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ギリシア、デフォルトの可能性

四年ほど前から、グダグダと金融危機を続けてきたギリシア。
その度、EUは支援。つきあい続けてきました。

けれど、EUは先週末、もう金融支援しないと決定。
このままでは、月末の明日に控えるIMFへの債務を払えず、
ギリシアはデフォルト(債務不履行)。

今後、EUが態度を変えるとは考えにくく、
今度ばかりは、デフォルトが現実となりそうです。

今日、東京市場は400円以上、下げて始まりました。
これから、もっと下がると私は予想します。

ギリシアがデフォルトしても、日本に大した影響はないと
主張するエコノミストもいますが、私は真逆の予想。

今週のマーケットを注視しましょう。今、相場を張ってる人は、
長期保有でない限り、細心の注意が必要です。

緑
early summer

二〇三高地

遮蔽物ない丘の頂上に、敵軍が強力な陣地を構築。そこに友軍の歩兵が
突撃だけで前線突破を試みれば、どうなるでしょうか。

機銃掃射され、死屍累々となるのは明らか。二〇三高地で起きた戦闘が、
まさにそれ。日本兵の死体で、足の踏み場もないほど。
まさに高地が血で染まりました。

二〇三高地だけでなく、明治三十七年・八月末から始まった
旅順作戦では、全体的に、白兵戦が用いられました。

本来なら、敵軍が強力な陣地を構築したなら、こちらも陣地なり、
塹壕なりを作り、それを着実に進めていく形で、前線突破するのが、常道。
司令長官・乃木希典(のぎ まれすけ)も、その方針でした。

けれど、背水の陣で臨んだ日露戦争。帝国陸軍に余裕はありませんでした。
弾薬、装備、全てが不足。それを補うための人命損傷なら、やむを得ない、
という思想が蔓延。一度の総攻撃で、何千名の戦死者が出ても、
第三軍は突撃をやめませんでした。

死を覚悟した日本兵の気迫はすさまじく、堅牢な要塞を構えたロシア兵も、
機銃と手だけを上に出して、迎え撃ちました。バタバタ倒れながらも、
友軍の屍を踏み越え、進む日本兵。

ロシア軍の装備も完全では、ありません。撃ちまくってれば、弾丸も
尽きてきます。しかも戦闘の途中から、帝国陸軍が導入した二十八サンチ砲。
航空兵力がなかった当時、空から降ってくる大きな砲弾は、効果的。
ロシア軍・陣地は、少しずつ破壊されていきました。

結局、帝国陸軍は、白兵戦でロシア軍・陣地まで辿り着き、
そこで凄惨な取っ組み合いの結果、二〇三高地を落としました。
二〇三高地を手に入れれば、そこから二十八サンチ砲を旅順港に
打ち込めば、ロシアの旅順艦隊は無力化できます。

二〇三高地の勝利が、その後の奉天会戦、日本海海戦の勝利を導いた
わけですから、その意義は、大きいものでした。けれど帝国陸軍の中に、
白兵戦・至上主義、人命軽視の風潮を根づかせることにもなりました。

いざとなったら、白兵戦をやれば、敵はビビッて逃げる。

この奇妙な驕りが帝国陸軍をつけあがらせ、数十年後、大東亜戦争でも、
同じ作戦を繰り返しました。このようなものは、作戦とは呼べません。
しかも太平洋で対峙したアメリカ軍。白兵戦の通じる相手では、
ありませんでした。

ガダルカナルで、ニューギニアで、ビルマで、フィリピンで、無謀な突撃が
繰り返され、あたら若い命が失われました。迎え撃つアメリカ軍・司令官は、
どうして日本軍は、こんなバカな戦法を取るのだろうと、訝ったほど。

日露戦争に話を戻しましょう。戦争が終わり、ポーツマス条約が結ばれ、
晴れて日本に凱旋した乃木大将。国民から熱狂的な歓迎を受けました。
けれど何万名もの兵士を死なせての、帰国。乃木は。

われ、何の顔(かんばせ)ありてか、諸子にまみえん

明治天皇・崩御の際、妻・静子と共に自死した乃木大将。その胸中には、
あんな戦い方をして、申し訳なかった、というメッセージが込められてました。
けれど、乃木大将・自死の報を聞いても、その意味をホンとに理解し、
これからの戦争では、友軍の人命損傷をできるだけ少なくしようと、
考える陸軍軍人は、ほとんどいませんでした。

流れ
stream

雙葉高校(6)

月曜・一限、新宿の国立クラス。雙葉生が休まず、出席。
クラスを引っ張ってます。

それなりに実力者が揃った、このクラス。当たるのは彼女だけでは、
ありません。けれど、どの人も、当てられて「予習してません」と、
ならないのは、さすが。その積み重ねが、結果をもたらします。

久しぶりに、実力ある雙葉生が新宿教室に現れました。けれど、
偏差値が少しくらい上がったくらいでは、喜べません。切磋琢磨を
続けましょう。ライバルと競うために、塾があります。

