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茨高の高三生 Part 4

土曜夕方のオンライン授業。大阪の茨高女子、
毎週、画面に登場。

昨年暮れから、ずっと共通テスト対策。
今回、結果を聞いてみると、リーディング100点満点で、
89点! 演習の成果、出たようです。

今週土曜が、最終授業。一年間の締めくくり。

大分大学

別府湾を望む大分市。大分駅からはJR豊肥本線。十分ほど乗ってれば、
大分大学前駅。三角形の屋根を持つレトロな駅舎。周囲には緑以外、
何もありません。

駅前の道を右に歩けば、やがて大分大学の正門。地元では「分大」
(ぶんだい)。ここは旦野原(だんのはる)キャンパス。教育福祉科学部、
経済学部、工学部があります。

戦後、地元の師範学校や商業学校がくっついて分大になりました。
工学部は後発です。ただしキャンパスは広く、東京ドーム二十二個分。
キャンパスを緑が取り囲むデザイン。

普通、野球場や陸上競技場など、キャンパスの端っこにありそうな
ものですが、分大ではキャンパスの真ん中。土地価格が安いことを
最大限に活用。

分大。全国的な研究には手が届きません。
けれど地域密着を目指して地元企業と提携。

例えば教育福祉科学部が考案した商品「スッポン・ジュレ
まるまるコラーゲン」。スッポンを使った栄養ゼリーを商品化。

あるいは工学部・応用化学科の「柚子の力」。柚子皮から
エキスを絞り取り、飲みやすく加工した飲料。

市内にもう一つ、挟間(はさま)キャンパス。ここに医学部があります。
2003年(平成15年)まで大分医科大学。

二つのキャンパスは遠く、その不便を解消するため、
モニター遠隔講義が行われてますが、やはり限界があります。
医学部と他学部の間で有機的な連関はできてません。
設立経緯から、これはしかたないでしょう。

「ローカルからグローバルへ」を掲げる分大。ローカルは達成できても、
グローバルまでは、なかなか。しかし大分で生まれ育ち、ここで
暮らしたいと思う学生には一応、ニーズに応えてくれます。

大分空港は市内から遠く、博多へも出にくく、大分は言わば「陸の孤島」。
けれど湯煙上がるこの土地こそ、わが故郷と思う学生には、
分大は最高の学び舎となるでしょう。

夢
revelation

国際高等教育院

拡声器を通してキャンパスで声を張り上げるのは、左翼学生の
特権とばかり思ってましたが、今は少し違うようです。京大キャンパス。
いい年した教員がキャンパスに出て、京大生に何か訴えてます。

遠巻きにして立ち止まる学生たち。とはいえ大部分の京大生は無関心。
当事者意識ゼロ。何しろ、普段からロクでもない授業しか、してない
教員が、今さら何か叫び始めても、どうせ大した話ではないと
分かってるからでしょう。

そして実際、大したことない話。京大で総長と教員が対立。総長の辞任を
教員が求める事態にまで発展。総長が一般教養の代わりに
「国際高等教育院」を設置すると発表。外国人・教員の数を
百名程度まで増やし、英語で行う授業数も増やします。

これに一般教養の教員が猛反発。今に至ってます。どこの大学でも、
一般教養は何の役にも立ってません。ならば、せめて英語で読み、書き、
話し、聞きの訓練を徹底し、「英語で学問を学べる」下地を作った方が、
まだいいではないか、というのが京大総長の意見。

日本社会での英語公用化には反対の私も、大学の授業くらい、英語で
受けようよ、ということには大賛成。たとえ教員、学生が日本人でも、
英語で全ての講義を行う。当たり前の作業でしょう。

ところが、この当たり前の作業が日本の大学では全くできず、一般教養の
二年間が空白。日進月歩の世界競争で、この空白は致命的。

実際、京大は独創的な研究者を輩出できず、ノーベル賞・受賞者も
途絶えてしまいました。昨年、話題になった山中教授も、
出身は神大。京大ではありません。

「自由」が売りだった頃、京大の一般教養については「九十九人のバカと
一人の天才を生みだす学風」と語られてました。実際、今も京都での
自由な日々を懐かしむ卒業生は、少なくありません。

とはいえ、大学が大衆化し、知的レベルが下がるにつれて、
京大の自慢だった自由は独創へと向かわず、
愚鈍、怠慢へつながっていきました。

実際、今、東大生、京大生の知的レベルは、お話にならないほど、
落ちてます。あえて救いがあるとするなら、理系学部で、世界最先端への
道が開かれてる程度。文系学部は押し並べて「悲惨」の一語。

ならば無駄な一般教養などやめて、英語の運用能力だけでも高め、
その力を付けて専門課程に入ってもらおう、という京大総長の判断は、
現実を冷静に見つめた判断とは言えないでしょうか?

AIUやAPUという地方大が、英語特化カリキュラムを組んで成果を
挙げてます。それが京大で、できないはずありません。

反対してる教員にしても、奮起して英語を勉強し直し、自分の
学問分野を英語で表現する良い機会と、捉えてはどうでしょうか?

最初は失敗ばかりで恥をかいても、やってるうちに、うまくなっていく
でしょう。大学の一般教養という場所では、たとえ失敗しても、
誰にも迷惑はかかりません。

目の前のハードルは、新しい世界への産みの苦しみと考え、
現在の自分の枠を壊し、教員もグローバルな学問競争に
身を曝(さら)すべきではないでしょうか?

失敗し、恥をかきながら、それでも英語で何かを伝えようとする教員の
姿から、京大生も学問研鑽とはまた違う人間力を感じるはず。

とはいえ今の京大。そう考える教員は皆無。自分の枠を壊されることに
恐怖する凡人集団。新しい自分を見つけよう、など思いもせず、
反対運動に血道をあげるオヤジたち。それを見つめる
京大生の視線が冷ややかなのも、当然でしょう。

風鈴
sound

香川大学

高知から特急「しまんと号」で入った高松。駅を降りたのは朝七時。
高知は暖かったのに高松は寒い。駅を出るとバス・ターミナル。

三木町へ向かうバスに乗ります。香大(かだい)農学部に
行ってみましょう。バスは最初、市内を走りますが、やがて田んぼ道に。
五十分ほど揺られて、やっと農学部に到着。

農学部が街中にある必要もありませんから、このロケーション自体を
どうこう言うことは、今回はやめておきましょう。

正門から見える大きな講義棟。その横にある希少糖・研究センター。
このセンターこそ、今の香大で最もホットな場所。

将来、食品や薬品、医療など、さまざまな分野での応用が期待される
夢の素材、希少糖。実は世界でも専門の研究施設はここだけ。

希少糖は自然界には存在せず、自然界にある単糖に特定酵素を
反応させて作る糖。言ってしまえばそれだけのことですが、酵素の特定が
難しく、生産もおぼつきませんでした。1gが数万円ほども。

ところが農学部の何森健(いずもり たけし)教授が1994年(平成6年)
なんと、大学敷地内の土から採取した物質を使って新型の酵素を
作ることに成功! 単糖フルクトースをプシコースに変換したのです。
この酵素の構造は「イズモリング」と命名されました。

現在、希少糖・研究センターには、六炭糖・三十四種の希少糖を生産する
設備があります。香川県も研究の実用化を全面的に推進。

大学内の売店で「アムリタ」というパンを売ってました。希少糖が
使ってあるとか。お腹が減ってて、焼き立て。これはオイシイ。
ただし、言われなければ希少糖とは分からなかったでしょう。

全国、いや世界に先駆けた香大の試み。それを県もバック・アップ。
香川を活性化させるぞ、という意気込みを感じますね。

地方大は今、どこも農学部が元気です。香大の場合、
糖で注目を集めてますが、農学部には環境や生命、食料など、
これからどうしても必要とされる学科が目白押し。

投資家の観点でも、農業への投資は今後、不可欠。
私もどういう投資形態がいいかと今、思案中。

いろんな大学を回ってるうちに、未来の有望な投資案件も
見つかるのですから、旅行を兼ねた大学巡りもバカにはできません。

来週からは春期講習。こんな自由な旅行もできなくなります。
私も気持ちを切り替えねばなりません。
新しい生徒たちがやって来ます。

栗林公園
Ritsurin Park

高知大学

高知・龍馬空港からJR高知駅までは空港バス。南国の空気に初夏の匂い。
眩しい緑が通り過ぎます。空港近くに農学部・物部キャンパスが
ありますが、今回は通り過ぎましょう。

