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金沢大学

加賀・百万石の街・金沢。ここに北陸を代表する総合大学があります。
金沢大学です。旧制・第四高校、金沢医専、金沢高等師範、
金沢工専が戦後にくっついて、新制・金沢大学となりました。
地元では「金大」(きんだい)。

街を北西から南東へ流れる浅野川。川を挟んで二つのキャンパス。
メインの角間キャンパスと医薬保健学域がある宝町・鶴間キャンパス。

角間キャンパスは広く、緑の中に校舎が点在。1990年代初頭に
できた校舎は新しく、どれも落ち着いたレンガ色で統一。

中地区と北地区・南地区の間には長いプロムナード。
金大のシンボルともなっていて、小説やドラマの舞台にも。
JR金沢駅からバスに乗ると、このプロムナードの下まで
連れてってくれます。

金大では学部で編成されておらず「学域」で分かれます。

人間・社会学域 理工学域 医薬・保健学域

入学時に細分化せず、入学後、知識を広げてから専門領域を
決めてほしいという大学側の配慮。確かに入学時、ドイツ文学でも
勉強しようか、と思って入ったけど、その後、ビジネスや会計学に
興味が出てきてシマッタ、ということはよくある話。

金大の場合、文系は人間・社会学域だけですから、ここに入っとけば、
入学後、自由に専門領域を決めることができます。

里山まである広いキャンパス。キレイで新しい校舎。自由なカリキュラム。
キャンパスのあちこちにある十以上の学食。三つの図書館。
これで人気が出ない方がフシギ。

とはいえ金大。他の地方大と同様、文系の弱さは否定できません。
全国的、世界的に通用する卒業生が出てこないのです。

かつての四高からは泉鏡花(いずみ きょうか)徳田秋声(とくだ しゅうせい)
室生犀星(むろう さいせい)といった文豪が出ました。三人の像は
市内にある四高記念館の前に、今も昔の姿で立ってます。
彼らに続く新しい文豪が金大から出てほしいもの。

石畳の街並みを残す金沢。街の魅力では決してひけを取りません。
金大から全国に情報発信する態勢を整えるべきです。
その時「価値創造」のコンセプトが不可欠となるでしょう。

緑
green

国際教養大学

秋田空港のすぐ隣にあります。周囲は秋田杉に囲まれた森。
開学は2004年(平成16年)ですから、まだ十年も経ってません。
とはいえ、その大学が今、全国で最も注目を集めてます。

英語では"Akita International University"。"AIU"(エー・アイ・ユー)。
学部は国際教養学部のみ。定員は百七十五名。数十倍の志願者が殺到。
どうして片田舎の大学がこれほど人気を集めるに到ったのでしょうか?

その理由は抜群の就職率にあります。古くさい地方大・文系の場合、
就職先は地元の役所か教員に限られます。よそでは通用しません。

東京の一流企業への就職など夢のまた夢。学生にそんな覇気がなく、
教員の能力も低いまま。結果、地方大・文系では、教育学部が
幅を利かします。そして退屈な教員を再生産。雰囲気は沈滞。

けれどAIUの場合、学生会館に貼り出された内定先を見ると。

三井物産、キャノン、本多技研、三菱東京UFJ、
ソニー、新日鉄、日本郵船・・・

一流企業がズラリと並びます。しかも就職率は100%。人気の秘密はここ。
就職率だけではありません。AIUは画期的な試みを次々と実行。
一年生は全員、キャンパス内にある「こまち寮」で寮生活。勉強に
集中させます。寮入口には「勉強しない若者に未来はない」。

キャンパス内には学生宿舎もありますから、二年次以降、寮から宿舎に
移行することも可能。秋田市内に下宿したところで
通学に一時間もかかるだけ。

そもそも秋田市に何の魅力もありません。ならばキャンパス内に
とどまった方が能率的。しかも空港がすぐ近くにありますから、
東京、大阪、札幌、福岡が等距離。

秋田県が設立した公立大学・法人なのに、AIUは全国から学生を集めます。
秋田市からは遠くても空港からは近い。この有利さには
誰も気づきませんでした。

授業は全て英語。一年次は聞く、話すを含め、英語の徹底した学習が
義務付けられます。逃げることはできません。「英語を習う」のではなく
「英語で習う」。現在、日本の大学でこれを実践できるのはAIUだけ。
外語も上智もICUも「語学を習う」だけで「語学で習う」わけではありません。

AIUでは英語集中プログラム(EAP)と基盤教育(BE)で英語漬けとなり、
全面的な英語力を身に付けてから専門課程に入ります。

専門課程はグローバル・ビジネス課程(GB)と
グローバル・スタディズ課程(GS)。

英語でのプレゼンテーション。そしてディスカッション。
確かに、これで鍛えられた学生は企業のニーズに即応。

一年間の留学プログラム。AIU生は全員、世界のどこかの大学に留学。
留学先の選定、学費も大学が全面的にバック・アップ。有名大で見られる
ツマラナイ一般教養。身に付かない第二・外国語。
そのようなムダが一切ありません。

アメニティ(設備)も充実。秋田杉で作られた図書館は三百六十五日・
二十四時間ずっと稼働。図書館には「言語異文化・学習センター」。
さまざまな外国語の自習施設が完備。教材もCDやDVDなど多種多様。
英語以外の言語を習いたければ、ここへ来ればいいわけです。

AIUの理事長・学長を務めた中嶋嶺雄(なかじま みねお)。
画期的な大学運営は、ひとえに中嶋学長の手腕によるもの。

外語・学長だった中嶋。けれど外語で頑迷な教授会の反対にあい、
まともな改革もできませんでした。マスコミにもよく登場してた中嶋学長。
嫉妬深い教員の間で支持を集められません。
数年で学長の座を降ろされます。

AIU発足時、そんな中嶋に白羽の矢が立ちました。外語での経験から、
愚かな教員と視野の狭い学生にウンザリしてた中嶋。
二の足を踏みます。けれど。

全面的にお任せします。思い切りやって下さい。

大学側からのオファー。外語では果たせなかった大学改革を、
中嶋は一からやってみることに。新設大学だったことにより、
無意味なしがらみもなく、中嶋の先見性と実行力が隅々に発揮。

当たり前のことが当たり前に実行されていく風景。
中嶋にとって爽快だったでしょう。

何の実績もないけど、面白そうな大学。おっかなビックリで入学してきた
学生も、中嶋学長のやる気に触発されます。有名大に入学した学生は、
ボンクラ教員の無意味な授業に失望し、サークルだのバイトだの、
愚にもつかない時間潰しに没頭。蜃気楼を見つめ続けた挙句、
プライド以外、何も身に付けられずに終わります。

けれどAIU。「英語で習う」ことの難しさを知ってればこそ、第二・外国語など
やめ、英語だけを集中的に鍛え、その後、専門課程で「英語で習う」を実行。
結果を出しました。ホンとは、こういう発想は外語がいち早く持ち、
採用すべきものでした。

けれど外語では無能教員が、昔ながらの訳読にしがみつき、
批判力ない学生も、それに何の疑問も持ちません。女子ばかりが増え、
外語の質低下は目をおおうばかり。外語はドンドン時代から取り残され、
今に到ります。改革を実行しようとした中嶋学長すら、
追い出してしまいました。

結果、府中にある外語。建物だけキレイで中味は無残。学生は専攻語すら、
ろくすっぽ話せないまま、単位だけ取って卒業。就活でも、その薄っぺらさは
面接官に簡単に見抜かれ、以前なら楽勝だった総合商社への入社も苦戦。

就職できない女子学生が、行く場所もなく、ドンドン外語・大学院に進学。
けれどモラトリアムが長引くだけ。大学に残る資質もありません。
最後の最後で、それまでいい顔をしてた指導教員が引導を渡し、
学生を放り出します。

堕落してるのは外語だけではありません。AIUの大躍進を見て、
全国の大学が危機感を感じてます。東大は秋入学を発表。京大は
一般教養の廃止を決定。けれど相変わらず、こういう大学では
教授会の「学問の自治」に反対され、身動き取れません。

例えば、東大・秋入学。その後、どうなったのでしょうか?
言うだけ言っといて、後はほったらかし?