伊丹空港
future

応仁の乱

八代将軍・足利義政(あしかが よしまさ)は、政治家というより風流人。
文化への造詣は並々ならぬもの。彼が設計に関わった慈照寺(銀閣寺)は、
日本文化の本質を形にしようという、芸術家・気質の集大成。

とはいえ、政治はサッパリ。三十才になる前、「山の庵で夜雨を聞きたい」と
言いだし、将軍職・後継を画策。妻・日野富子に子がなく、
出家した弟を還俗させ、九代将軍に、ともちかけました。

この弟が足利義視(あしかが よしみ)。彼は後継を了承。けれど義視が
了承した途端、富子が男子を出産。対立が生じました。

義視の後見に細川勝元。富子の背後に山名宗全。
同じ頃、畠山氏、斯波氏といった大名でも、後継問題が浮上し、
その度に細川、山名が対立。

応仁元年(1467年)、細川が御所の東、山名が御所の西に陣を構えました。
京都の「西陣」という地名は、この時、山名が陣を構えたことに由来します。

八代将軍・義政は当然、弟・義視の正当性を主張。最初は東軍、有利。
けれど長門、周防の大名・大内政弘(おおうち まさひろ)が、
大船団を率いて西軍・山名に与力。今度は西軍、有利。

大内がついた西軍、有利と見るや、弟・義視は、細川を裏切り、
山名に寝返りました。兄・義政は激怒。しかも今度は、富子が細川に
寝返ったため、応仁の乱は、途中で敵、味方が入れ替わる展開に。

誰が誰と戦ってるのか、分からなくなり、しかもメンツにこだわって、
停戦を言いだせず、戦いは継続。京は焼け野原になりました。御所の
内裏まで焼けたというのだから、その破壊が知れようというもの。

誰が勝ったともなく、戦いは十一年後に終了。引き上げる時には、
どの大名も、一日で京を後にし、国に帰りました。結局、九代将軍は、
嫡男・義尚(よしひさ)。富子の主張が通りました。

けれど義尚。早くから酒を覚え、使いものになりません。二十五才で没。
十代将軍は、義視の子・義材(よしき)に。何のための応仁の乱だったのでしょうか。

とはいえ室町幕府。信長によって滅ぼされる天正元年(1573年)まで、
もちこたえます。これだけの乱があっても、一世紀、継続できたのは、
室町幕府に、精緻な官僚機構があったからに他ありません。

森の池
nature

弘安の役

最初の蒙古襲来を「文永の役」(ぶんえいの えき)と呼びます。この時、
鎌倉幕府の武士は、一騎打ちで戦おうとしますが、蒙古軍は集団戦法。
武士が名乗りをあげ、口上を終えぬうちに、その頭上に火矢。
幕府軍はさんざんに、蹴散らされました。

ところが蒙古軍。たった一日で博多を去り、みな、あっけにとられました。
蒙古としては、軍事力を見せつけ、日本に服属を要求する
手はずだったと思われます。

ところが八代執権・北条時宗。一度ならず二度までも、服属要求を
はねつけ、文永の役から七年後、弘安の役(こうあんの えき)に至りました。

この時代、ユーラシアに巨大帝国を作り上げた蒙古には、服属した国が、
ほとんど。鎌倉幕府のように、最後まで抵抗した国はエジプト・マムルーク朝くらい。
この時代の日本人、今と違って国防の気概があったと言えるでしょう。

とはいえ、弘安の役。文永の役に数倍する蒙古軍を相手に、勝ち目ないと
思われました。ところが幕府軍。今回は、蒙古軍の戦法も、ある程度、研究。
ゲリラ戦に徹しました。戦いは一進一退。

そして、やって来た八月の台風。蒙古が神風で去った、
というのは、弘安の役を指します。

結局、日本は二度の蒙古襲来を自力で撃退した形になり、いつしか
日本人の心に「日本には神風が吹く」という信念が宿るようになりました。

二十世紀、二〇三高地を駆け上がった歩兵、アメリカ空母に突っ込んだ
飛行士の心には、「神風」があったはずです。けれど日露戦争はともかく、
アメリカ相手の戦争で、神風は吹きませんでした。

鎌倉時代、台風が蒙古軍を蹴散らしてくれたことは、七百年後、
日本がアメリカに蹂躙される悲惨を準備した、と言えるかもしれません。

紫
Geschichte

二月騒動

文永九年(1272年)、鎌倉幕府は予想される蒙古襲来に頭を痛めてました。
八代執権・北条時宗の時代。日本に開国を迫る蒙古・使者に対し、
幕府は返書しない方針を決定。

ところが京の朝廷は返書すべき、と主張。これは朝廷独自の思案というより、
幕府への反抗の現れ。半世紀前、承久の乱で、朝廷は幕府にコテンパンに
やられましたから、蒙古襲来を期に、幕府を揺るがそうという思惑が
あったわけです。