四十分ほど乗ってると「はりまや橋」を過ぎて高知駅。
駅前には大きな像。三人の武士が立ってます。

土佐勤王党の首領を務めた武市半平太。
薩長同盟の締結に奔走した坂本龍馬。
土佐・陸援隊を設立した中岡慎太郎。

当時の藩主・山内容堂(やまうち ようどう)や参政・後藤象二郎
(ごとう しょうじろう)は彼らほど人気がありません。土佐勤王党を
弾圧する側に回ったからでしょう。

駅・反対側にバス・ターミナル。ここから附属病院行きの
バスが出てますから、それに乗ってみましょう。

高知の街はすぐに途切れ、バスは山間の道に。三十分ほど
揺られて、やっと右に大きな建物が見えてきました。

1973年(昭和48年)第二次・田中内閣で「一県一医大・政策」が
閣議決定されました。それに基づき、1976年(昭和51年)に
高知医科大学が設立。現在、高知大・医学部に。
岡豊(おこう)キャンパスです。

バスは附属病院・外来診療棟・前に着きました。
向こうには中央診療棟。病棟と基礎・臨床研究棟は
渡り廊下でつながってます。どちらも七階建て。

研究棟に入ると"MR"と呼ばれる製薬会社・保険会社の社員が
廊下に貼り付いてます。教員が出て来るのを、ずっと待ってなきゃ
いけないわけですから、この仕事もタイヘンですね。

高知大・医学部で特筆すべきは2010年(平成22年)から始まった
先端医療学コース。先端医療研究に特化したコースを
六部門に分けて新設しました。

独創的医療部門 再生医療部門 情報医療部門
社会連携部門 先端医工学部門 臨床試験部門

とはいえ、このコースはまだ始まったばかり。
どういう成果が出るかは今後の判断に委ねられます。

さてメイン・キャンパスはと言うと、朝倉キャンパス。一年次、全員がここで
学びます。この朝倉キャンパス。高知駅から電車の本数が少なく、街の中心と
有機的に連携できません。農学部の物部キャンパスにしても、空港の近く。
完全なタコ足大学です。

もちろん高知大もこの欠点には気づき、学部間の垣根を
取り払う「土佐さきがけプログラム」を立ち上げました。
中味はと言うと。

グリーン・サイエンス人材育成コース 国際人材育成コース
スポーツ人材育成コース 生命・環境人材育成コース

けれど、大学全体の特色として打ち出すには、どのコースも
今ひとつインパクトに欠けます。しかもカリキュラムでは
ロケーションの問題を根本的に解決することはできません。

実は高知大。今年度入試で志願者は3007名。昨年は4050名だった
わけですから、1043名減。実に28%も志願者が減りました。
これは危機感を持つべき数字です。

ロケーションの問題は大学だけで解決できません。地元出身の国会議員や
知事、市長のリーダーシップ、そして大学側の積極的な協力が不可欠。
高知大。実は今、全学を挙げて、そういう議論を始めるべき時に
来てるのではないでしょうか?

高知城
Kochi Castle

京都府立大学

戦前、京都府立だった農林専門学校と女子専門学校が戦後、くっついて
京都府立大学となりました。下鴨(しもがも)にあります。
地元では「府大」(ふだい)。

文学部、公共政策学部、生命環境学部の三つ。学部が三つしかないため、
この下鴨キャンパスに全て収まってます。近くには府立植物園も。

府大では、京都府医大や京都工繊大と教養教育を共同施設で行う計画を
立ててます。まだ計画段階ですが、実現すれば、教養の間だけでも、
より広い交流ができそうです。

京都には有力な大学が官学、私学を問わず、たくさんありますから、
府大が文学部や公共政策学部で特色を出すのは、なかなか難しいでしょう。

けれど生命環境学部は農林専門学校からの伝統もあって、
今も高度な研究を続けてます。中でも森林科学科は注目に値する学科。
全国的に見た場合、農学部を備えた大学は、それなりにありますが
「林学」まで揃えてる場合は稀。

たとえ揃えてても、田舎の大学が多くなります。林学の性質上、仕方ないこと。
けれど府大・森林科学科。府内に六ヶ所の演習林を持ち、大野演習林では
四十名が宿泊できる施設まで。規模だけで言えば、
京大・農学部の森林学科を上回ります。

森林科学科の教員は十六名。学科定員が三十五名ですから、
まさに恵まれた状況。砂防学から始まり、森林生態学、森林植生学、
森林資源循環学などの勉強が続きます。そして林の中での演習。
やってみたくなる受験生はいないでしょうか。

キレイな空気や水を残すこと。クリーンな資源を開発すること。

そのために林学は不可欠です。しかも、その林学を京都で学べるとしたら、
これは一考に値するでしょう。京都は都会のようでいて、一歩、街の外に出れば、
豊かな自然が広がります。郊外がベッド・タウンにならず、そのままの
自然が残されてます。自然研究にとっては、良い環境でしょう。

京大・農は狙えないけど、自然を研究したい。何より京都が好き。

そんな受験生には、お薦めの大学です。

蜂
bee

岐阜大学

織田信長は1567年(永禄10年)斎藤氏を排して稲葉山城(いなばやま じょう)
に入城。この地を「岐阜」と名づけ、以降1576年(天正4年)に安土城に
移るまでの九年間、ここを居城としました。

武力で天下を統一するという「天下布武」(てんか ふぶ)を、信長が
唱えたのもここ。岐阜時代、信長は楽市・楽座を開いて国を富まし、
さまざまな戦いを勝ち抜いて、領土を拡大していきました。

そんな岐阜にある国立大・岐阜大学。地元では「岐大」(ぎだい)。
駅から自転車を走らせても三十分以上。キャンパス周囲には田んぼ。
教育学部を除くと、文系学部は地域科学部のみ。
理系学部は医学部、工学部、応用生物科学部。

川の向こうに医学部。そして附属病院。
川のこちら側に大学本部。そして他の全ての学部。

地域科学部は地域政策学科、地域文化学科に分かれます。
公務員や地元企業・就職者のための学部。

応用生物科学部には共同獣医学科も。小規模ながら、
附属動物病院がキャンパス内にあります。

工学部では機械、電子、化学から環境、生命まで、一通りのことは
学べる体制。地方の工学部らしく「ものづくり」を重視。

全体が一つのキャンパスにあるのは良いのですが、岐大。
何となく小さくまとまってしまいました。大学としての
メッセージやインパクトがありません。

失敗を恐れず、世間にアピールする姿勢をもう少し打ち出しても、
いいのではないでしょうか。例えば、医学部と工学部が一つの
キャンパスにあるのだから、医工融合のセンターなり、研究所なりを
設立して、再生医療を研究する、なんてどうでしょう?
医学部はともかく、工学部の偏差値は急上昇するでしょう。

今、岐阜は街を挙げて、地域の英雄・信長をアピール。ならば岐大。
信長にならって「岐大、ここにあり」とまず天下に名乗りを上げ、
ドンドン新しい試みを示していくべきでしょう。

傘
umbrella

島根大学

東京から島根へ行くには飛行機が最も便利。一時間と少しで飛行機は
着陸態勢に。春を間近に控えた、白い雲が眩しい。そして着いた空港。
なんと「出雲縁結び空港」。空港のドア、床、あっちこっちにハートのマーク。
出迎えてくれる島根・キャラクター「しまねっこ」。そこにもハート。

空港だけではありません。松江行き・空港バスにもハート。空港バスは
宍道湖(しんじ こ)を左に見ながら東へと疾駆。宍道湖。
言われなければ、海に見えるほど広い湖。

四十分ほどで、空港バスはJR松江駅に到着。そこからは市営バス。
十五分も乗ってると「島根大学前」。

島根県では宍道湖を挟むように、東に松江市。西に出雲市。
島根大も松江キャンパスと出雲キャンパスに別れます。
地元では「島大」(しまだい)。

今回はメインの松江キャンパスが目的地。正門を入ってみましょう。
それほど広くない敷地に校舎が効率よく並んでます。
校舎の向こうには、グラウンド。野球場まで。

松江キャンパスには法文学部、教育学部、総合理学部、生物資源学部。

出雲キャンパスには医学部。昔は島根医科大学と言ってました。
けれど、2003年(平成15年)島大に吸収され、島大・医学部に。

さて松江キャンパス。正門を入ってしばらく歩くと「キャンパス・プラザ」。
島大生が立ってお喋りしてます。山陰の国立大らしく、農学研究が盛ん。
けれど学部の名前は「生物資源科学部」。従来の農学にとらわれない、
新しい研究をしようという姿勢の現れでしょう。

島大らしいのは「水研究」。「水の利用」と「水の環境保全」に関する研究。
思えば、上水道の整備、汚泥・下水の処理、淡水化事業。これらに関する
技術は現在、日本だけでなくアジア、中東で最も必要とされてます。
しかも、この環境分野では、数十年、先行してる日本企業が世界を圧倒!