いつから秋入学になるかをアルバイトの東大生に聞いても
「私たちも分からないんです。」情けない限り。

中嶋学長は今年二月に亡くなりました。AIUでは大学葬を行い、哀悼。
学長、理事長のポストは当分、空白に。

欺瞞と怠慢に毒され、どうしようもない日本の大学界。
そこに風穴を開けた中嶋学長。AIUの今後の使命は大きいでしょう。

電話
telephone

弘前大学

明治期、青森県に旧制高校を設立する計画が持ち上がった時、
真っ先に誘致に乗り出したのは弘前市でした。

遅れて青森市も名乗りを上げ、県議会の議論は真っ二つ。
結局、知事裁定で弘前に決まりました。

旧制・弘前高校。青森だけでなく、東北全体から秀才を集めました。
青森中学を卒業した津島修治(つしま しゅうじ)も
この弘前高校にやってきました。語学の得意な青年。

そのまま弘高を出て、地元で英語の先生にでもなってれば、
静かで幸せな人生を遅れたかもしれません。

優男でハンサムだった津島。どこへ行ってもモテました。
才に恃(たの)むところあったのでしょう。津島は弘高を出た後、
東京帝大への進学を決めます。専攻は文学部・英文学科。

東京へ出たことが津島にとって運の尽きでした。
太宰治(だざい おさむ)として作家デビューし、
一躍、文壇の寵児となるも、その人生は苦悩の連続。

苦悩を作品に組み込むことが、現実の苦悩を一層、助長。
太宰は作家としての自分を、どれほど後悔したことでしょう。
その結果、私たちに残された太宰の作品群。

こんなもの、一切、書かなくてよかったから、
個人として幸せに生き、満足して生涯を終えてほしかった。

太宰治・全集の前に立つ時、私はいつも、
心からそう思わずにいられません。

さて弘前に戻りましょう。戦後、旧制・弘前高校の流れを汲む
弘前大学が誕生。地元では「弘大」(ひろだい)。

県庁所在地にありながら国立大を設立できなかった
青森市民の落胆は、察するに余りあります。

弘大キャンパスは二つ。そう遠く離れてはいません。
本部がある文教町キャンパス。医学部がある本町キャンパス。

弘大でも農学が元気です。名前は農学生命科学部。
生物学科も揃えた本格的な陣容。

生物学科では生命現象の全体を対象とする幅広い研究が行われてます。
対象領域を広くすると、学生はややもすれば、自分が何をやってるか
分からなくなったりします。とはいえ、それは視野を
広く取った場合にどうしても生じる問題。

その問題を克服し、徐々に専門分野がクッキリしてくる時、
最初から対象を狭く絞って、まとまった場合より、
遥かに広い地平線と、高い専門性を獲得できます。

同じ学部には園芸農学科も。ここでは弘前・特産である
リンゴの品種改良が研究されてます。

弘前リンゴは全国のリンゴ生産量の二割を占める有名ブランド。
ブランド維持のためには、絶え間ない品種改良が不可欠。

また地域環境工学科では農学・工学の連携を模索。
卒業生からは農業土木・技術者になる人も多く、
地域に根づいた取り組みを行ってます。

医学部だけではない弘大。二つのキャンパスが近いことも大学の強み。
地方大には、四つや五つのキャンパスがバラバラになってる
情けないタコ足大学も、たくさん。

弘大は自らの強みをもっと自覚し、対外アピールし、
東北の覇を東北大と争うくらいの気概が必要でしょう。
その下地は十分に整ってます。

春の弘前城
Hirosaki Castle in spring

新潟大学

大宮から乗った上越新幹線。高崎を過ぎて湯沢に入った途端、外は雪景色。
旅館やホテルが立ち並び、向こうにはスキー場。新潟に行くのはやめて、
ここに泊りたいほど。けれどそのまま乗り続けましょう。

長岡になると雪は少なくなり、やがて新潟に。万代口(ばんだい ぐち)を
出ると目の前にバス・ターミナル。七番乗り場から、新潟大学行きのバス。

やがてバスは市役所前に。降りると新潟大は目の前。地元では「新大」
(しんだい)。まず見えてくるのは歯学部・総合病院。そして附属病院・外来棟。
向こうに医学部・研究棟があります。外来棟と研究棟の間にタクシー待機所。
白衣を着た教員、学生が通り過ぎます。

見るとヒポクラテスの樹。ヒポクラテスは人体を地、水、火、風の四元素に
分類し、治療法を確立しました。加持祈祷でなく科学的方法で
医学をスタートさせた、言わば「医学の父」。

そのヒポクラテスが実際に講義をしたと伝えられてる樹がヨーロッパに現存。
その木の種子を持ち帰り、ここに植え、この樹になったとか。

研究棟の向こうには赤門。ここが正門。1912年(大正3年)。
まだ新潟医専だった頃に作られた門で、今では有形文化財。

けれど、どう見ても裏門。レンガの塀も傷んでます。大学のシンボルなのに、
これでは少し物足りないですね。その正門・横には脳研究所。日本で
脳を専門にした研究所はここだけ。五部門に分かれます。

基礎神経科学部門 臨床神経科学部門 病態神経科学部門
統合脳機能・研究センター 生命科学リソース研究センター

医学部・歯学部を備えたこのキャンパスは旭町(あさひまち)キャンパス。
旧六医専の一角だった新潟・医学専門学校を前身とします。北陸で医学部、
歯学部を揃えてる大学はここだけ。総合研究を目指します。

新大の他学部はJR越後線で六つほど行った五十嵐キャンパス。
人文、法、経、教育、理、工、農の学部がここに。

医学部、歯学部生も一年次には、五十嵐キャンパスで学びます。
二年次以降、旭町キャンパスに移ってきます。医学部の場合、カリキュラムは。

一年次・・・基礎医学・生理系
三年次・・・基礎医学・病理系
四年次・・・臓器別統合カリキュラム

四年次・終わりにCBTとOSCE(オスキー)と呼ばれる共通試験に
合格しなくてはなりません。五年次からは臨床医学が始まります。
そして六年次には臨床実習。

外来棟は十二階まであります。最上階にはレストランがあると聞いて
行ってみました。なるほど日本海を見渡せる雄大な眺め。海岸には
松林が広がり、向こうには荒々しい日本海。まだ冬です。
地域医療を担う新大。その責任は大きいでしょう。

鳥
little bird

群馬大学

前橋市を南北に貫く国道十七号線。駅から北へ向かうと、左に群馬大学・
附属病院が見えてきます。正門から入ると、右に附属病院。
左に医学部キャンパス。医学科だけでなく、保健学科も。
戦前は前橋医専。

群大はこの昭和キャンパスと荒牧キャンパスに分かれます。
荒牧キャンパスは十七号線をさらに北上した場所。
教育学部と社会情報学部。

一年次は全員、荒牧キャンパスで教養教育科目を学び、
二年次から、それぞれ分かれます。

さて医学部のある昭和キャンパス。正門から少し歩くと大学生協。生協・隣に
生体調節・研究所。向こうに重粒子線・医学センター。そう。群大・医学部は
地方大とは思えない専門センターを揃えてます。まずは生体調節・研究所。