当時、京の六波羅探題・南方に務めてた北条時輔(ほうじょう ときすけ)。
時宗の兄でありながら庶子だったため、こんな閑職。
もちろん朝廷は時輔を取り込もうとします。

そして起こった二月騒動。鎌倉で北条・得宗家への謀反が発生。
執権・時宗は徹底的に鎮圧すると同時に、以前から反抗的だった
京の反対勢力にも圧力をかけました。その過程で、兄・時輔も討死。

二月騒動で、鎌倉の反・時宗派は一掃され、京の朝廷も震え上がりました。
二年後の文永十一年(1274年)、博多にやって来た蒙古。この時、鎌倉幕府が
曲りなりにも一枚岩で対処できたのは、二年前の二月騒動の結果、
反対勢力を一掃し、政権を固めていたからです。

クローバー
histoire

足利義教

室町幕府の六代将軍・足利義教(あしかが よしのり)について、
高校・日本史では、ほとんど扱いません。けれど、歴史的には、
重要な意味を持つ将軍です。

当初、ガタガタしてた室町幕府も、三代将軍・義満の時代、ようやく安定。
義教が六代将軍に就任した頃、京都には華やかな文化が漲ってました。

義教は父・義満の支配方法を踏襲し、権力の一元化を進めました。
その過程で、多くの守護大名の内紛に介入。敵も作りました。

幕府が充実するにつれ、常備軍も編成。義教の時代、
およそ一万人が、常備軍として待機しました。

常備軍を編成するには、堅固な官僚制度が必要。この官僚制度と
常備軍をもって、世界史では「絶対王政の誕生」と教えます。

世界史で絶対王政とは、イギリス・チューダー朝、フランス・ブルボン朝を指し、
十六世紀から十七世紀。ちょうど日本史では、戦国時代から
江戸時代への過渡期。

十四世紀の時点で常備軍を揃えた足利義教。その国力の充実ぶりは、
西洋を二世紀、先行したものとして、もっと強調されるべきでしょう。

けれど義教。敵を作りすぎました。最終的には、四職の一つ、
赤松氏に討たれ、志半ばで斃れました。

青
June

義経の腰越状

江ノ電・腰越駅(こしごえ えき)を降りて、しばらく歩くと満福寺。
鎌倉へ入ることを許されなかった義経は、ここで兄・頼朝に対し、
許しを請う「腰越状」を認めます。

自分に悪気はなく、粉骨砕身、源氏のために働いてきたことを、
切々と訴える腰越状。けれど頼朝にとって、そんな手紙は、
ほとんど意味ありませんでした。

武士の世では、主君の許しなく官位を授かることは、第一にやっては
いけないこと。けれど義経は、後白河法王から検非違使の官位を
提示されると、ホイホイと乗ってしまいました。

自らの官位・受諾が頼朝の機嫌を損ねると知っても、義経は官位を
返上しませんでした。腰越状を書いた時も、義経は検非違使の高位。

もちろん義経としては、自分が高位に位することは、源氏の誉れであり、
それは頼朝も喜ばせるはず、という感情があったのかもしれません。

けれど序列が何より大切な武士の世で、そんな感情は通用しません。
頼朝から再三、警告があったにもかかわらず、義経は結局、
自由にふるまいました。悪気があろうと、なかろうと、
その行動は頼朝に許されるはずありませんでした。

結局、頼朝は腰越状に返事を書かず、それどころか京へ帰った義経に、
刺客を派遣。ここに至って、義経は頼朝の真意を知り、反旗を翻しました。

とはいえ、政治力ない義経。彼の呼びかけに従う武将など、いません。
義経は頼朝によって命を狙われ、ついに平泉で自害。軍事力はあっても、
政治力がまるでなかった義経は、武士の世で生き残れませんでした。

青い蝶
purity

観応の擾乱

観応の擾乱は、足利尊氏が征夷大将軍となり、室町幕府を開いてから、
十年ほど経った時、起こりました。「かんのうの じょうらん」と読みます。

「擾乱」とは通常の乱より、規模が大きいものを指す日本史の用語。
確かに、この時の乱はすさまじく、室町幕府は早期に倒れる、
という観測が世に流れました。

室町幕府は足利尊氏、直義(ただよし)兄弟の二頭制で出発。
兄・尊氏は軍事、弟・直義は政治を担当。それぞれの得意分野を
分担し、兄弟の絆で新しい武士の世を作ろうと試みました。

けれど二頭制は、仲良し兄弟だった二人にも、対立を生みました。
これが観応の擾乱。もともとは弟・直義と、尊氏の股肱(ここう)の臣、
高師泰(こうの もろやす)高師直(こうの もろなお)兄弟の対立。
大規模な戦いとなりました。最終的には直義が勝利し、
高兄弟を殺害。尊氏も囚われの身。

朝廷は当時、尊氏が推す北朝と、後醍醐天皇の南朝に分裂。
政治力、軍事力では圧倒的に北朝の有利なのに、南北朝時代が
六十年間も続いたのは、観応の擾乱に見られる、北朝・内部の
対立があったからです。