水処理では栗田工業、荏原製作所。
淡水化事業では日揮、千代田化工建設。
膜では東レ、帝人。

水ビジネスは日本だけでなく、世界を股にかけた商品開発、
事業展開ができるはずです。細菌・ウィルスの不活性化。
有害物質を吸着・除去する無機・吸着素材の開発。

一体、これらを聞いてワクワクしない若者がいるでしょうか?
まさに無限のフィールド。島大の着眼点は確かでした。

宍道湖を挟む松江・出雲。この地域を総称して「出雲」と呼びます。
神話によると、日本の始まりはここだとか。しかも年に一度、神々が
ここに集まります。十一月。他の地域で神無月でも、出雲では神有月。
どの男女をくっつけるべきかまで、神々は相談してくれるとか。

水と神秘に囲まれながらも、科学的に環境技術を研究する。
こんな大学生活も、悪くないのではないでしょうか?

しめなわ
shrine

熊本大学

およそ大学が活性化されるためには、文系、中でも人文がガンバらなくては
なりません。しかし、たいていの地方大の場合、そんな余裕もなく、
文系は一学部のみ、というケースが大半。もう一つあったとしても、
教育学部。地方大・文系の層の薄さは否めません。

というわけで、そこそこ優秀な地方の受験生は、文系の場合、
東京の私大に出ていくことになります。ところが熊大(くまだい)。
県庁・所在地にあるとはいえ、それほど人口も多くない街なのに、
法学部、文学部の二つをキチンと揃えてます。

考えてみれば、九州・国立大で、この二学部を揃えてるのは
九大と熊大のみ。熊大の意気込みが感じられます。

明治が始まるまでは、九州の中心は熊本でした。もちろん福岡は
アジア地域との接点として重要だったのですが、江戸期、日本人は
鎖国政策を取ったため、福岡の重要性は薄れてしまいます。

明治になり、各地に高等学校が設立された時にも、九州では真っ先に
熊本に第五高等学校が置かれました。旧制高校ではどこも、男子ばかりで
バンカラ。五高では、その傾向がとても強く「ストーム」と呼ばれる
歌って歩く大騒ぎを何度もしてたとか。

今も五高の影響は強く残っていて、キャンパスを歩けば、レンガ造りの
二階建て「五高記念館」がドーンと立ってます。

医学部は明治期、熊本医学専門学校と言ってました。旧・六医専の一角。
それ故、今も熊大・医の研究レベルは高く維持されてます。東京で
教えてる私ですら、志望校として熊大・医を質問されるほど。

さて熊大。理系は理学部、医学部、薬学部、工学部を備えた堂々たる陣容。
熊大キャンパスは三つありますが、どれも市内3㎞範囲内にあり、
連携しやすい体制。

問題は文系。せっかく二学部を揃えてるのに、
研究成果なり、発表なりが、全く聞こえてきません。

熊大からは著名人も作家も出ず、あえて言えば、
「今のキミは ピカピカに光って」で一世風靡した
宮崎美子(みやざき よしこ)くらい。

インフラ(基盤)は整ってるけど、コンテンツ(中身)がない。

ハッキリ言って、これが熊大の現状。でもこれは、コンテンツ充実の
努力さえすれば、すぐに改善できる、ということでもあります。

キャンパスが狭い、そもそも学部がない、という場合、問題は構造的ですから、
単なる「やる気」だけでは如何ともしがたいものがあります。

けれど熊大の場合、器はキチンとしてて、後は「やる気」のみ。
これで奮起しない学生はどうかしてるでしょう。
そのOBには。

外務大臣として終戦工作に奔走した重光葵(しげみつ まもる)。
所得倍増計画を打ち立て、高度経済成長を牽引した池田勇人。
沖縄返還に努力し、日本人初のノーベル平和賞に輝いた佐藤栄作。

学者でも。

「科学エッセイ」という新分野を打ち立てた寺田寅彦(てらだ とらひこ)。
戦前の国家思想を牽引した大川周明(おおかわ しゅうめい)。
日本のマルクス経済学を長い間、リードした大内兵衛。

文学者としても「月に吠える」の萩原朔太郎。
「夕鶴」の木下順二。「日の果て」の梅崎春生・・・

まさに多士済々。けれどこれらの人は全て五高・出身者。新制・熊大に
なってから、熊大の存在感は、医学部を除き、全く薄れてしまいました。

さあ、熊大生。伝統の上にあぐらをかいてるだけはいけません。
九州を超え、日本を超え、世界を相手にした研究を発表しましょう。

熊本城
Kumamoto Castle

鳥取大学

関西で教育を受けたなら、遠足や修学旅行で必ず鳥取砂丘に行くことに
なります。日本海に面した広い砂浜。砂漠と呼ぶには小さすぎますが、
日本でこれほどの砂地は他にありません。

その砂丘の端になぜか半球形のガラス・ドーム。鳥取大の乾燥地・研究センター。
このセンターは五つの分野を専門としてます。

地球環境 農業生産 分子育種 保険医学 環境修復

現在、乾燥地は地球の陸地全体で41%。中でも砂漠化が進んでる地域は
10~20%にも。こうした砂漠化、干ばつを予防するために鳥取大が
身近な砂丘をモデルとして研究を進めるなら、それこそ
鳥取にある国立大としての面目躍如でしょう。

日本にこのようなセンターは、もちろん、ここだけ。海外にも少なく、
それ故、同センターには海外から多くの研究者、留学生が集まってます。

汚い水をキレイにすること 砂漠を緑地に帰ること

こうしたことは自然を大切にし、手先の器用な日本人が最も得意とする分野。
しかもその研究は日本だけでなく、世界全体に恩恵を与えます。

このように鳥取大は、農学部が元気な大学。農学部には
生物資源・環境学科と獣医学科。上記の乾燥地・研究センターは
生物資源・環境学科に属してます。他にフィールド・サイエンスセンター。
菌類きのこ・遺伝資源・研究センター。

獣医学科にも鳥由来・人獣共通・感染症・疫学研究センター。

地方大・農学部がこれほど多彩なセンターを要するのも珍しいこと。
なんとかして時代の先端を掴みたい、大学の特色を打ち出したい、
という鳥取大の意気込みが表れてます。

キャンパスは、鳥取キャンパスと米子キャンパス。

鳥取キャンパスは砂丘からもすぐ近くのところ。ここには地域学部、
農学部、工学部。米子キャンパスには医学部。とはいえ、
一年次は全員、鳥取キャンパスで学びます。

鳥取は県の東端。米子は県の西端。一年次に一緒になるとはいえ、
連携した研究は難しいでしょう。医学部は昔、米子医科大学と
言ってたのですから、これはもうしかたないですね。

大きな砂丘に隣接した場所での環境研究。農学部だけでなく、
他学部にも良い影響を与えてるでしょう。東京にいると、なかなか
思い巡らすことのない地方大ですが、鳥取大。知る人ぞ知る学び舎です。

砂丘
Tottori

鹿児島大学

島津に暗君なし。

一説によると、島津家の始まりは源頼朝の落胤(らくいん)だとか。
いずれにせよ、島津家は鎌倉時代から六百年以上、薩摩を治めます。
その島津家が最も窮地に立ったのは、関ヶ原の戦いでしょう。

藩主・島津義久は東西どちらにもつかない姿勢。けれど藩の外交を担い、
京へも度々、赴いてた弟・義弘にとって「どちらにもつかない」という
選択肢は取れませんでした。結局、義弘は西軍に参加。とはいえ
藩主・指示のない出馬。千五百の兵しか集められませんでした。

関ヶ原では味方の裏切りにより、西軍は午後になって敗走。
島津隊も絶体絶命。しかし、ここでなんと島津隊は攻めて来る
東軍・中央へ、細いヤリのように切り込みをかけます。

あまりのことに東軍も狼狽。猛将・福島正則(ふくしま まさのり)も
この時だけは手出しできなかったとか。島津隊は徳川・本陣そばを
通り過ぎ、何名かのおとりを後置しながら、走り続けます。

一体、日本史の中で「敵中突破」を敢行したのは、
この島津隊が最初で最後ではないでしょうか?