設立は1963年(昭和38年)で「内分泌研究所」という名前でした。
群馬は海がなく海藻・摂取量が少ないため、甲状腺疾患が発生しやすい土地。
そのため甲状腺ホルモンを研究するセンターが、群大に設立されたわけです。
1994年(平成6年)従来の内分泌(ホルモン)だけに限定されない、
もっと視野の広い研究所「生体調節・研究所」として再出発。

研究所では生命活動を大きく分泌系(代謝系)と神経系に分け、全体として
捉える研究を目指してます。ホルモンだけでなく、増殖因子、脂質メディエーター、
神経伝達物質の研究まで。内分泌系の研究では、日本トップ・クラス。

もう一つの重粒子線・医学センター。重粒子線は炭素イオンを高速に
加速して病巣に当てるため、線量集中性が高く、ガン細胞を破壊する
力も大きい治療線。照射制度も高いため、健常細胞を温存することも可能。
副作用が従来の放射線治療に比べて少なく、治療期間も短くてすみます。

群大・医学部は放射線・治療研究が全国でも屈指であったため、
2010年(平成22年)3月、最初の重粒子線の治療センターがここに設立。
現在でも重粒子線・治療はここも含めて三か所のみ。

放射線・医学総合・研究所(千葉市)。
兵庫県立・粒子線・医療センター(たつの市)。

世界でも重粒子線・治療は開発中で、世界で見ても、この三か所だけ。

前橋は典型的な地方都市。街を歩いてても、あまり活気がありません。
何より、人の姿が少ない。県庁所在地なのに。

けれど群大・医学部。そんなことをものともせず、
日本や世界をリードする研究を進めてます。

木
tree

茨城大学

徳川・御三家の一つ、水戸藩。二代藩主・徳川光圀(とくがわ みつくに)
の頃から歴史研究・歴史教育が盛んで、「水戸学」という国学も誕生。

江戸・後期に登場した九代藩主・徳川斉昭(とくがわ なりあき)は
「烈公」(れっこう)と呼ばれたほど、強烈な尊王攘夷・思想の持ち主。

斉昭は歴史だけでなく政治・軍事などを教育する藩校・弘道館
(こうどう かん)を1841年(天保12年)に設立。幕末の日本を動かした
桜田門外の変、天狗党の乱には、弘道館で学んだ者たちが関わりました。

何より、この弘道館からは徳川最後の将軍・徳川慶喜(とくがわ よしのぶ)
が出ました。「腰抜け」「卑怯者」と呼ばれる慶喜ですが、今、思えば、
江戸から明治へのスムーズな移行は、ひとり泥をかぶった慶喜の
存在抜きには不可能。慶喜の先見性は、ここ弘道館で培われました。

さて、そんな水戸にある国立大学が茨城大学。地元では「茨大」(いばだい)。
JR水戸駅・北口からは茨大行きのバスが出てます。乗れば十五分ほど。
キャンパスには、まだ雪が残ってます。ここ水戸キャンパスには人文学部、
教育学部、理学部。日立に工学部。土浦に近い阿見(あみ)に農学部。
一年次は全員、ここ水戸キャンパスの共通教育棟で学びます。

工学部が日立にあるのは企業との提携を考えた場合、当然でしょう。
日立には多くの企業や研究施設があるからです。学生にとって、将来の
就職先ともなるわけですから、キャンパスは、近くにあった方がいいですね。

阿見には、もともと県立の農科大学がありました。その大学が茨大に
吸収されたので、現在のキャンパスもここ。霞ヶ浦に近い場所に、
緑溢れるキャンパスが広がってます。

教育熱心だった水戸藩の伝統は、茨大・教育学部にも受け継がれてます。
附属の小中学校も備えた本格的な教育学部。普通、教育学部が全学を
引っ張るなど、なかなかないのですが、ここ茨大では、そうなってます。
そしてそれは、決して悪いことではありません。

人文学部、教育学部があるせいか、水戸キャンパスには女子の姿が
目立ちます。ノンビリした感じの女子たち。入学者・千六百名のうち、
八百名以上が県内・出身者。地方の国立大らしく、茨大は地元から
人を集め、地元に貢献する大学です。

ノルウェイの森
winter

山形大学

大宮から乗った山形新幹線「つばさ」号。福島までは仙台行きの
「やまびこ」号と連結して走ります。福島で切り離し、山形へ。

福島を出た途端、列車の外は雪景色。煌(きら)めく樹氷。凍った川。
晴れ渡った空。幻想的な世界が流れていきます。やがて「つばさ」号。
米沢を過ぎ、山形へ。JR山形駅から山形大学へは少し遠い。
タクシーに乗ることにしました。

この辺じゃ、天気いい日に「もうけた」て、言うんだべ。

運転手さんが話しかけてきます。変わった客だと思ったのかもしれません。
そうしてるうちに山形大学・小白川キャンパスに到着。
地元では「山大」(やまだい)。理系重視の総合大学です。

小白川キャンパスがメイン。全学部、一年次はここ学びます。
二年次から、それぞれのキャンパスへ。

小白川キャンパス・・・人文学部、地域教育文化学部、理学部
飯田キャンパス・・・医学部
米沢キャンパス・・・工学部
鶴岡キャンパス・・・農学部

地域教育文化学部を除くと、文系は人文学部のみ。この中に
法経政策学科があり、法学と経済学を一応は揃えたことにしてます。
地方の国立大が独立した法学部、経済学部を設立しても、
需要がない土地が多く、これはしかたないことでしょう。

ただ問題は理系。理学部まで整った陣容なのに、理、医、工、農の
キャンパスが全てバラバラ。典型的なタコ足大学。
医学部の飯田キャンパスは市内にあるとはいえ、
米沢や鶴岡のキャンパスはいかにも遠い。

これでは学部間の有機的な連携を図ることはできません。
空間の共有はかくも大切なのです。とはいえ、工、農ともに、
学科コースを見れば、一通り、必要な分野をカバー。

ですから、最先端の研究や、今までにないものの発明などは
できないとしても、将来、地元でエンジニアや農業技師としてガンバりたい、
という人には、それなりに応えられるでしょう。

かくして山大。ノンビリした雰囲気の漂う、地方の国立大となってます。
山形が好きだ。この地元で働きたい。そういう人には、
これで良いのでしょう。

森
forest

信州大学

国立大の中で古来の名前を使ってるのは、ここと弘前大、そして琉球大だけ。
長野県・松本市にあります。八王子からだと「特急スーパーあずさ」で
二時間ほど。冬期講習も終わってヒマな身なれば、行ってみることに。

JR松本駅。お城口を出るとバス・ターミナル。駅の温度計は7℃。
澄み渡った冬空。良い時期に来たものです。バスは北市内線。
「西まわり」に乗ってみましょう。深志高校・裏を過ぎて、
やがて信大・附属病院がドーンと見えてきます。立派な病院。

その裏に、と言っては失礼ですが、病院の陰に隠れるように
信州大学はあります。地元では「信大」(しんだい)。
八学部を揃える総合大学。

全学部、一年次ではメインの松本キャンパスの「全学教育機構」。
二年次以降、それぞれの学部ごとにキャンパスが分かれます。

松本キャンパス・・・人文学部、経済学部、理学部、医学部
長野キャンパス・・・教育学部、工学部
南箕輪キャンパス・・農学部
上田キャンパス・・・繊維学部

上田の繊維学部こそ、実に信大らしいと言わねばなりません。ファイバー、
すなわち繊維に特化した学部は、全国でもここだけ。
養蚕(ようさん)が盛んだった信州らしい、ニクイ学部。