弟・直義の一方的勝利。尊氏は高兄弟を殺された敗軍の将。
なのに尊氏、戦いの後に開かれた評定では、幕府の正当性は
自分にあると主張。勝利したはずの直義も、その部下も、
尊氏の気迫に押され、何も言い返せませんでした。

そも、征夷大将軍は誰ぞ。

尊氏のこの言葉が決め手となりました。尊氏の人間力が直義を圧倒。
直義は北朝を離れ、なんと南朝方に。しかし直義。この後、
尊氏によって毒殺され、二頭制は終了。武士の世では、
やはり二頭制は長続きしませんでした。

この後、室町幕府は尊氏の嫡男・義詮(よしあきら)、孫・義満(よしみつ)へ
受け継がれ、三代将軍・義満の時代、ようやく安定しました。

緑湖
Bruecke

東京女学館高校(5)

一学期、渋谷教室に来てた女学館生は三名。Cタームから増えて、
なんと四名に! 毎年、女学館生は来ても一名、いるか、いないか。
今年の勢いは注目に値します。

毎回、授業後に行われる過去問演習。そこでも安定した点数を
取れるようになってきた女子たち。英語の勉強が、
おもしろくなってきたのでは、ないでしょうか。

キュートな女学館シスターズ。クラスが華やかになりました。
他の女子も、良い意味で刺激されてることでしょう。

ケーキ
gentillesse

四周年です

このブログを始めて、四年が経ちました。四年前とは世界も
変わり、ブログも当然、変わっていかねばなりません。

これからも、読者のみなさんと一緒に、
楽しいブログを作っていきましょう。

経済のこと、社会のこと、歴史のこと。

ろうそく
life

昨年度税収、五十四兆円に

国税庁が昨年度税収について、上方修正。五十四兆円になる見通し。
円安で、企業の海外業績が好調。海外資産の円簿価も上がったため、
勝ち組の企業、個人で所得が増え、法人税、所得税も増えました。

日本経済が絶頂と言われたバブル期、税収・六十兆円だったことを
考えれば、もうちょっとガンバれば、あの頃に追いつけそうです。
税収が増えるなら、消費税・増税だって必要ありません。

とはいえ円安誘導による経済成長。少し情けない話ではあります。
為替による利益じゃないか、と言われれば、反論できません。

通常、通貨安による経済成長を目指す場合、輸出が伸び、それによって
実体経済を成長させます。ところが輸出はまだ、アベノミクス以前と比べ、
ほとんど伸びてません。

勝ち組でない九割以上の人が感じてるように、株価は二倍になっても、
生活レベルは苦しいまま。企業業績も、中小企業では伸びてません。

通貨安と輸出増大には時間的ずれがある、という議論もあります。
そうかもしれませんが、過去の円安と比べ、輸出感度が鈍くなってるのは確か。
税収増を、株価だけでなく、実質的な経済成長に、つなげなくてはなりません。

そのためには第二の矢、財政出動が不可欠。しかも、第二の矢について、
最近、ほとんど聞かれなくなりました。実は安倍内閣、政治資源を今、
安保法制・議論に費やし、経済的には全く空白。
意地悪く言うと、円安にしただけ。

インパクトある経済政策を早く打ち出さないと、
今は人気あっても、国民に見放されてしまいます。

ひなぎく
sincerity

尼子・新宮党

山陰の覇者、尼子氏(あまご し)。最初は出雲一国を治める
豪族でしたが、子経久(あまご つねひさ)の時、対外進出を始めます。

当時、西国は山口の大内氏が権勢を誇ってましから、
尼子の対外進出は当然、大内との戦いを意味しました。

大内との戦いで、功を挙げたのが、尼子の新宮党(しんぐう とう)。
優れた武士団で、尼子の対外進出を助けます。新宮党の働きもあり、
経久が始めた対外進出は、息子・晴久の時、大きな実りをもたらします。

晴久の時代、尼子は出雲だけでなく、伯耆、美作など八カ国を治める
大大名に成長。この頃、毛利氏も力をつけてましたから、中国地方は、
西から大内、真ん中に毛利、東に尼子、という三大勢力。

とはいえ、毛利はもともと大内の家来筋。なにかと理由をつけて、
大内の戦いに駆り出されてました。そこで毛利の独立戦争ともいうべき
「厳島(いつくしま)の戦い」が、天文二十四年(1555年)に始まります。

この戦いでは、毛利が圧倒的に不利。しかも、背後を尼子に突かれれば、
万事休す。毛利の負けは決まります。そこで毛利元就(もうり もとなり)。
得意の調略で尼子を翻弄。新宮党の長だった尼子国久(あまご くにひさ)の
謀反の手紙をデッチ上げ、それを当主・晴久に、届かせる作戦。