数十名になって薩摩に戻ってきた島津隊。ここから藩主・義久が
動きます。明、琉球とのパイプを生かし「島津を潰せばゲリラ化する」
というメッセージを陰に陽に示し、家康を圧迫。

結局、島津家にお咎めはなし。謝罪すらしなかったのですから、
大したものです。その後も島津家は外様大名として江戸期を
生き延び、幕末には島津斉彬(しまづ なりあきら)という
名君を再び輩出しました。

さて、そんな島津家の医学校が現在の鹿児島大・医学部のルーツ。
長崎、熊本とともに九州で西洋医学を学ぶアカデミーとなりました。
医学部だけではありません。鹿大(かだい)。
九学部を揃える堂々たる陣容。

鹿児島には旧制・第七高等学校の伝統がありましたから、教育投資は
重視されました。鹿大はユニークな研究で知られてます。地方大でも、
ここまで特色ある大学は珍しいでしょう。

理学部・・・天体観測・実習
歯学部・・・離島巡回・診療同行・実習
医学部・・・離島・地域医療実習
工学部・・・海岸測量・実習
農学部・・・焼酎・発酵学・教育研究センター
水産学部・・公海域・水産乗船・実習・・・

水産学部には「かごしま丸」「南星丸」という練習船まであり、
本格的な水産研究を思いきり、やれる場所となってます。

私は一年間、鹿児島で受験指導をしたことがあります。毎週、飛行機で
鹿児島に通いました。鹿児島の訛りは強く、最初は聞き取るのに一苦労。
けれど慣れていくうちに、生徒たちも話しかけてきました。

休み時間。校舎近くの公園にいたら、医学部・志望の男子生徒が近寄って
きました。浪人生。志望校は鹿大・医。「博多弁と鹿児島弁はどう違うか」
みたいな、勉強とも受験とも関係ないことを、その時、語り合いました。
受験後、彼から連絡が。

ライバルたちは鹿大・医に受かったけど、自分はダメだったから、
もう一度、チャレンジします。

そんな内容。

その後、うまく目標達成してくれたかな。

今も時々、そう思います。

桜島
Sakurajima

山中教授、ノーベル賞・受賞!

京大・iPS細胞研究所の所長、山中伸弥(やまなか しんや)教授が
今年のノーベル生理学・医学賞を受賞しました。

2006年(平成18年)に世界で初めてiPS細胞を作製して以来、
六年での受賞。ノーベル生理学・医学賞では、数多くの臨床結果を
確かめてからの受賞となるのが一般的。
たった六年での受賞は異例のこと。

とはいえヒトの皮膚細胞から、受精卵と同じく、
どんな臓器にも成長していく細胞を作製できる技術は画期的。

受精卵がさまざまな臓器に成長していくことは普通のことです。
けれど一旦、成長してしまった細胞に再び、元の受精卵のような
成長していく機能を与えることは医学界では考えられないことでした。

「初期化」(リプログラミング)と呼ばれる作業。
この到底ムリと思われた作業を、山中教授は四つの遺伝子を
細胞に組み込むことによって達成。世界を驚かせました。
その手法は「医学界のタイムマシン」と呼ばれてます。

これからも研究を続け、一日も早く医学に応用しなければ
ならない、という気持ちで一杯です。

記者会見でも淡々と語る山中教授。
今回の受賞も通過儀礼に過ぎないのでしょう。

思えば、今は脚光を浴びてる山中教授も、
研究の始まりでは何度も躓きました。

神戸大・医を卒業した後、一度は臨床医になりますが、手術が下手。
同僚が数十分で終える手術を、数時間かけて行うことも。
手術の邪魔になるということで、ついた渾名が「ジャマナカ」。

研究者に転向し、アメリカで修行した後、日本に帰国。
人に理解してもらえない細胞研究に没頭。

マウスの世話がタイヘンで、それに奔走してるうちに、
今度は「ヤマチュウ」という渾名が。
無理解に疲れ、研究を諦めかけたことも。

軌道に乗ったのは、奈良先端科学技術大学院でポストを与えられ、
助成金が出始めてから。その助成金の拠出についても、
審査員は半信半疑だっとか。

ほんまに新しい細胞なんか、できるんやろか。

しかし「千に、三つか四つでも当たりがあれば」という、
半ばギャンブルのような形で助成金拠出を決定。
山中教授の研究を後押ししました。

学生時代はラグビーで鍛えた山中教授。
今も研究所の階段を上がる時は、二段飛ばしだとか。
これからに備えてるのでしょう。

多くの人のエネルギーと時間によって支えられる基礎研究。
山中教授の受賞は、縮こまった今の日本人にも希望を与えるニュース。
私も早速、教え子たちに話さないといけません。

秋
cosmos

宮崎大学

星と空が美しい九州・宮崎。この土地には、まともな産業もなかったことから、
美しい自然がそのまま残されました。日南海岸は西日本の高校生にとって、
修学旅行・スポット。私も高二・秋の修学旅行、この海岸を歩きました。

そんな土地にある宮崎大学。地方の国立大が今、どこもそうであるように、
宮崎大も理系重視。文系は教育文化学部しか、ありません。

理系は医学部、工学部、農学部。

医学部は昔、宮崎医科大学と言ってました。それが2003年(平成15年)
宮崎大・医学部として統合。それ故、宮崎大は木花(きばな)キャンパスと
清武(きよたけ)キャンパスに分かれます。木花キャンパスには教育文化学部、
工学部、農学部。清武キャンパスには医学部と附属病院。

普通、キャンパスが別々だと相互に交流もないのですが、宮崎大の場合、
それぞれのキャンパスが近いこともあり、連携が取れてます。

しかも空港から近い。宮崎空港からはタクシーで十五分ほど。
東京、大阪からの飛行時間を考えても、九州各地から電車で来るのと、
それほど変わらない時間でキャンパスに到着できます。

九州、四国の大学では空港からのアクセスは生命線。地元の研究だけでは
最先端を標榜できない以上、学外・研究者との交流が不可欠。彼らが飛行機で
来ることを考えれば、空港アクセスの大切さが理解できるでしょう。

理系重視の宮崎大。医学部については「世界を視野に、地域から始めよう」が
スローガン。地域枠があり、将来、宮崎で勤務することを前提とする
受験生には、通常とは別の受験枠が与えられます。

宮崎に根づきながらも、世界を見据えてほしい。

学部からの切なる願いが窺えます。一方、工学部のラインナップは。

環境応用化学科 社会環境システム工学科 環境ロボティクス科
機械設計システム工学科 電子物理学科 電気システム工学科
情報システム工学科

農学部のラインナップは。

植物生産環境科学科 森林緑地環境科学科 応用生物科学科
海洋生物環境学科 畜産草地学科 獣医学科

どちらの学部も「人に役立つ研究をしよう」「地域に貢献しよう」という
コンセプトが明確。しかも「世界にも羽ばたこう」という意志も見えます。

まず地域に根ざし、そこで活躍し、その過程で海外の研究を利用。
これこそ理想。まず自分の足元を固め、シッカリ固まったら、
そこから視野を広くしていく方法。

宮崎という土地には、珍しい何かがあるわけでなく、東京、大阪に
住んでれば、それほど意識にも上らない土地。文系研究には、
確かに不利でしょう。しかし理系研究となると話は別。
理系研究の場合、施設、空間の広さが重要になるからです。

宮崎大がその現実をシッカリ見抜き、理系重視にシフトしてる点は、
大学経営として、実に正しい姿勢でしょう。大学入学時の偏差値では、
それほどでもなかったけど、理系研究をシッカリさせてくれる宮崎大のような
地方の国立大に、企業からの熱い視線が注がれることは間違いありません。
そう。今、地方・国立大の理系学部は完全にお買い得です。

庭園
garden

山口大学

山口県の真ん中あたり、海沿いに宇部市があります。人口十七万人ほどの
中規模・都市。宇部興産(うべこうさん)以外に見るべき企業もありません。

ですが、この街が西日本・有数の学術都市であることは、覚えておいた方が
いいでしょう。戦前の山口医学専門学校、宇部高等工業学校。
戦後、それぞれ県立医科大学、山口大学・工学部に。
県立医科大学はその後、山口大学・医学部に変わります。

ですから「山大」(やまだい)の医学部、工学部は現在、宇部にあります。
「まじめ川」という川を挟んで、川の西に医学部の小串(こぐし)キャンパス。
川の東、少し歩いて行った場所に工学部の常盤(ときわ)キャンパス。

医学部・小串キャンパスの正門を入ってみると、まず目を引くのは
クリーム色の大きな附属病院。外来病棟は朝から患者さんで溢れます。
山口県には医学部がここにしか、ありませんから、県民の期待は絶大。

ですが山大を代表してるのは、ひょっとしたら、医学部でなく
工学部かもしれません。入学時・偏差値では医学部の方が遥かに
高いのですが、その後の研究内容では、工学部が大きく飛翔してるからです。

