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小樽商科大学

小樽にある商科大学。札幌から電車で一時間ほど。地元では「商大」
(しょうだい)と呼ばれてます。商科の単科大学は、
全国でもここだけ。戦前は小樽商業高等学校。

小樽商大は歴史的に言えば、東京商大、神戸商大と比べ、官立でなく
公立であったことから、低く見られていました。しかし戦前、
北大・文系学部がなかったこともあり、北海道の文系秀才を
引き付けます。商大に進学し「拓銀」(北海道拓殖銀行)に入行する
というのが、当時の北海道・受験生の夢でした。

その夢を文字通り、体現したのが小林多喜二(こばやし たきじ)。
小樽商大を語る時、この人を抜きに語ることはできません。
多喜二は商高(現・商大)を出た後、エリート・コースの拓銀に就職。
そのままいれば、恐らく安楽な生活が待っていたことでしょう。

ところが行員時代、とある酒場でタキという女性と巡り逢います。
当時、酒場の女性がどういう役割を果たしていたか、今ではすぐに
見当がつくでしょう。タキは十三才で酒場に売られ、
その道で生きてました。その彼女に多喜二は一目ぼれ。
三日を空けずタキのもとに通うようになります。

やがて多喜二はタキを身受け。事実上の妻として迎えます。
多喜二の家族もタキを暖かく受け入れました。しかしタキは
自分と多喜二との格差を超えることができませんでした。

結局、結婚生活は一年と続かず、タキは多喜二のもとを離れます。
多喜二はその後、 日本共産党の選挙運動を手伝うようになり、
政治活動に没頭。当時、貧しき者に心寄せる優しいエリートなら、
自然の成り行きでした。そして特高警察による党員弾圧に憤り
「1928年3月15日」という小説を書き、拷問を克明に描写。

これが特高の逆鱗に触れます。多喜二は東京に潜伏してたところを
密告により逮捕。その日のうちに築地署の拷問で死亡。
右手の指は執筆できないよう全て折られてました。

あんちゃん、どげにキツかったろなあ。

母親は泣きながら多喜二の体にすがりつきました。
取り囲む友人たちの沈痛な表情は、あまりにも痛々しいものです。
冷静に考えれば、多喜二の無残な写真が残っていることは奇跡としか
言いようがありません。特高としては自分たちの悪事を歴史に
残すことになったからです。

さて小樽商大。戦後、北大に文系学部が設立されたことにより、
その地位も相対的に低下。さらに東京・一極集中で、北海道の秀才が
東京を目指すようになり、ますます苦戦。皆の憧れだった拓銀も
1997年(平成9年)に破綻。北海道の地盤沈下は止まりません。

伝統ある小樽商大こそ、北海道を再び活性化する役割を担ってます。
文系学部に特化した小樽商大に、その力がないはずありません。

小樽運河2
Otaru Canal

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