繊維は今や、衣料だけでなく新素材である「炭素繊維」、どんな水でも
キレイにする「浸透膜」など、さまざまな分野で必要とされてます。
しかも、この分野では日本企業が断トツ! 東レ、帝人、三菱レイヨンが
世界のマーケットを席巻。

とはいえ、このような有望なマーケットを、したたかなサムスンが
見逃すはずありません。数年前に「膜」の分野に参入したと思ったら、
アッという間に商品化に成功。いつものように、日本企業から技術者を
引き抜き、開発に数十年かけた技術を盗むやり方。

今度こそは日本企業。電子のミジメな敗北を教訓に、
技術流出を防いでほしいですね。

さて信大。旧制・松本高校の流れを汲んでます。松本高校と言えば、
旧制高校の中でも、最もロマンチックな高校。談論風発。雄大な山々に
囲まれて、生徒たちは政治、文学、哲学を語り合いました。

ここから北杜夫(きた もりお)辻邦生(つじ くにお)と言った、
高名な作家が出ました。彼らが作家として名声を博した後も、
松本高校での青春時代を懐かしみ、それを文章にしてることは有名。
「学都」を自認する松本市の面目躍如でしょう。

とはいえ信大。旧制・松本高校のロマンティシズムだけでは、
やっていけません。戦後、信大に変わってからは、まともな作家も
文学者も出てません。そもそも文化人が出ないのです。

大学が活性化するためには、文系、しかも人文がガンバらないと
いけません。ですが信大。どうやら過去の遺産を食い潰し、新しい何かを
作り出せないまま、時を過ごしました。そう。今の信大は医学部で、
なんとかもってるようなもの。東京の受験生は「信大」と聞いても、
医学部・以外に何も思いつかないでしょう。

今こそ、信大は人文学部を中心にテコ入れし、過去の伝統を復活させるべき。
でないと、これだけの規模を持ちながら、地元の公務員、教員を輩出する
くらいがせいぜいの、ローカル大になる恐れがあります。
今が正念場です。

雪山
mountains

山梨大学

からっ風が吹きすさぶ甲府盆地。寒い。かつてここを武田氏が支配。
清和・源氏の流れを汲む武田氏。その勢力は十六世紀半ば、
武田晴信(たけだ はるのぶ:後の信玄)の時代に絶頂。

晴信は父・信虎を今川家へ追放し、家督を相続。
みごとな統率力で武田家をまとめました。

さて、そんな甲府。JR甲府駅・北口を降りてみましょう。そのまま北へ
緩く真っすぐな坂。武田通り。歩いて行くと、あちこちに武田家ゆかりの
武将の碑。武田家は今も、甲府市民に愛されてるのですね。

十五分ほども歩くと山梨大学が通りの両側に見えてきます。
地元では梨大(なしだい)。右は工学部、左は教育人間科学部。

医学部もあるのですが、ここメイン・キャンパスからは遠く離れた場所。
もともとは山梨医科大学と言って別学だったのが、2002年(平成14年)に
梨大・医学部に。けれど遠すぎて、メイン・キャンパスとは、
ほとんど交流がありません。

要するに、実質的には梨大、二学部のみ。教育学が時代を牽引する学問に
なるとはとても思えませんから、梨大の今後は、ひとえに工学部に
かかってます。工学部の学科構成を見てみると。

機械工学科 電気電子工学科 コンピューター理工学科
構成メカトロニクス工学科 土木環境学科 応用化学科
先端材料理工学科

一通りのことは学べる陣容。けれど山梨に有力な産業もないことから、
やはり梨大。工学部だけでは大きな飛躍は望めません。

この構造的な閉塞状況を打破すべく、梨大では今年度より、
生命環境学部を設立。地の利を生かした「ワイン科学特別コース」も。

けれどキャンパスが手狭で独立した建物を建てることができず、
生命環境学部はキャンパスのあちこちに点在してる有様。
これで、まとまった研究ができるでしょうか?

かくして梨大。今のところは存在感を出せずにいます。
新宿から特急かいじ号に乗れば、一時間少しで行ける
ロケーションにもかかわらず、その便利さを生かせてません。

実はJR甲府駅・北口の駅前には今年度、大きな新しい建物がオープン。
ところが、これがなんと、図書館! これでは甲府市民は呼べても、
よそから人を集めることはできません。街が沈滞してる状況で、
どうしてここに、このようなものを作ったのでしょう?

そう。ここには図書館などではなく「楽市・楽座」を作り、全国から人が集まる
センターにすべきでした。それがひいては甲府・文化の活性化につながり、
地元の教育機関にもバイタリティを与えるはずだったのでした。
それなのに・・・

今のところ、温泉とワイン、そして武田家ゆかりの観光施設しか
売り物のない甲府。市民が愛する戦国武将たちの知恵からは、
今こそ学ぶべきことが少なくないはずです。

ぶどう
grape

帯広畜産大学

北海道・十勝平野。その真ん中にある帯広市。そこに帯広畜産大学は
あります。国立大学です。地元では「畜大」(ちくだい)。

本部校舎は三階建て。伝統ある様式。本部校舎だけでなく実習棟、研究棟。
そして外来で動物を診察してくれる動物医療センター。
広い敷地にいろんな校舎が建物が点在。

畜大ができたのは戦後すぐのこと。十勝といういかにも北海道らしい場所に、
畜産を専門とする国立大ができたのは、当然の成り行きでした。

共同医学獣医過程。ここは獣医学ユニットのみ。獣医を養成する学科。

畜産科学課程。ここはいくつかのユニットに分かれます。

生命科学ユニット 家畜生産化学ユニット 食品科学ユニット
環境農学ユニット 農業経済学ユニット

まさに「畜産学」「生命学」「農学」「植物学」全て
カバーしようとする気迫が学科構成からも窺えます。

乳牛の疾病を分子レベルで解明しようという研究。
リサイクルして家畜飼料を生産しようという研究。
植物が本来、持つ力を発揮させる栽培方法の研究。
マーケットから農業・社会の関係を見ていく研究・・・

畜大の研究テーマは多岐に及んでます。OBにカルピスや雪印乳業の
社長が名を連ねてるのも、なるほど。とはいえ、これらの研究は総合大の
獣医学部、農学部でも、できない研究ではありません。

というより、広い視点に立てるという点では、総合大の方が、
より有利とさえ言うこともできます。

畜大には「畜産」に特化した、もっと深く突っ込んだ研究が、
必要ではないでしょうか?