工学部・常盤キャンパスは現在、中国、四国地方で最大規模。
学科も地方大学とは思えないほど充実。

機械工学科 社会建設工学科 応用化学科 電気電子工学科
知能情報工学科 感性デザイン工学科 循環環境工学科

このラインナップを見ただけで、工学部の実力が窺えます。
どの学科にも言えることは「ものづくり」を基本にしてること。
機械工学科なら、航空宇宙。社会建設工学科なら、土木計画。

それぞれの学科に強みがあります。どの学科でも、最終的には
研究が「ものづくり」に結び付くようカリキュラムが組まれてます。
社会に役立たない空理空論を排除しようという、学部の強い意志。

しかも地方大学・工学部の場合「卒業生が使えない」という評判が
立ってしまえば、もう終わり。その冷徹な現実をシッカリ見抜いてます。
感性デザイン工学科まで揃えてるあたり、斬新(ざんしん)な姿勢。

家具・居住空間を「デザインする」という概念は新しく、二十世紀・初頭、
ドイツで登場しました。ワイマールにあった「バウハウス」がその中心。
ヴァルター・グロピウスを中心に多くの建築家・芸術家が集まり、
現在、私たちが見る机や椅子、そして居住空間をデザイン。

抽象絵画で有名なヴァシリー・カンディンスキーも
バウハウスに参加し、いくつかの作品を残してます。

循環環境工学科。ここでは環境と化学の相互作用。
そして環境をどう管理するかが、研究されてます。
これも現代が必要とする研究ですね。

山大・本部がある吉田キャンパス(山口市)には共同獣医学部や農学部も。
理系の学部は充実してます。ちなみに医学部、工学部の学生も、
一年次は吉田キャンパスに通います。

明治維新をリードした長州藩。維新後、山口県に。そんな土地が教育を
疎(おろそ)かにするはずありません。山大では研究内容で、
隣の広大を凌ぐ学部も。お薦めの大学と言っていいでしょう。

蝶
butterfly

愛媛大学

松山城の北にあります。隣には松山大学。県立の松山北高校も。
北高・生徒の多くが「愛大」(あいだい)に行きたがるのも当然でしょう。
この文京地区。昔は陸軍の松山練兵場。旧制・松山高校、愛媛師範学校、
新居浜高等工業学校、それらが戦後にくっついて愛大に。

文理学部、教育学部、工学部でスタート! 医学部、農学部も設置され、
現在の愛大に。松山と言えば、坊っちゃんの街。彼は東京物理学校
(現・東京理科大)を卒業し、松山中学(現・松山東高校)に
赴任してきた数学・教員。

坊っちゃんが泳いだ道後温泉(どうご おんせん)は今も残ってます。
お昼時に行けば、広い温泉に自分だけの時も。坊っちゃんが泳ぎたくなった
気持ちも分かりますね。ところが坊っちゃん。一人で泳いでるつもりが、
どこからか生徒が見てたよう。翌日、教室に行くと、
温泉で泳いでる自分の姿が黒板に。

誰だ、こんなものを書いたのは!
知らんぞな、もし。

マドンナへの想いは、結局、伝えられなかった坊っちゃん。そんな彼は
松山の空と海を、膝を抱えて眺めたことでしょう。坊っちゃんのロマン。それは
今の愛大にも、シッカリ受け継がれてます。世界・最先端の研究センター。

宇宙進化研究センター 沿岸環境科学研究センター
地球深部ダイナミクス研究センター

まさに空と海に視線を向けた研究機関。たとえば空に目を向けると、
宇宙進化研究センター。ここでは宇宙の成立、進化の過程を解き明かさんと
研究が進んでます。宇宙物理学では西日本を代表するセンター。

海に目を向けると、沿岸環境科学研究センター。愛大らしく沿岸養殖を
視野に入れた海洋研究。これまで四十年間、愛大は世界各地の海洋で
十万点を超える生物・土壌の試料(サンプル)を収集。それが、
このセンターに「バンク」として保存されてます。

あるいは地球深部ダイナミクスセンター。ここでは世界最高のナノ多結晶
ダイヤモンドの合成、大型化に成功。このダイヤは「ヒメダイヤ」と命名。
ヒメダイヤだけでなく、超硬合金の研究・開発では
愛大。全国でも抜きん出てます。

普通にある砂・岩石から硬い刃を作る技術を研究、開発。この技術を
使えば、切削工具の刃を作る時、レア・メタル(希少金属)を
使用しなくてすみます。

「生命」については無細胞生命科学工学研究センター。ここでは
試験管内でタンパク質を合成することに成功。
試験管内での合成は世界初。

これらのセンターを愛大が生かさないはずはありません。2005年(平成17年)
「スーパー・サイエンス特別コース」を設置。学部生を受け入れ始めました。

環境科学コース 地球惑星科学コース 生命科学工学コース

それぞれのコースがセンターと連携して、入学後の早い段階から高度な
理系・研究に着手。そう。地方の国立大はとっくに理系重視に舵を切ってます。
ロマン溢れる街・松山。そして愛大。一度きりの青春時代。こんな街で
坊っちゃんの伝統に触れるのも悪くありません。

トンボ
dragonfly
松山東高校
東京理科大学

九大・水素材料先端科学研究センター

次世代エネルギーの有力候補・水素。この水素の研究開発が九大で
行われてます。場所は水素材料先端科学研究センター。
2006年(平成18年)に発足。

福岡県には八幡製鉄所(新日鉄)があり、コークスを作る過程で水素が
多量に発生。この水素をなんとか、次世代エネルギーにできないだろうか。
そんな思いから研究が始まりました。福岡には自動車メーカーの工場も多く、
エネルギー源として水素が注目を浴びてたという事情もあります。

水素はクリーンなエネルギー。けれど難点も。それは高圧にした場合、
他の金属を劣化させる性質があること。それ故、化石燃料のように
手軽に使うことができません。

高圧水素はどういう過程で金属を劣化させるのか。

センターでは今、この実験が行われてます。例えば千二百気圧の高圧水素で
金属に衝撃を加え、どの程度の耐久性があるかを計測する実験。

八分に一回の割合で衝撃を加える実験を一万回、繰り返せば、かかる日数は
五十六日間。私企業では、とてもここまでの実験を行うことができません。
こういう作業こそ、センターの出番。

八幡製鉄所に隣接した場所では既に「水素タウン」。水素をガス管で供給し、
スーパーの給電、給湯。車両の燃料に使ってます。
このタウン自体が一つの大きな実験場。

次世代エネルギーでは世界の主導を握ろうという日本の戦略。
これからが楽しみなプロジェクトです。

灯篭
late summer

徳島大学

神戸から見える淡路島。大橋が架かってます。その向こうに徳島。
やはり橋がありますから、大阪からは高速バスで行けます。二時間と少し。

JR徳島駅の「とくとくターミナル」にバスは到着。そこから路線バスに乗って
十分ほどすれば、徳島大学の常三島(じょさんじま)キャンパス。
ここに総合科学部、工学部があります。

キャンパスはもう一つ。蔵本(くらもと)キャンパス。常三島キャンパスから
見て、駅の向こう。ここに医学部、歯学部、薬学部。

文系の学部はないのかな、と思うかもしれませんが、総合科学部に
人間文化学科、社会創生学科があり、とりあえず文系をカバー。
そう。「徳大」(とくだい)は理系中心。

四国で歯学部は官学、私学を問わず、ここしかありません。この徳大・
歯学部からは、2009年(平成21年)ジャスト・システム社長に就任した
福良伴昭(ふくら ともあき)が出ました。

福良は集落初の歯科医師にならんと徳大・歯学部に。ところがジャスト・
システムにアルバイトとして出入りするうちに、才能を認められます。

最後は社長が福良宅に行き、両親に頭を下げる形で福良のジャスト・
システム入社が決まりました。歯学部は中退。入社後、
福良の活躍は言うまでもありません。

さて徳大。医学部には医学科、栄養学科、保健学科。

工学部には。

建設工学科 機械工学科 化学応用学科 生物工学科
電気電子工学科 知能情報工学科 光応用工学科

シッカリしたカリキュラム体系。田舎の大学とは思えないですね。
総合科学部も見てみましょう。人間文化学科、社会創生学科、
総合理数学科に分かれます。

人間文化学科は国際文化コース、心理健康コースに。
社会創生学科は公共政策コース、地域創生コース、環境共生コースに。
総合理数学科は数理科学コース、物質総合コースに。