晴久は、この手に引っかかり、国久はじめ、新宮党を一挙粛清。
国久は晴久の義父でしたが、戦国期、そんなことは関係ありませんでした。

尼子・新宮党は滅亡。尼子は重要な武士団を失い、以降、厳島の戦いを
制した毛利に押され、急速に衰えていきます。元就は身内には結束を
要求しながら、敵には分断をもたらす方法で、のし上がりました。

白
white

漂流するTPP交渉

通商交渉を最後に批准するのは、日米とも議会。議会の議決なくして、
条約批准できません。けれど批准に至る前の交渉決定権。
日本は政府にありますが、アメリカは議会にあります。

日本の場合、経産省が決定し、経産相、首相が裁可すれば、それで
交渉を進められます。けれどアメリカでは、交渉決定権は議会にあります。

けれど通商交渉の案件を、いちいち議会に諮ることはできません。
そこでアメリカでは、通商交渉の場合、議会が大統領に「交渉を促す権限」
"TPA"を法律として可決し、一任した後、最後に議会で批准する、
という形を取ります。

TPA法案が成立しないと、いくら大統領や政府が交渉しても、決定に
至りません。そしてTPP交渉が本格化して四年になる今、TPA法案が
アメリカ議会で通過するめどが、全く立ってません。民主党に
反対意見が多く、オバマ大統領としても、打つ手なし。

通商交渉では、十年以上かかることは頻繁にあり、その過程で
ウヤムヤに消えてしまうものもあります。TPA法案がアメリカで
成立しない限り、TPP交渉も結局、消える可能性があります。
今後の報道に注目しましょう。

満月
full moon

城北の卒業生(3)

渋谷教室・授業後に懐かしい男子。城北・卒業生。教えてたのは、
かれこれ五年前。今は東大・修士一年生。理系です。
教室近くのコーヒー屋さんで話すことになりました。
遅くまで話すなら、ここが一番。

五年前、担当した、お茶の水の東大クラス。城北生は二名。
文系、理系でしたが、どちらも英語、数学がデキル。

奇妙に聞こえるかもしれませんが、英語を教えてるだけなのに、
数学のできも、ボンヤリ分かってきます。二人とも、ずば抜けてました。
そろって現役合格。経済学部に進学した男子は今春、経産省に
入省したとか。教え子が、だんだん活躍し始めてます。

さて理系の男子。実は今、M&Aに関する学生コンテストに参加。
学生が企業評価プレゼンテーションを行い、実務に携わってる
ビジネスマンが、それを評価するというコンテスト。

評価者がどこの社員か聞いてみると、野村證券だけでなく、
ゴールドマン・サックス、JPモルガン、UBS、メリルリンチ・・・
外資がズラリ。そんなコンテストで、最優秀賞を取り続けてると
いうのだから、これはスゴイ。

企業評価に関する、彼の定量分析を聞いてるうちに、
私も、これは投資に使えると分かってきました。

投資について、いっぱしの口をきいてる、この私。しかし、手法はしょせん、
定性分析。個人でそこそこ儲けたい、みたいな場合、定性分析でも、
なんとかなります。けれど、数十億円といった運用額になると、
定量分析が不可欠。もちろんゴールドマン・サックスなど、
外資でも、主流は定量分析。

定性分析しかできない壁を痛感してた矢先、定量分析の重要性を
強調する教え子が目の前に現れたわけですから、
私も拝聴せずにいられません。

彼はカバンから英語論文を取り出しました。見れば、歩行者が一定敷地内で、
複数の建物をどう回れば、全体として最も効率的か、に関する論文。
これこそ、定量分析の王道。

けれどギリシア文字を使った数式がドンドン登場。英語はともかく、
中身はチンプンカンプン。私に定量分析が手に負えない、
というのは、結局、こういうこと。

抜群の頭の良さを見せる城北OB。けれど最近、母校・城北の進学率は、
全く低迷。たった五年で、こうも凋落。こうした母校の現状についても、
一家言あるようです。

聞いてると、彼は母校に呼ばれ、OBとして講演してるようです。聴衆は
二十名人くらいかと思いきや、保護者も含め、なんと六百名の聴衆!
一度ならず、何度も講演。最近は、噂を聞きつけて、他校からも
講演依頼があるという話だから、こちらはもう真っ青。

五年前、彼の前に立って、えらそうに英語の薀蓄(うんちく)を語った私。
けれど、ひょっとしたら、近い将来、今度は、彼から投資手法について、
謙虚に学ぶ日が来るかもしれません。その時は、
かしこまって聞こうと思います。

あじさい
June

フェリス女学院高校(7)

フェリス生が授業後、相談に。何の話かな、と思って聞いてると、
夏期講習について。横浜教室でなく、渋谷教室に行こうか
迷ってるとのこと。

それを聞いて、私は来れるなら渋谷教室に来るようアドバイス。
夏の五日間、いつもと違う、知らない人たちとの勉強は、世界を
広げてくれます。何より、横浜にずっと引っ込んでる場合と比べて、
東京が身近になるはず。いずれ東京の大学に行くのだから、
今から東京に慣れておきましょう。