そう。畜大に今、ホンとに必要なのは畜産を支える「哲学」へのアプローチ。
これを抜きに、いくらテクニカルな研究を進めてみても、
総合大と変わらない成果しか出て来ないでしょう。

畜産業。これは家畜の殺生の上に成り立つ産業。大型動物ならば、
人間と全く同じでないにせよ、感情を持ちます。けれどエサを与えられ、
太らされ、殺される彼ら。

古代から続いてきた、この産業。何を今さら。

けれど肉食文化に家畜たちの悲鳴がベッタリくっついていることを
否定できる人はいません。ですが「今までやってきたんだし」という
ことで、なんとなく今も行われてます。

おいしいステーキやハンバーグ。でも、その蔭には殺された家畜たち。
畜産家なら誰でも、天塩にかけて育てた家畜たちに、自分の愛情が
移っていくこと、家畜たちも、こちらの愛情にキチンと応えてくれることを
知ってるでしょう。

しかし一定の時期が来ると、ムリヤリ彼らを処分場に送り、変わり果てた
肉の姿で帰って来た、その商品を手に、ニッコリ写真に収まって、
消費者にアピールする畜産家。

人間は土地を求めて争い、そのための殺し合いを古代から続けてきました。
けれど、そういう殺戮(さつりく)を、今ようやく、やめつつあります。

人間は自分と同じ形をした人間の一部を「奴隷」として扱い、
好きなように使用することを、古代から続けてきました。
けれど、そういう使用を、今ようやく、やめつつあります。

次は動物に眼差しが注がれるのではないでしょうか?
何百年かかるか分からないけれど、育てて、殺して、食べるという
畜産業を人間がやめ、動物は動物の生態に任せること。

おいしいハンバーグやステーキなど、今ですら、代替材料でいくらでも
作ることができます。要するにやる気の問題でしょう。

畢竟(ひっきょう)、家畜に限らず、現代、動物の扱われ方は、
昔の人間奴隷に劣らずヒドイものです。殺される家畜。実験に使われる動物。
動物園に閉じ込められる動物。

私が住んでる横浜には「ズーラシア」という大きな動物園。横浜市が至る所で
宣伝してる大きな動物園。けれどシロクマ・コーナーに行けば、体を前後に
動かす同じ動作を繰り返し、頭を左右に振り続けてるシロクマ。

どう見ても精神に錯乱をきたしてます。本来は冷たい海を颯爽(さっそう)と
泳ぐはずのシロクマがこんな場所に閉じ込められてるのですから、
ムリもないでしょう。私たちが一生、三畳くらいの部屋に
押し込まれてるのと変わりありません。

ですが、そのシロクマを見て、横浜市民も動物園・関係者も
なんとも思わないようです。動物園・関係者の中には、
獣医もたくさんいるはずなのに。

引率に来た小学校の教員は、シロクマ・コーナーの前で、子供たちに、
何を語るべきでしょうか? その内容は決して、北極の気候であったり、
シロクマの生態についてでは、ないはずです。

さあ、畜大。こうした人間、動物の関係を本質的に問う哲学を、社会に
対して提示し、問いかけ、今後の議論の材料にすべきではないでしょうか?
それでこそ、畜産に特化した国立大学の面目躍如では?

動物医療センターでは、ペットに必死の延命を行いながら、
肉畜処理施設では、大型動物を次から次へと処分してるこの矛盾。
畜大生の誰ひとり、この風景をシュールとは思わないのでしょうか?

でも、そんなことしたら、畜大の存在そのものが
危うくなるじゃないですか? 畜産業がなくなったら?

およそ、この世の言説で「自己批判」「自己否定」のモメント(契機)を
含まない言説に、力も刺激もありません。国立大の存在がどうのこうの、
と言う前に、もっと根本的な問いかけをしてみるべきです。

よしんば、それで畜大の立場が危うくなっても、自らの立場を危うくして、
生命の問題に切り込んだ大学があった、ということは、多くの人々の
記憶に残るでしょう。

そして人間、動物の残酷な関係が今より少しでも減っていく時、
比例して、人間は今よりも少し優しく、少し礼節ある存在になれると
私はいつも考えてます。一体、そこまでの「自己否定」を
畜大に求めるのは理不尽でしょうか?

青
blue

福島大学

JR福島駅。見渡しても「がんばろう」とか「たちあがろう」という
言葉は見つかりません。原発事故など、なかったかのような風景。

恐らく、口にできない雰囲気なのでしょう。「がんばろう」といった言葉は
所詮(しょせん)他人ごとだから言えるのかもしれません。

そんな福島駅から郡山(こおりやま)行きの東北本線に乗り、
金谷川(かなやがわ)という二つ目の駅で降りてみましょう。
もうあたりは緑一色の山の中。

目の前が坂になっていて、上がって行けば、福島大学・校舎が見えてきます。
周囲は福大生向けのアパートばかり。地元では「福大」(ふくだい)。

人間発達文化学類 行政政策学類 経済経営学類
共生システム理工学類

教育学部、法学部、経済学部、理工学部と呼ばれてた学部を現代風に
改めたもの。古めかしい学問体系を打破しようという姿勢が窺えます。

とはいえ山の中にある福大。福島以外の地域から受験しようと思うには、
なかなか勇気がいります。というわけで入学者には圧倒的に県内・出身者が
多く、福大が目指す人材も「郷土に奉仕するエリートたち」となります。

それ故、国際舞台で~の仕事に関わってる、とか
今までなかった~という素材を開発中である、
という人材でなく、それより。

福大を卒業して家業の旅館を継いだ。
県の農林水産部で地元の農業のために走り回ってる。
小中学校の教員としてガンバってる。

その中で、福大で学んだ企業マネジメントを生かせてるとか、
地域行政の講義が役立ったとか、教育心理で習ったことを
確認できたとか、そういうところに教育の主眼があるようです。
これはこれで地方大が果たすべき大切な役割でしょう。

キャンパス真ん中にあるS講義棟。そこは学生部にもなっていて、
いろんな手続きをしに来る学生で賑わいます。入ってみると、
左に寄せ書きが。キレイな日本語ですが、ところどころオカシな表現も。

なんとベトナム・ハノイ国立大学・日本語学科の学生たちからの寄せ書き。
福大と提携。ハノイ国大・日本語学科と言えば、今のベトナムで最も
優秀な学生が通ってる学科。福大はそんな大学とも交流。

そのS講義棟。正面には放射線・計量計。
訪問した時には「0.18μシーベルト」。

山の中にあるだけあって、敷地は広く陸上競技場。野球場。
サッカー・ラグビー場。テニス・コート。バレーボール・コート。
ハンドボール・コート。全て充実の広さ。

原発事故で大きなダメージを受けた福島。街はシンとしてても、
そこのエリートを自任する福大なれば、今回の問題を受けて、
自分たちの果たすべき役割を実行せんと新しいセンターを設立。

福島大学うつくしま・ふくしま未来支援センター。

担当する支援は。

若者自立支援 こども支援 地域エネルギー 環境共生
産業復興支援 地域復興支援 ボランティア支援 歴史資料
放射線対策

これらの支援を福大のあらゆる知見を総動員して行います。
地域も福大に、そういう作業を今、期待してるでしょう。
本気の産学連携を目指してます。

震災が起きてから、支援をしたくて福大を選んだ学生もいるとか。
「他のために生きる」ことを無意識ではあれ、感じ取っての選択でしょう。
ホンとに頭が下がります。東京にいれば、あまり話題にも上らない福大。
けれど今、着実に復興への足がかりとなりつつあります。

花
fantasy

宇都宮大学

餃子のオイシイ宇都宮。駅前には、それぞれの店が味を競ってます。
そんなお店に入るのを少し我慢して、宇都宮大学に行ってみましょう。
JR宇都宮駅の東。歩いて行けなくもない距離ですが、
内陸・宇都宮の夏は暑い。タクシーで行きましょう。

地元では「宇大」(うだい)と呼ばれてます。キャンパスは二つ。
本部がある峰キャンパス。少し離れた場所にある陽東キャンパス。

タクシーは峰キャンパスに。正門を入ると、なんと右にキレイな
フランス庭園。その向こうには白い講堂。目の前にドーンと
農学部の校舎。そう。宇大のメインは農学部。

前身は宇都宮農林学校。それが戦後、栃木師範学校とくっついて、
宇大に。現在の学部構成は農学部、工学部、国際学部、教育学部。
九十年近くの歴史を持つ農学部。その学科は。