どれも時代のニーズを正しく反映してます。法学部、経済学部、文学部
といった古くさい学問体系では、現実に対応できません。
それをシッカリ見抜いた学科構成。

徳大。医学部以外は、それほど高い偏差値でなくても入れます。
温暖な気候。オイシイ郷土料理。鳴門の海に行けば、うずしおも。
関西の受験生で、京大、阪大を狙う学力がない場合、
十分、検討に値する大学です。

チーズケーキ
cheese cookies

岡山大学

十一の学部を擁する、国内有数の総合大学。津島キャンパスは広く、
緑溢れ、広さは国立大では北大に次ぐ規模。JR岡山駅を挟むようにして
北に津島キャンパス、南に鹿田キャンパス。鹿田キャンパスには医学部。

岡山藩・医学館の流れを汲む岡山医科大学。ナンバー・スクールだった
第六高等学校。そして岡山師範学校。岡山農業専門学校。これらが戦後、
くっついて岡山大学に。地元では「岡大」(おかだい)。

農学部、歯学部まで備えた本格的な大学。規模も広さも申し分ありません。
ただし岡山という地方都市にあるため、学生の視線が日本全体や世界を
見据えることがなく、卒業生の活躍度では今一歩。

中国地方、あるいは近畿地方で公務員、教員になるとか、地元の大企業に
入るんだったら、岡大はいいかな、という感じ。広いキャンパスも、学生が
ボーとするには、もってこい。結果、全国的に見た場合、岡大が
話題に上ることはほとんどありません。

広域の話題は阪大、広大に任せ、岡大は地元密着型の人材を輩出する。
それはそれで地方・国立大が果たす役割ではあるでしょう。ただ岡大。
このまま小さくまとまってはいけないと思ったのか、五年前に
「マッチング・プログラム・コース」という学部を作り、
理系、文系の垣根を超えた教育を試みてます。

これは意欲的な試み。学生は哲学、生命学、栄養学など、従来は一学部で
学ぶことがなかった科目を複数、履修。ただこのMPコース。歴史が浅く、
うまく機能するかは今後を見なくてはなりません。

医学部についても触れなくてはならないでしょう。医学部は岡大でも別格。
旧六医専の一つでもあった名門。旧六医専とは千葉、新潟、金沢、岡山、
熊本、長崎にあった医学専門学校。これらの大学は医科大学となり、戦後も
全国的、世界的な研究を続けてます。岡大・医からも著名な研究者が出ました。

ドイツに留学し、細菌学を学んだ後、帰国し、化学療法剤
「サルバルサン」を作った泰佐八郎(はた さはちろう)。

高原氏病を発見した高原滋夫(たかはら しげお)。
高原は後に難聴学級の設立にも尽力。

さて岡大。山陽の温暖な気候と眩しい緑に囲まれ、学生たちは、
それなりにキャンパス・ライフをエンジョイしてます。大きな野心もなく、
将来、地元でキチンとした仕事に就きたいと考えてる受験生にとって、
偏差値がそれほど高くなく、地元の信頼も厚い岡大は、
十分にペイしてくれるはずです。

教室
classroom

京大、アルツハイマー病の解明に

アルツハイマー病は神経細胞の外側に「アミロイドベータ」と呼ばれる物質が
たまり、脳の神経細胞を浸食して起こす病気。このアミロイドベータについては、
これまでよく分かってませんでした。アミロイドベータを蓄積しても、
発症しない人もいたからです。

今回、京大・医学部の星美奈子(ほし みなこ)特定準教授のグループは、
試験管内でアミロイドベータの塊を三十個ほど作製。この塊を神経細胞に
混ぜた状態で観察すると、半日ほどで神経細胞の半分が消滅。

アミロイドベータの塊が神経細胞を死滅させることが確かめられました。
ちなみにこの塊の大きさは約7.2ナノ・メートル。1ナノは十億分の一。

今後はアミロイドベータの塊について、その分解を促したり、その働きを
抑える物質があるかどうか、研究される予定。京大・医学部の地道な研究。
応援したいですね。

夏花
summer flower

名大の新技術、交通事故・予防へ

名大・工学部の二つのグループが企業と共同で
交通事故を防止するための新技術を開発しました。

1・運転手の目の動きから、注意力低下を判断する技術
2・運転操作の変化から、脇見運転・居眠りを判断する技術

1はトヨタ自動車、2はデンソーとの共同開発。まず1について。
複雑な交差点で戸惑ったり、眠くなったりすると、運転者の目の動きは
鈍くなります。通常、眼球は頭の動きと逆に動きますが、
注意力がなくなってくると、この動きが鈍くなります。

今回、名大グループはドライブ・シミュレーターを使い、三台のカメラを
駆使し、さまざまな年齢層の被験者を対象に、実験を繰り返しました。
結果、約七割の人の異変を見抜きました。新技術では、単に眼球の動き
だけでなく、注意力の散漫・思考力の低下まで見抜くことができるのが特徴。

次に2。運転時に十五分おきに速度・車間距離・アクセル操作を記録。
運転者の特徴を把握。その特徴と違う操作が出て来たら、脇見、居眠りを
疑います。高速道路を走行中、通常なら車間距離50mでブレーキを
かける人が、そのままにしてた場合、自動でブレーキがかかる仕組み。

シート・ベルト、エア・バック・・・これまで運転者の安全を守る対策は
開発されてきました。これからは歩行者を守る番です。その技術に名大の
知識が活用されるなんて、さすが名古屋を舞台とした研究ではありませんか。

夏の湖
summer lake

京大、ALS治療に前進

ALSは「筋萎縮性側索硬化症」のこと。全身の筋肉が徐々に衰える神経の病気。
生存中の患者から神経細胞を採取することが難しく、病気の原因究明も
進んでません。

ところが京大・iPS細胞研究所では今回、ALS患者三人から皮膚細胞を採取。
iPS細胞を作った後、運動神経の細胞を作製することに成功。対照研究のため、
五人の健康な人からも同じ方法で神経細胞を作製。

その二つの神経細胞を比較した結果、ALS患者の神経細胞は健康な人の
神経細胞と比べて、二つの特徴を持つことが分かりました。

1・脳の命令を骨格筋に伝達する突起部が短いこと。
2・ALS患者に特有のタンパク質が多いこと。

このALS患者から作成した神経細胞に「アナカルジン酸」という酸を
振りかけたところ、突起が通常の長さになり、タンパク質も減ったことが
確認され、ALS治療に大きな一歩が刻まれました。

山中伸弥(やまなか しんや)教授が世界で初めてiPS細胞を作製してから、
はや六年。iPS細胞は再生医療の切り札として注目が集まってます。
この分野で京大が世界をリード。日本人としても嬉しい限り。
山中がノーベル医学・生理学賞を受賞する日も近いでしょう。

夏
green
京大の再生医療(2)

阪大、バイオ医薬品の研究に

阪大・理学研究科の梶原康宏(かじわら やすひろ)教授は、大塚化学、
東京理科大と共同で、バイオ医薬品を低コストで生産できる独自技術を開発。

バイオ医薬品とは動物細胞や大腸菌に遺伝子を組み込んで作る薬。
ガンや多発性硬化症に薬効が。しかし量産が難しく高価。
未知のウイルスや動物由来のタンパク質が混じらないよう
品質管理がタイヘン。その分、コストがかかります。

多発性硬化症の薬では、薬価ベースで年間・二百万円を超えることも。
今回、梶原教授のチームは鶏卵から取り出したさまざまな糖鎖(とうさ)を
アミノ酸と自在に結合させる独自技術を開発。既存薬と同じ効果が
確かめられました。

薬の名前は「インターフェロンβ」。ガンや多発性硬化症の治療に使う薬。
百六十六のアミノ酸から作られるタンパク質製剤。チームは糖鎖と
数十のアミノ酸をくっつけた三つの「部品」をまず作成。
溶液中で混ぜるだけで化学合成が起きます。

これに刺激を与えると、従来の遺伝子を組み込んだ細胞で作るものと
同じインターフェロンβ。要するに化学反応だけで作る汎用薬と同じ製法。

今後、量産化への道を探ります。年間百グラムの生産能力が確立すれば、
実用化できるとのこと。製造コストは大幅に下がり、患者の医療費負担も軽減。

日本はバイオ医薬品の分野では欧米に大きく遅れてました。ですが、
今回の技術が確立すれば、汎用薬の製法でバイオ医薬品が作れる
わけですから、遅れを一気に挽回できます。知恵と技術を使って、
世界と競争する日本の科学界。それをリードする阪大。
さすがですね。