夏休み、彼女はいつもより少し早起きして京急・快特に乗ります。
横浜より向こうの風景が、新鮮に見えることでしょう。

森2・2
forest

新宿の二年生

新宿教室・八〇四教室から、JR線路を隔てた向こうに、都立・新宿高校。
こんな近くにあるのに、なぜか新宿生、塾には毎年、一人か二人。

なのに今年、二年生クラスに三名の新宿・男子。
これはスゴイ。なんとか彼らを伸ばさないと。

自信がないのか、今はまだ全員、後ろに座ってます。
普通、後ろに座ってる人には当てないのですが、男子ばかりの
このクラス。答えられなくても恥ずかしくありません。

というわけで、後ろに座ってるのに、当たる新宿生。
これくらいの厳しさには、耐えてもらいましょう。

まだ二年生。ガンバってるうちに、いつのまにか
英語の世界が広がるはずです。焦らずに。

空2
summer

芝高の二年生

新宿教室の月曜・二限。二年生のクラスです。
なぜか男子ばかりのクラス。

そこに芝高生が二人。春期講習から来塾。休まず通ってます。
二年生から、この学習態度ならば、受験結果は、
今の段階で、既に決まったようなもの。

最近、塾で見かけなくなった芝高生。けれど今年、二年生から
ガンバる人が出てきたとは、頼もしい。ここはひとつ、
彼らに成績を上げてもらって、塾力を見せつけましょう。

空1・1
Der Himmel des Sommers

核燃料サイクル

原発を稼働させると、使用済み燃料が発生。この使用済み燃料は、
「キャスク」と呼ばれる頑丈な容器に入れ、四十~五十年間、
冷却保存。この期間を「中間貯蔵」と呼びます。

使用済み燃料は、必ず中間貯蔵を経る必要があります。
最終的な扱いについては四十~五十年の後、判断。

言い換えれば、四十~五十年間の猶予があるわけです。
原発について「トイレなきマンション」と言われますが、
トイレは当分の間、必要ない、というのが実情。

中間貯蔵後の使用済み燃料の扱いについては、二案。
そのまま地下処分する、という案。もう一つ、使用済み燃料を
再利用しようという案。フィンランドなどは地層が固く、安定してるため、
地下で中間貯蔵した後、そのまま最終処分することを決定。
小泉・元首相の訪問で有名となったオンカロ施設も、この方法。

再利用は、日本のような資源のない国には魅力的な案。
使用済み燃料から、核燃料を取り出し、再利用。これが「核燃料サイクル」。

核燃料サイクルでは、使用済み燃料から核燃料を取り出す時、
元のエネルギーより数倍のエネルギーが得られると喧伝されました。
一度使った燃料を増やしながら、ずっと使っていける、
という夢のような話。これを「増殖」と呼びます。

ただし、使用済み燃料から核燃料を取り出す時、プルトニウムが発生。
日本は既に核燃料サイクルで発生したプルトニウムを、数十t抱えてます。
長崎型・原爆を何千発も製造できる量。

エネルギー増殖を行うための要となる増殖炉が、福井にある「もんじゅ」。
核燃料サイクルの期待を担って1990年代、スタートしたもんじゅでしたが、
ナトリウム漏れ事故を起こし、それ以降、止まったまま。

核燃料サイクルを国策と決めたなら、ナトリウム漏れ事故などにめげず、
改善しながら、稼働させ続けるべきだったのですが、日本は核アレルギーの
強い国。結局、もんじゅ再稼働はならず、核燃料サイクルも頓挫し、
現在に至ってます。

夏空
summer sky

秀吉の朝鮮出兵

一体、晩年の秀吉は耄碌(もうろく)した故に、明・征服という、
トンデモナイ暴挙を着想したのでしょうか? そして、部下の反対にも
かかわらず押し切り、コテンパンにやられ、スゴスゴ手を引いたのでしょうか?

ほとんど知られてないことですが、当時、日本と明の人口を比較すれば、
僅かですが、日本の方が多い状況。国力では明に負けてませんでした。

加えて、日本では戦国期、戦争技術が発達。科学技術の点でも、
ひけを取りません。国力、技術力で、十分に勝算があったわけです。

「朝鮮出兵」と言いますが、朝鮮はただの通り道。李氏朝鮮の軍隊など、
日本の歴戦の武将に敵ではなく、初戦の連勝も当たり前。
明に攻め込み、本格的に戦っても、互角だったでしょう。

ではなぜ、朝鮮出兵は失敗したのでしょうか?