生物生産学科 農業環境工学科 農業経済学科 森林科学科

メインの生物生産学科はさらに複数のコースに。

植物生産学コース  動物生産学コース 応用生物学コース
応用生物化学コース

人間と環境との「インタラクション」(相互作用)を、ミクロの分子レベルから
マクロの地球レベルまで包括的に研究しようという学科構成。
旧帝大・農学部や農工大にも負けないカリキュラム。
しかも宇大・農学部。付属施設がスゴイ。

付属農場。附属演習林。附属里山科学センター。雑草科学研究センター。
そしてバイオサイエンス研究センター・・・

こういう場所で実学を身に付けた学生は、企業や役所にとって喉から
手が出るほど欲しいはず。実際、農学部からは「宇都宮大・卒」では
考えられない大企業に入社する人もたくさん。理系は強いのでした。
陽東キャンパスにある工学部についても、お話ししましょう。

機械システム工学科 電気電子工学科 応用科学科 建設学科
情報工学科

工学部だけで一つのキャンパスを占めてます。ですから施設が狭い、
といった都内の理工学部が抱えるような問題とは全く無縁。求人率も高く、
電気電子工学科の昨年の求人倍率は十倍を超えました。

日本全体では今年、大学を新卒で卒業した五十六万人のうち、
ニートになる人が三万人を超えたとか。どこの大学で何を勉強すべきか、
受験生はもう一度、考え直すべきです。というわけで農学部、工学部が
引っ張る宇大。お薦めの大学に入れていいでしょう。

理系にいるけど、過酷な受験勉強をしたくない場合、選択肢に
入れていい大学です。さあ、オイシイ餃子を食べに行きましょう。

夏空
summer sky

横市・大学院に新学科

横市・大学院に来年2013年4月から、新しく「生命医科学研究科」が発足。
物理、化学などの理学と、医学を融合させることが狙い。

現在、国際総合科学部・大学院に「ナノシステム科学研究科」。
医学部に「医学研究科」があります。この二つを融合させる研究を
目指して、生命医科学研究科が構想されました。

博士課程・前期(修士課程)で四十名の募集。後期で二十名。
DNA(デオキシリボ核酸)などの構造を分子・原子レベルで解析し、
疾病解明や臨床研究に生かすことを目的とします。

附属病院を抱える強みを生かし、タンパク質の構造解析技術を応用した
創薬研究を視野に入れてます。国際総合科学部と医学部の間でなんとか
接点を探ろうとする横市。今回の発表には、大学としての一体化を図ろうとする
切なる願いが窺えます。それだけでなく、理系に秀でた人材を育てたいという
強い意志も。

横市の国際総合科学部。まだ偏差値はそれほど上昇してません。
今、入学しておいて、最高の理系教育を受け、東大、京大の理学部を出た
人たちと渡り合うなら、十分、賢い受験と言えるでしょう。そう。大学入試の
偏差値を将来、挽回する方法など、いくらでもあります。
それを思い起こさせてくれるニュースです。

花
flower

東北大、除染作業に貢献

東北の被災地では今、汚染された土壌・水の除染作業が急務。
セシウム、ストロンチウムなどの放射性物質の吸着、除去には、
これまでゼオライト(沸石)が使われてきました。ですが最近、
「フェロシアン化物」というゼオライトより十倍の吸着力を持つ
素材が登場。除染作業に使われてます。

ところがフェロシアン化物。放射性物質を吸着した後、泥状の沈殿物を
残す欠点があります。この泥状の沈殿物は「廃スラッジ」と呼びます。
廃スラッジは、長期間ほっておくと、熱を持ち、それによって
放射性物質が揮発する危険があります。

そこで東北大。昭和電工と共同で廃スラッジを焼き固める技術を開発。
東電に採用を呼びかけてます。フェロシアン化物で吸着した後、派生する
廃スラッジに特殊なゼオライトを混ぜ、八百~千百度の高温で焼き、
高圧でプレス。固形物にして放射性物質を完全に閉じ込める方法。
廃スラッジの容量がグンと小さくなります。

この技術を使えば、高濃度で汚染された土壌も、水とフェロシアン化物で
除染。そこでできる廃スラッジを固形化するというサイクルができ上がります。
理系に強い東北大。その強さは非常事態にこそ、生かされねばなりません。
嬉しいニュースですね。

花
summer

静岡大学

静岡駅から「静岡大学行き」のバスに乗れば、二十分ほどで着きます。
駿河湾に近い場所。晴れた日には富士山の雄大な姿が見えます。

自然が豊か。世間から隔絶された空間。とはいえ静岡という街も、
それほど大都市ではありませんから、静大生、この鄙(ひな)びた環境にも、
それほどのギャップを感じないのかもしれません。

静岡キャンパスには人文社会学部、教育学部、理学部、農学部。
もう一つの浜松キャンパスには工学部、情報学部。

静大は浜松工業専門学校を一つの前身とし、工学部と情報学部には、
どうしても多くのスペースが必要ですから、浜松キャンパスが
静岡キャンパスと分かれたことは、しかたないことでした。

情報学部は、国立大の中でも静大だけ。「情報」という概念に、
理系、文系の両方から切り込もうとしてます。

学部ができたのは1995年(平成7年)と新しく、情報学部の成果が世間的に
評価されるところまでは来てません。とはいえ、気鋭の学部であることは
間違いなく、今後に注目でしょう。

静大の弱点は文系学部の弱さ。なにしろ教育学部を除けば、
人文社会科学部だけで、社会学、言語文化、法学、経済学をカバー。
これでは厚みのある研究・教育を望むことは難しいでしょう。

その代わりに、と言っては何ですが、理系が強い。もともと静岡はものづくりが
盛んな土地。浜松高専の伝統もある静大・工からは、日本のメーカーの
トップに立つ卒業生が続々と出ました。

ホンダ、スズキ、キャノン、コマツ・・・これらの企業でトップに立つ
卒業生が多数。さすがと言わざるを得ません。

東京に住んでると、静岡という街はあまり意識に上らず、静大を考える
機会もありません。けれど、理系では隠れた実力校。国立大・理系に
人気が集まりつつある今、静大では今後、理系学部の偏差値が
大きく上がることが予想されます。

偏差値がまだそれほど上昇してない今、あまりハードな受験勉強をせず、
静大あたりに入学し、安い生活費に恵まれながら、キッチリした理系教育を
受けるなら、十分に賢い選択でしょう。

青空
blue sky

横浜市立大学

横浜には明治の頃から市立の「十全病院」があり、横浜市民に医療を
提供してました。大東亜戦争中、その病院が市立の医学専門学校を設立。
その学校が戦後の一時期、横浜医科大学に。

同じく横浜市立の名門として、横浜商業・専門学校がありました。
横浜商業専門学校は「Y専」と呼ばれ、横浜経済を担う経済人を輩出。

この二つの市立学校が戦後、くっついて横浜市立大学になります。
当初は商学部、医学部、文理学部という構成でした。

その後、学部構成に多少の変遷があり、
結局、現在は国際総合科学部、医学部の二つのみ。

国際総合科学部には国際教養学系、理学系、経営科学系の
三つの系があります。

国際教養学系には「人間科学コース」「国際文化創造コース」。
理学系には「基礎科学コース」「環境生命コース」。
経営科学系には「政策経営コース」「国際経営コース」。

これらを融合する形で「ヨコハマ起業戦略コース」。
何とか現代にマッチしようという横市の姿勢は感じられますね。

とはいえたった二学部では、やはり限界が感じられます。二学部の間に
ほとんど接点がなく、ムリやりくっつけた感じが見え見え。
その不自然な状態を戦後・七十年、ずっと続けてきたのでした。

一年生は全員、金沢八景キャンパス。
ですが医学部は二年次から福浦キャンパス。

そこからは両学部に接点はありません。もちろん横市。その問題には
昔から気づいていて、医学部、商学部という全く異質な学問を
何とか融合せんと、理学部まで作った時期もありました。
現在「理学系」があるのは、そのためです。

でも横市。ホンとは最初から「横浜大学」を名乗りたかったのでした。
戦後、「横浜大学」を申請したのは、横市。横国。そして六角橋にある
私学の神奈川大学。この協議は揉めに揉め、結局、どの大学も
「横浜大学」という名称を使わないことで結着。痛み分けでした。

でも、どうでしょう。今、七十年の時を経て、こんなツマラナイ
過去の経緯はキレイさっぱり水に流し、横市・横国が合併して
新しい「横浜大学」を設立するというのは?