緑
green
阪大の免疫研究

九大、有機ELの開発に

電気を流すと光る有機化合物を利用した有機エレクトロ・ルミネッセンス
「有機EL」。液晶に代わる次世代ディスプレーとして注目されてます。

画面だけではありません。照明でも有望。点発光でなく面発光なので
光が優しい。素材自体が光るため、エネルギー効率が良く、熱も出しません。
薄く延ばせるため、壁や天井で照明することが可能。曲げることもできます。
まさに未来の高級感あふれる照明。

しかし日本企業は、有機ELを着想、開発しながらも、モタモタしてるうちに、
サムスン電子に、あっと言う間に抜かれてしまいました。現在、残念なことに
有機EL市場の八割はサムスン電子が占めてます。

ところが、そんな日本企業に嬉しいニュースが九州から。
九大・未来光学創造センターの安達・研究室。安達千波矢(あだち ちはや)
教授は有機EL一筋に数十年の研究をしてきました。今、研究室の研究内容は。

有機エレクトロニクス・フォトニクス材料の合成 薄膜デバイス化
デバイス物性 有機ELの実用化 有機太陽電池 有機半導体・・・

有機ELの第一世代は蛍光材料。第二世代はリン光材料。安達・研究室では
今回、第三世代の材料として「熱活性型・遅延蛍光材料」を開発。

明るく、コストが安い発光材料。今後の有機ELの中核材料となるのは確実。
その特徴を挙げてみると。

1・液体状の有機ELが可能。
2・曲げても発光層が劣化しない。
3・劣化した発光層を新しいものと交換できる。

液体が光ったり、曲がったオブジェが光ったり。居住空間そのものの概念が
変わりますね。九大からこういう成果が出たことはウレシイ限り。ただ九大。
韓国から近い場所。サムスン電子による技術盗難を、
今度こそ防いでほしいです。

春の空
spring sky
住友化学が有機ELの量産化へ
九州大学

京大の再生医療研究(2)

京大病院の西、鴨川からすぐの所に、iPS研究所と再生医科学研究所が
並んで立ってます。再生医科学研究所の高橋淳(たかはし じゅん)準教授が
ES細胞(胚生幹細胞)から神経細胞を作りました。その細胞を
パーキンソン病のサルに移植したところ、
治療効果があることが分かりました。

再生医療への道がまた一歩前進。世界の医学・生理学の注目が
集まってます。ES細胞の移植で治療効果が見られたのは世界初。
ES細胞は「自家移植」。「他家移植」と比べて、免疫反応や
未知の病気の心配がありません。

作られた神経細胞はドーパミン細胞。パーキンソン病の場合、
このドーパミン細胞が減少するため、手足のこわばり・ふるえ、
運動能力の低下を引き起こします。

今回の実験ではヒトのES細胞からドーパミン細胞を作り、それを
四匹のサルに移植。四匹ともパーキンソン病を患ったサル。すると、
四匹全てで症状が改善。手足がほとんど動かなかったサルも、
三カ月で動くようになりました。

これまでパーキンソン病には中絶された胎児の中脳からドーパミン細胞を
取り出し、それを移植する方法が取られてました(日本では禁止)。

しかしこの方法では一人の患者のために五体から十体の胎児が必要。
またドーパミン細胞だけ移植したいのに、他の細胞まで一緒に移植される
可能性が高く、付随反応が起きることもしばしば。

それに代わる方法として、今回のES細胞の方法が開発されました。
ES細胞の場合、培養でドンドン増やせるため、量の問題は簡単にクリア。
ドーパミン細胞ならドーパミン細胞だけを作り出すこともできます。

もちろんES細胞にも欠点がないわけではありません。
ES細胞は受精卵から作るため、倫理上の問題があります。
また移植後、腫瘍化(ガン化)する恐れも。

とはいえ画期的な方法であることは間違いありません。将来的には
iPS細胞(人工他能性幹細胞)で同じ治療ができないか検討されてます。
いずれはヒトの臨床治療に生かされる予定。

細胞研究で世界をリードする京大。こういう研究所には入学時期に関わらず、
世界中から研究者、学生が集まるでしょう。そこでの言語も自然に「英語」。

中味の充実こそ、大学が取り組まねばならない課題。入学時期の変更で
議論を戦わせてる日本の大学。最先端の研究をしてる人たちから、
ヒマだなあ、と思われてることでしょう。

梅
ume
京大の再生医療研究

名大で不確定性原理を超える理論

量子力学の父、ヴェルナー・ハイゼンベルグ。彼が1927年に発表した
「不確定性原理」は長く量子力学の法則として応用されてきました。
ハイゼンベルグはこの原理の発表によって1932年、
ノーベル物理学賞を受賞。その原理を一言で言えば。

粒子の位置・運動量を、同時に正確に測定することはできない。

電子のような小さな粒子を測定しようとすると、光を当てて
測定しなくてはなりません。しかしこの光を当てる行為自体によって、
粒子の位置・運動量が揺らぎ、正確な測定ができなくなるのです。

ところが2000年代に入り、名大・情報研究科の小澤正直(おざわ まさなお)
教授グループが「不確定性原理」の限界を破る理論を打ち立てました。
一般には「小澤の式」と呼ばれてます。この式では、ハイゼンベルクの
式にもう二つ項目を追加することによって、粒子の位置・運動量を
同時に測定することは、一定条件下で可能であることを導きました。

ただ理論的にはそうでも、それを実験で確かめることはできず、
「小澤の式」はあくまで理論にとどまってました。ところが今回、
小澤教授グループは人工的に中性子を発生させ、中性子が持つ
磁石の性質を二台の装置で測定。中性子の位置・運動量ともに
精度よく測定できる方法を突き止めました。

この結果は小澤理論と一致し、不確定性原理とは矛盾します。
小澤理論が一歩前進したわけです。超微細な世界を扱うナノ・テクノロジー。
今回の発表はナノ・テクノロジーにも大きな影響を与えそうです。

1・半導体デバイス。電子を一つずつ精密に制御して、
高速処理する技術を確立すれば、この分野が大きく前進します。

2・重力波の測定。現在、重力波の測定は、事実上、不可能ですが、
電子を制御できれば、それも可能に。

3・量子計算機。現在のスーパー・コンピューターより
格段に性能のよい計算機が視野に入ります。

情報産業・エレクトロニクス産業は今回の発表によって一変する可能性も。
理系、特に物理研究に優れる名大。その面目躍如と言えるニュースです。

虹
rainbow
名古屋大学

京大の再生医療研究

京大の「iPS研究所」では再生医療研究が行われてます。所長・山中伸弥
(やまなか しんや)教授はノーベル生理学・医学賞の最有力候補。
毎年その呼び声は高いのですが、今年も受賞はなりませんでした。

再生医療と言えば新臓器開発。2000年頃まで、新臓器開発はES細胞
(胚性幹細胞)で行われてました。受精卵を基にした細胞です。

受精卵はもともと身体のさまざまな部位に成長していく可能性を
持っているわけですから、ES細胞が万能性を持っているとしても、
ある意味、当然。

ところがES細胞の場合、ヒトの女性から卵子を取り出す必要がありました。
これは危険な作業で、かつ卵子は将来、ヒトになる可能性を持つもの
ですから、倫理上の問題もありました。

ところが山中教授は2005年12月、ヒトの皮膚から取った細胞に
四つの遺伝子を組み込み、万能性を持つ細胞が作れると発表。
この細胞は「人工他能性幹細胞」(iPS細胞)と名づけられました。
皮膚から取った細胞なのに、どんな細胞にも分化できる能力を持ちます。

iPS細胞について山中教授は翌2006年8月、アメリカの科学雑誌
「セル」に発表。その業績が世界的に知られるようになります。
その後、京大チームは日本国内で特許を取り、今年7月には
欧州で、8月にはアメリカでも特許を取得。

京大は2008年6月「iPSアカデミア・ジャパン」を設立。
今や世界中の大学・研究機関・企業に特許をライセンスしています。

アメリカで特許を獲得した意義は大きいものです。世界最大の
医薬品・市場アメリカで今後大きな開発が行われ、その特許を
保有する京大に、莫大なライセンス料が入る可能性があるからです。

iPS細胞を使って新薬テストが行えるようになれば、現在よりも遥かに
安いコストで新薬開発ができます。絶滅種の毛などからiPS細胞を作り、
クローンを作ることも理論的に可能。ヒトの新臓器開発だけでない、
無限の可能性をiPSは持ちます。

山中教授は神戸大・医を卒業し、大阪で整形外科の研修医に。
ところが医療現場でリューマチに苦しむ患者と接し、
再生医療の必要性を痛感。

何とか人工の骨を、皮膚を、いや臓器をつくれないだろうか。

ここから山中教授の孤独な戦いが始まります。大阪市大・大学院で
基礎研究の道へ。博士課程を修了した後、アメリカに渡ります。

帰国後、研究を続けますが、あまりの待遇の悪さに研究を諦めかけたとか。
ようやく1999年、奈良先端科学技術大学院大学でしっかりしたスタッフ・
研究資金を与えられ、研究を続行。

