点から、構造を批判する人たちが
現れました。彼らは個人が構造に組み込まれた瞬間、
構造は個人を抑圧し始めると主張。

この理論は、他に良い呼び名もなかったので「ポスト構造主義」と
呼ばれました。ポスト構造主義によると、構造が成立した瞬間に、
構造は抑圧装置に変わります。

それ故、構造を絶えまなく、ずらし、抑圧の契機をその都度、摘み取って
いくことが大切だとポスト構造主義の面々は説きました。このように、
構造を絶えまなく、ずらしていくことを、デリダは「脱構築」
(デコンストラクション)と命名。

折しも、ソ連・消滅によって、共産主義の終焉、資本主義の勝利が
祝福された時代。資本主義の絶えまない変化、差異の無限増殖を
説明する時、ポスト構造主義の理論は非常に有効。
一世風靡しました。

けれどポスト構造主義。デコンストラクションによって抑圧をなくすのは
良いとして、一体、どこへ向かって、ずれていくのでしょうか?
そのずれに主体性はあるのでしょうか?

現代社会が変化して(ずれて)いく方向を、予想・計画することはできません。
予想・計画できないからこそ、自由が保証されます。デコンストラクションを
標榜することは、予想・計画を放棄すること、つまり理性を放棄すること。

一方、高度に発達した現代社会で、理性なしに生きていくことは
できません。現代社会を営むためには、理性なしには不可能。
ここに大きな矛盾が生じます。

この矛盾に突き当り、ポスト構造主義の面々は沈黙。そして今、
ポスト構造主義の無力を後目に、世界のあちこちで、
なんと保守主義、民族主義が台頭。

自分が生まれた場所を大切にしよう、民族に誇りを持とうという哲学。
まるで二十世紀・前半の趣き。ハイデガーかと見間違えるほど。

二十一世紀になって数十年。ポスト構造主義の後、新しい哲学が
出てこない間、先祖返りのように保守主義が勢力を伸長。
この先祖返りが、良いことか、悪いことかは、
今はまだ判断できません。

波
infinity

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