この新制「横浜大学」法学部を付け加えるだけで事足ります。
新制・法学部。横国が誇る経済学部、経営学部、理工学部。そして
横市の医学部。東大に拮抗し得る首都圏・総合大学ではありませんか。

千葉大・筑波大は田舎すぎて、医学部だけが売りの地方大学。
残りの学部は全国区的な研究を打ち出せてません。

首都圏の一橋。東工大。外語。医科歯科。このあたりは、
好きなことを言い合って全くまとまれず「四大学連合」など、
かけ声だけ。全く機能してません。

ということは事実上、東大に対抗し得るのは、この「横大」のみ。
「横浜」という土地力も生かし、総合大学を目指すなら、
タコ足大学である点は否めないにしても、そこそこの成果を
出すユニバーシティになり得るでしょう。

いかなる分野でも「一極集中」は弊害しかもたらしません。
東大だけが全ての分野をリードする時代は、
早々にピリオドを打つべきです。

折しも大阪では橋下市長の掛け声の下、府大・市大の統合が
話題に上ってます。それを横浜で、できないわけはないでしょう。
「横大」なんともワクワクさせる話ではありませんか。

夏空
summer sky
横浜国立大学

横国、新・入試制度を発表

教育人間科学、経済、経営、理工の四学部を備える横国。一学年は千六百名。
そのうち百~百六十名に、入学後、半年間、英語圏への留学を義務づける
カリキュラムを発表。英語を重視した特別な入試枠で学生を選抜し、
彼らを留学させます。全学部に亘る模様。

留学期間に取得した単位は一般教養の単位として認めるため、留年する必要は
ありません。現地で取得できない単位については、衛星授業を行ったり、
教員の派遣で対応。大学側としては、よっぽどの危機感があるようです。
ここまでの対応をするためには、相当の準備が必要だからです。

ただし、東大が秋入学を提言してから、具体的なカリキュラムは全く
発表できてないのに対し、横国の今回の発表は、中味の具体性、
迅速さで画期的でしょう。

卒業も半年間、前倒し可能。要するに、横国キャンパスでの教育が、
ほとんど意味なかったので、そのように学習期間を縮めても、
問題ないということなのでしょう。ある意味、情けないですね。

とはいえ、外国語でのディスカッションが行える人材を輩出したいとのこと。
それは疑いなく、時代の流れに合ってます。2015年度の入学者から、
新カリキュラムを実施する予定。横国が今後、どうなるか楽しみです。

空
way
横国、オウル大と共同研究

東北大、トヨタと共同研究

東北大が復興に向けて動き出しました。未来科学技術・共同研究センター。
産学連携機関。このセンターがトヨタ自動車に電気、情報通信。材料など、
各分野の先端技術を提供。

場所はソニーが宮城県・多賀城市に持っている遊休地。ここに研究開発の
施設を建てます。人員は数十名の予定。大型の実験装置、例えば、
走行シミュレーターも導入。では、その研究内容は。

電気自動車では、車輪内蔵型モーターの性能向上。
プラグを差し込まずに充電できる非接触型の充電スタンド。

あるいは走行中の自動車が天候・渋滞などの情報を自動発信し、
他の車両に伝えるシステム・・・

東北大が伝統的に強いロボット技術。その技術も生かされます。
可動認識技術、高精度センサーを使って、部品を搬送するロボット。
このロボットが自律走行するシステム。これはトヨタ自動車が
HV「アクア」を生産してる岩手の工場に導入。

東北では今からが春。明るい季節を迎えます。そんな時に嬉しいニュース。
東北大の力が地域の活性化や技術力向上につながれば、
大学としても面目躍如。今後に期待しましょう。

春
spring
東北大学

富山大学

全国的に売薬で有名な街、富山。そこにある国立大学です。
地元では「とみだい」。キャンパスは三つ。富山市・中心にある五福キャンパス。
人文学部、経済学部、人間発達学部(旧・教育学部)、理学部、工学部。

南には杉谷キャンパス。丘の上みたいな所にあります。
医学部(医学科・保健学科)、薬学部。

そして高岡に芸術文化学部。学部は八つ。ただしキャンパスが別な場所に
あると、どうしても学生どうしの融合は難しくなります。結局、ユニバーシティ
らしいのは五福キャンパスだけで、後の二つは単科大の雰囲気。
別々だった大学を2005年(平成17年)にくっつけた結果、こうなりました。

とはいえ、富大を引っ張ってるのは、やはり富山医科薬科大学の流れを
汲む杉谷キャンパス。医学部と薬学部。そして看護学科。
全人的な医療アプローチをするためには大切なことです。

地方の医学部はどこでもそうですが「地域医療」が杉谷キャンパスのテーマ。
都会に偏りがちな医療人。そんな彼らが地域でどういう診療をするべきか。

あと医学部、薬学部に共通してるのは東洋医術や漢方を重視してること。
富山の大学ならでは。例えば薬学部では、最先端の有機化学と
漢方を結び付ける研究。都会から富山に行って学ぶだけの
価値はあるでしょう。

塾で教えてても、毎年一人くらい富大を目指す人がいます。
もちろん医学部・志望。地方には他にもいろんな医学部があるのですが、
あえて富山を選んでるあたり、見る目があります。今年も横浜教室の女子が
富大・医を目指してます。ガンバってくれることでしょう。

風車
windmill

横国、オウル大と共同研究

横国・理工は通信工学科が強いので有名。通信工学科は横市・医と連携。
通信工学と医学を融合させる研究に取り組んでます。その横国が、
なんとフィンランド・オウル大学と共同研究。

みなとみらいMM21地区。情報通信技術(ICT)の研究開発拠点。
医療用・通信システムを構築します。使うのはUWB無線。
高速通信技術を使った医療用・通信システム。人体や
他の電子機器への影響がほとんどありません。
これを使って診断・治療システムを構築。

横国は既に2010年からオウル大と横須賀リサーチ・パーク(YRP)で
こうした研究をスタート。主な研究は。

1・小型カプセルに超小型カメラを入れ、血管・内臓の状況を把握。
2・体内に埋め込んだ医療機器がどこにあるかを測定するセンサー。
3・医療機器に影響を与えずに患者の居場所を特定するシステム。
4・衛星通信を使った医療用動画像の送受信。

ちなみに、オウル大はフィンランド第二の大学。
携帯電話端末・世界最大手ノキアとも提携してます。

氷の花
ice flowers
横浜国立大学

岩手大学

ロマンチックな街、盛岡。夜空を見上げれば、ホンとに銀河鉄道が走ってそう。
ユーミンは「モリオカ」という街の響きが「ロシア語みたい」と歌い上げました。
「悲しいほどお天気」のA面に収録。