鎌倉期・以降、日本の武将が戦場で戦う理由は、ただ一つ。
土地の恩賞です。それあればこそ、武将は命を賭けて、
主君に忠義を尽くしました。

ところが当時の武将、明や朝鮮に百万石の土地を与えると言われても、
ピンとこないし、欲しいとも思いませんでした。彼らが戦場で、
本気になれなかった最大の理由は、ここにあります。

日本の武将が本気を出してれば、明とも互角。
けれど恩賞に魅力なく、気合いが入りません。

しかも朝鮮半島を深入するにつれ、故郷・日本から離れ、
郷愁の念ばかり。結局、朝鮮出兵は失敗に終わりました。

失敗とはいえ、二度の朝鮮出兵は明を疲弊させ、
ほどなくして、明はヌルハチに倒され、滅亡。清が後継。
秀吉の勝算は間違ってませんでした。

信長の頃から、日本に本格的に入った南蛮人。秀吉は、
彼らから世界の趨勢を聞き、植民地獲得がトレンドだと知りました。

先見の明ある秀吉が、このトレンドに乗らないはずありません。
秀吉は天正十八年に小田原を攻め、日本統一した後、すぐさま
朝鮮出兵の構想に着手。決して思いつきではありません。

ただ、その理念を、他の武将と共有せず、秀吉が説明に時間を
割かなかったことが失敗につながりました。現代でも、どんなに上司の
アイデアが素晴らしくても、理念を部下にキチンと伝達しない場合、
プロジェクトが破綻する場合と、同じ。

秀吉の先見の明は、国内で存分に発揮されましたが、海外では、
全く歯が立ちません。しかも江戸期、鎖国政策が取られ、異国と
交流しない方がいい、という考えが主流になるにつれ、いつしか
秀吉の朝鮮出兵は「失敗」の一言で片づけられてしまいました。

庭
Japanese garden

FRBの利上げ時期

今、世界のビジネスマン、投資家は連邦準備銀行"FRB"がいつ
利上げするかに注目してます。2008年のリーマン・ショック後、
FRBは三回の量的緩和を実行。ドルを市中に流し、
アメリカ経済の失速を防ぎました。

この量的緩和は終わり、マーケットの関心は昨年から、利上げ時期に移行。
いつまでも量的緩和、ゼロ金利を続ければ、アメリカ経済が急速な
インフレに見舞われるのは必至。利上げはやむを得ません。

利上げ時期は六月とも言われてましたが、それはないようです。
いずれにせよ、今年中に行われるFRBの利上げ。利上げとなれば、
アメリカ株は下がり、ドルは高くなります。昨年末からNYダウが
1万8000ドルをはさんでもみ合い、1ドルが125円まで上がったりする
状況は全て、FRB利上げを織り込んだもの。

買いポジションを取る投資家にとって、FRB利上げは、あまり良い
ニュースではありません。アメリカ株が下がれば、世界の投資商品が
おしなべて下がるからです。今はむしろ、売りポジションを考える時。

とはいえ、カラ売りするなら、下落時期を特定しないといけません。
FRBのインサイダー情報でもない限り、こんなこと、ほとんど不可能。
今は予想しにくい時期。投資は慎重にすべきです。

水色
early summer

ヴェノナ・ファイル

冷戦後、米ソで機密文書が公開され始めました。1990年代のことです。
そんな時、アメリカ政府が発表した文書が、ヴェノナ・ファイル。
アメリカ政府公認の機密文書です。

その内容は驚愕すべきもの。特に大東亜戦争の頃、ルーズヴェルト政権で、
ソ連・工作員がアメリカ政府中枢で、暗躍したことが明るみになりました。

ルーズヴェルトは人気ある大統領。四選を果たした、唯一の大統領でも
あります。けれど、その姿勢は完全に反日。そして親ソ、親中。
ルーズヴェルトの周囲は、実は共産主義者ばかり。

当時、アメリカ共産主義者にとって、モスクワから受けた使命は、
日本をソ連と戦争させないこと。言い換えれば、日本をアメリカと戦争させること。
日本史に通じた人なら、同じ頃、日本の近衛内閣でも、共産主義者が
モスクワ指令で、対ソ戦・回避を画策、南進論を提唱したことを
思い出すでしょう。ゾルゲ事件です。

日米・共産主義者の動きは的確で、アメリカでは日本への
強硬路線が決定され、日本では南進論が採用されました。

日米開戦の引き金になったハル・ノート。日本政府はハル・ノートを見て、
これ以上の日米交渉はムリと判断。対米開戦を決定。けれどハル・ノートを
書いたのは国務長官コーデル・ハルでなく、彼の部下。

この部下こそ、実は、バリバリのソ連・工作員。日本が戦争に踏み切らざるを
得ない文面を書き上げました。この部下は戦後、ソ連・工作員ではないかと
疑われ、自死。そして、ヴェノナ・ファイルによって、ホンとに
そうだったことが確認されました。

日米戦争は、日米が主体的に決断した戦争というより、それぞれの
共産主義者たちが、モスクワ指令を受けながら、しくんだ政治ドラマ。
「お国のために」と死んでいった、名もなき兵士たちが、
これを知れば、一体、どう思うでしょうか。