2004年に京大の再生医科学研究所に教授として招聘されます。
2010年に現在のiPS細胞研究所の所長に就任しました。

静寂
tranquility
京都大学

阪大の免疫研究

阪大・免疫フロンティア研究センターに今、注目が集まってます。
教授の審点静男(あきら しずお)が世界的に研究をリード。免疫研究では
世界一との評価をアメリカの調査会社から得ています。

思えば免疫学。日本が長年、得意としてきた分野。ですが従来の分子免疫学、
細胞免疫学では、体内から取り出した細胞、あるいは培養細胞を
研究する傾向がありました。これでは体内で実際に起きていることを
把握できません。

免疫細胞は免疫のどの段階で発動し収束するのか。
病態時に免疫細胞はどういう行動を取るのか。

これらが分からなかったわけです。それに加え、免疫疾患による症状、
病原体感染による免疫反応。これらを体全体で見極める研究もありません。
そこで免疫フロンティア研究センターでは、体内で実際に起きていることを
シミュレーションすることに力を入れてます。

生体イメージング技術、それだけでなく生体情報学(Bioinformatics)を重要視。
免疫フロンティア研究センターの特徴は外国人が多いこと。教員、研究員の
四分の一が外国人。世界に評価されている証拠。

拠点リーダーの審点は、いつノーベル生理学・医学賞を取っても
おかしくない世界的権威。そんな彼のもとに国籍問わずさまざまな背景を
持つ研究者が集まってます。

国際化の必要性を痛感している同センターでは、事務段階で全て英語。
研究員採用、研究成果発表も英語。この努力がある故に、国内外の
トップ・レベル研究者を集めることができてます。

理系の免疫フロンティア研究センターがここまで英語にこだわっていること。
英語を使えない人ばかり輩出してる日本の英文科、英語学科は、
もう一度立ち止まって考えるべきでしょう。

私が生徒に英作文させても、「グローバル化時代の英語の必要性」については
みんな、肯定的に論じてます。英語を使えなければ、これからの時代、
まともな仕事はできないことをみんなも分かってるのですね。
その通りです。英語はキチンと勉強しとこう。

はばたき
autumn
大阪大学

九州大学

日本で四番目の帝大として福岡に設立されました。医学校の伝統を持つ長崎、
旧制・五高があった熊本も帝大・招致に乗り出しましたが、結局、交通の要所、
福岡に決まりました。今、考えてもこの決定は妥当だったでしょう。
「九大」(きゅうだい)と呼ばれてます。

戦前、既に法文学部を持つ総合大学で、西日本では京都帝大に次ぐ地位。
九州各地だけでなく、中央へも進出する人材を送り出しました。

しかし東京への一極集中が進み始めてから、九大も苦戦。九大・法より、
早慶・法に行こうという学生が増えたのです。実際、福岡空港は都心から
地下鉄ですぐに行ける便利な場所にあり、福岡の学生にとって、
東京はけっこう身近な場所。

東京の大学がライバルである以上、九大も一工夫、二工夫もしなくては
なりません。しかし、その工夫の跡があまり見えません。というか、
九大の特色が見えてこないのです。九大と聞けば、相変わらず
火山研究、地震研究ばかり。

よく考えれば、九大こそ、これからのアジア時代を先駆けすべき大学では
ないでしょうか。中国、韓国、台湾とのさまざまな交流の先鋒を、
九大が担うこと。地の利を生かしたアジア研究が出て来ること。

こういった未来志向の研究が、九大からドンドン出るべきです。
そうあってこそ、九大が東京から学生を引っ張る状況も生まれるでしょう。

原発問題の行方しだいでは、日本の重心が関西、九州に移る可能性も
あります。九大には、そういう意識も求められるでしょう。

キャナルシティ
Hakata Canal City

神戸大学

六甲山・中腹にあり、景色のよい大学。山から海へ伸びる神戸の街並み。
そして大阪湾。晴れた日には紀伊半島も見渡せます。夜景は素晴らしく、
京大、阪大を断念して進学してきた学生も「よし、じゃ、ここでガンバろう。」

昔は神戸高等商業学校。それが神戸商業大学に昇格。
戦後、神戸大学になりました。地元では「神大」(じんだい)。

関西を支える経済人を養成する学校として発展。経済学部、経営学部の
二学部を擁してます。戦前、阪大・文系がなかったことを考えると、
神大の役割は極めて重要でした。実際、関西・財界人の重鎮の中には、
神戸商大、あるいは神大を出た人がたくさん。

阪大・文系が実力を付けてきてからは、神大・文系の地位も相対的に
下がりましたが、それでも偏差値のわりに良い企業に就職できると
言っていいでしょう。それほど過酷な受験勉強せずとも入れる
ことから、バランスの取れた学生が多いようです。

実際、北野、長田といった関西の公立・進学校で平均くらいに
位置する受験生にとって、神大は狙いやすい大学。

実際のビジネスでは、一芸に秀でてるけど変人、という人より、
場の空気を察したり、相手をなごませたり、という人の方が重要。
その意味では、神大の偏差値は、ある意味、理想的かもしれません。

工学部、医学部もあるのですが、全国的に知名度あるという人は
出てません。関西に根づいて地域に貢献する、そういう卒業生が
多いのでしょう。それはそれで、地方大の役割として重要なこと。

関西の大学の特色かもしれませんが、神大は多くの落語家も輩出。
英語・落語など多彩な落語を展開した桂枝雀(かつら しじゃく)も、
神大で学びました。恐らく今も、枝雀に続かんと、若き才能が
その芸を磨いていることでしょう。

関西出身の私としても、神大からエラい財界人が出るより、
落語家こそ出てほしいと思うしだいです。

六甲
The nightview from Mt.Rokkoh

長崎大学

江戸後期、シーボルトの「鳴滝塾」(なるたき じゅく)が源流。シーボルトは
ドイツ人ながら、オランダ人のふりをして長崎に入ってきます。

幕府通詞も、彼がドイツ人であることを最後まで見抜けませんでした。
この事実をもって、シーボルトが秘密結社の諜報員だったという説が
ありますが真相は分かりません。

シーボルトはタキという日本人の愛人を得て、長崎で多彩な活動を展開。
鳴滝という閑静な場所に塾を開き、蘭学、医学を教え始めました。
その教育内容は幕府教育の数十年先を行っており、鳴滝塾には
多くの秀才が日本全国から集いました。

ちなみにシーボルトとタキとの間に生まれた女子が、シーボルト・いね。
シーボルト帰国後、いねは鳴滝塾・出身者、四国・宇和島藩の二宮敬作
(にのみや けいさく:産科医)に師事。日本初の女医となりました。
やはり産科医です。いねは宇和島にいた頃、村田蔵六
(むらた ぞうろく:大村益次郎)とも交際。

東北・水沢藩出身の高野長英(たかの ちょうえい)も、鳴滝塾の秀才として
シーボルトから蘭学・医学の薫陶を受けました。鳴滝にある
シーボルト記念館には、長英がシーボルトに提出した
レポートが今も残っています。

正確なオランダ語を、几帳面な筆跡で書いたレポート。
若い長英の真摯な態度が伝わってきます。

長じて幕府に追われる身となった長英。驚異的な知力、体力で幕府の目を
かいくぐり、東北から四国まで逃亡生活を送ります。四国で二宮を
頼ったことは言うまでもありません。このように、長崎は
西洋医学が日本に初めて移植された土地でした。

私は長崎・大浦駅近くにある塾で一年間、受験指導をしたことがあります。
毎週、飛行機に乗って大村空港に向かい、駅前ホテルに泊まりながら、
朴訥(ぼくとつ)な生徒たちに英語を教えました。

長崎はどこで食べても食事がおいしく、東京から来た、というだけで大事な扱い。
仕事が暇な、ある冬の日、塾の校長先生が私にフッと。

長大(ちょうだい)医学部の先生たちにはね、今も自分たちこそ、
近代医学の伝道者という自負があるんですよ。

長大は医学部を抜きには語れません。教育学部、経済学部もありますが、
長大のシンボルは、鳴滝塾に端を発する医学部。
それは長崎の誰もが認めることでしょう。

思案橋。蛍茶屋。唐八景。出島・・・ロマンチックな地名を持つ長崎での
日々を私は生涯、忘れないでしょう。そこで出会った熱心な生徒たちも。

カステラ
Nagasaki Castella
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