戦後、アメリカではジョセフ・マッカーシー上院議員が現れ、
アメリカ社会の中枢に共産主義者が巣食ってると糾弾。
「マッカーシー旋風」と呼ばれました。

マッカーシーは頭のおかしい被害妄想者とみられ、不遇な晩年。
けれどヴェノナ・ファイルによって、マッカーシーの主張が、
正しかったことが裏づけられました。

ヴェノナ・ファイルは、CIAによるソ連の暗号解読、そして非合法な盗聴に
基づいたため、冷戦期には発表できませんでした。それ故、アメリカで
インテリジェンス(諜報)に携わるたちは、共産主義者の存在を
知っていても、沈黙。マッカーシー以外、誰も口にしませんでした。

このヴェノナ・ファイル。現代から見ても、不都合な事実が多く、
アメリカ政府公認であるにもかかわらず、日米のメディア、学会は、
完全にスルー。もっと光を当てるべき文書です。

水族館
aquarium

開成の卒業生(2)

授業後、新宿教室でボックスをかたづけてると、後ろから呼ばれました。
振り向くと、昨年、教えてた開成生。懐かしい顔です。

今春の受験結果はダメで、浪人します、と三月、報告にきました。
「まあ、ガンバれよ」私もそんなことを言ってました。

浪人生活が二カ月ほど過ぎ、また塾に来たくなったようです。
ちょうど授業後。駅まで一緒に帰ることになりました。

今は河合塾に通ってるようです。マーク模試の結果も、
昨年とは全く違うとか。昨年のガンバリが今、結果を出し始めてます。
浪人して二カ月ほど勉強したから、すぐに結果が出るほど、
受験は甘くありません。

浪人しても、現役時代の努力は実るということでしょう。
これは後輩たちにも、ぜひ言わねばなりません。

歩きながら話してると、浪人生活にもかかわらず、プライベートは結構、
充実してるとか。これはいい。浪人時代が勉強ばかりではツマラナイ。

また夏になったら、新しい模試の結果を持ってくるそうです。
少し大人になった彼が、その時、何を言うか、
私も楽しみにしておきましょう。

波
Leben

ヴィルヘルム二世

ドイツ最後の皇帝です。1888年、即位。

一つ前のヴィルヘルム一世の統治期、プロシアでは鉄血宰相ビスマルクが
外交を仕切りました。ビスマルク外交により、プロシアは普墺戦争、
普仏戦争を勝ち抜き、ドイツ統一。1871年のことです。

ビスマルク外交の要諦は、フランスとロシアの離反。普仏戦争でフランスを
負かしたものの、その恨みを恐れたビスマルクは、フランス、ロシアから
挟撃されないよう、細心の注意を払いました。

ロシア、オーストリアと三帝同盟を結び、フランスを牽制。
一方、フランスは、イギリスと英仏協商。
バランスが取れたわけです。

ところが、ヴィルヘルム一世を後継したヴィルヘルム二世。
ビスマルクが目障りでなりません。就任早々、ビスマルクを解任。
以降、ヴィルヘルム二世が外交を仕切りました。

ヴィルヘルム二世は、ロシアとの同盟を破棄。当然、ロシアは
露仏同盟を締結。欧州バランスは、これで崩れます。

そこでヴィルヘルム二世。ロシアからの攻撃を避けることに腐心。
この時、日清戦争に勝ったばかりの日本に目をつけます。
ロシア・ニコライ二世をたきつけて、日本に遼東半島を
清に返すよう迫りました。世にいう三国干渉。

日本の教科書は、三国干渉について、なんとなくロシアが主導したように
書いてますが、ヴィルヘルム二世こそ、真の黒幕。日本人は
「臥薪嘗胆」を合言葉に、この干渉を呑みました。

三国干渉・成功に味をしめたヴィルヘルム二世。ニコライ二世の極東進出を、
さらに後押し。この極東進出が、ついには日露戦争を惹起したわけですから、
日露戦争の黒幕も、ヴィルヘルム二世と言えるでしょう。

日露戦争は日本の勝利に終わり、ロシアが再び、欧州に進出する可能性が
出てきました。こんなことなら、ドイツは最初から、ロシアとの同盟を
破棄しなければよかったのですが、そんなことは、
ヴィルヘルム二世には通じません。

ヴィルヘルム二世はオーストリアとの同盟を強めます。
これは汎ゲルマン主義と呼ばれました。これにより、汎スラブ主義を
唱えるロシアとの対立が決定的となり、汎ゲルマン主義と汎スラブ主義が
バルカン半島で衝突。第一次・世界大戦の引き金となりました。

三国干渉、日露戦争、第一次・世界大戦。世界史を揺るがせた、
こうした事件が、全てヴィルヘルム二世に遠因を持つことを、
どうして高校・世界史で、もっと強調しないのでしょうか。

第一次・世界大戦の後、ドイツではキール軍港の水兵反乱から、
革命が勃発。カール・リープクネヒト、ローザ・ルクセンブルクが
革命を指導。ヴィルヘルム二世は海外に亡命。
ドイツ君主制は、これで終了しました。

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