緑の街に舞い降りて

さて盛岡と言えば、宮澤賢治。賢治は盛岡の高等農林学校で学びました。
卒後、地元の花巻に帰って教員になります。たくさんの幻想的な童話を
紡ぎ出しました。

賢治が通った盛岡高等農林学校。それが高等工業学校、師範学校と
くっついて、戦後、新制の岩手大学が誕生しました。当時は農学部、
工学部、学芸学部。学芸学部と言っても実際には教員養成の学部。

現在は農学部、工学部、人文社会科学部、教育学部。
学芸学部が人文社会科学部と教育学部の二つに分かれました。
人文社会科学部に法学・経済学課程を置いて、
多少ユニバーシティらしくしてます。

地元では「岩大」(がんだい)特色を一言で言うならズバリ「環境研究」。
森の中にキャンパスが点在してる岩大。大学の方針として「環境研究」に特化。

人文社会科学部の環境科学課程。
環境文化論、環境社会論、宇宙地球進化論、宇宙物理学・・・

工学部の社会環境工学科。
水環境工学、廃棄物処理工学、大気環境工学、土壌環境工学・・・

農学部の共生環境課程。
森林政策学、環境動態学、施設機能学、土壌物理学・・・

どれも今の日本が必要としてる研究ばかり。岩大の規模ならば、
学部を超えて共同研究するのにも適してます。実際、農学部と
工学部が共同で、植物を使った温度制御装置を開発したり。

そういう研究から、既にいくつかのベンチャー・ビジネスが誕生。
東北のあまり注目されない街に、こんな学び舎があったのですね。

岩大キャンパスには森や自然だけでなく、歴史施設もたくさん。
農学に関する施設が多く、正門入って左にある農学部には農業教育・
資料館。高等農林学校からの資料が保存。資料館の横には
半円の「ポランの広場」もう少し歩けば「北水の池」。

農学部には飼育棟や動物病院。獣医学科もあり、
北大や帯広畜産大に行かずとも、獣医学は岩大で学べます。

塾での話もしましょう。昨年四月から一年間、私についてきてくれた女子が
岩大・工学部に推薦入学を決めました。推薦が決まっても、冬期講習まで
シッカリ参加してた彼女に、一度、聞いたことがあります。

農学部で生命研究やるんだよね?
あ、工学部なんですけど、農学部と重なってる分野です。

マジメな彼女。大きな世界で羽ばたいてほしいです。
岩手の復興を担うのは、彼女たち岩大生をおいて他にありません。

小岩井の桜
Koiwai Farm
盛岡第一高校

札幌医科大学

1950年(昭和25年)に道民の期待を担って設立。新しい大学だっただけに
医学部・特有のしがらみがなく、優秀なスタッフを抜擢する雰囲気。
そこへ和田寿郎(わだ じゅろう)が助教授として赴任してきたのも、
運命だったのかもしれません。

和田は北大・医学部を首席で卒業。アメリカ・ミネソタ大学に留学。
最先端の心臓手術を学びました。ところが帰ってきた和田に、
北大はポストを用意しませんでした。優秀すぎたのでしょう。
彼は札幌医大で医師としてのキャリアをスタートさせます。

三十六才の若さで教授に就任。彼の技量は周囲の認めるところ。
ところが先端技術を知る和田にとって、部分治療に
すぎない心臓手術には限界があるように思えました。

いっそのこと、心臓全部を移植できればいいのに。
その技術もあるんだ。

和田の思いは強まります。ただし心臓移植は、世界でも三十例ほどしか
行われてませんでした。和田が四十六才の夏がやって来ます。
働き盛りでした。1968年(昭和42年)8月8日、ちょうど今頃。

真夏の暑い日。小樽の海岸で大学生が溺れたという知らせが入りました。
大学生の体は近くの病院から札幌医大に搬送。8日夜のこと。
和田は容体を見て、即座に心臓移植を決意。
移植を待ってる高校生がいたのでした。

和田は大学生の家族に脳死状態であることを告げ、
ドナーとして心臓を提供することを勧めます。
日本初の心臓・移植手術。

やれるのは、私しかいない。

和田は拳を握りしめます。家族には最善を尽くすことを誓ったでしょう。
最終的に家族も同意し、翌9日午前1時過ぎから日本初の
心臓・移植手術が始まりました。深夜に始まった手術は
未明に終わり、同日のうちに発表。

1968年8月9日の手術場面:毎日新聞社提供
1968年8月9日午前1時

手術後、高校生は無事に意識を取り戻しました。日本中の目が
札幌医大と和田教授に集まり、快挙を称えました。
「二人の死より一人の生」そんな見出しが新聞に。

ところが十月、高校生の容体が急変して死亡する事態となり、
思ってもみなかった疑惑が持ち上がります。提供した大学生も、
移植を受けた高校生も、手術の必要など、
なかったのではないかという疑惑。

札幌医大は騒然。もしこの疑惑が事実なら、和田は二人の若者を
不要に殺したことになるからです。大学生については、搬送した
救助隊員と最初に所見した医師が、脳死ほど重篤な状態では
なかったと証言。

高校生についても主治医が、そもそも移植手術を受ける状態では
なかったと指摘。和田は窮地に立たされました。最終的には
手術の際に摘出された高校生の心臓が、裁判の争点に。
ところが、心臓はなぜか行方不明。

数カ月か後に発見された時には、数カ所に穴が空けられていて、
摘出時の状態を再現することは不可能。最終的に和田は不起訴処分。

今、日本で心臓提供を待ってる人は約五百名。ですが心臓・移植手術は
年間、数件程度。患者たちは海外に行くことを余儀なくされてます。
海外では当たり前となった心臓移植手術は、日本では
和田事件によって完全にストップしたからです。

札幌医大の教員、学生は、自分たちの場所で起きたこの事件を
どう捉え、どう明日に生かそうとしているでしょうか?

和田はその後、東京女子医大に転勤。しかし彼を見る目はいつも
事件に関するもの。そんな和田も今年二月に亡くなりました。
「自分は正しいことをした」と最後まで主張して。
誇り高い医師でした。

ドナーの家族も、高校生の家族も、一人として私を責めたことはない。

最後まで、そう言ってたそうです。

小樽商科大学

小樽にある商科大学。札幌から電車で一時間ほど。地元では「商大」
(しょうだい)と呼ばれてます。商科の単科大学は、
全国でもここだけ。戦前は小樽商業高等学校。

小樽商大は歴史的に言えば、東京商大、神戸商大と比べ、官立でなく
公立であったことから、低く見られていました。しかし戦前、
北大・文系学部がなかったこともあり、北海道の文系秀才を
引き付けます。商大に進学し「拓銀」(北海道拓殖銀行)に入行する
というのが、当時の北海道・受験生の夢でした。

その夢を文字通り、体現したのが小林多喜二(こばやし たきじ)。
小樽商大を語る時、この人を抜きに語ることはできません。
多喜二は商高(現・商大)を出た後、エリート・コースの拓銀に就職。
そのままいれば、恐らく安楽な生活が待っていたことでしょう。

ところが行員時代、とある酒場でタキという女性と巡り逢います。
当時、酒場の女性がどういう役割を果たしていたか、今ではすぐに
見当がつくでしょう。タキは十三才で酒場に売られ、
その道で生きてました。その彼女に多喜二は一目ぼれ。
三日を空けずタキのもとに通うようになります。

やがて多喜二はタキを身受け。事実上の妻として迎えます。
多喜二の家族もタキを暖かく受け入れました。しかしタキは
自分と多喜二との格差を超えることができませんでした。

結局、結婚生活は一年と続かず、タキは多喜二のもとを離れます。
多喜二はその後、 日本共産党の選挙運動を手伝うようになり、
政治活動に没頭。当時、貧しき者に心寄せる優しいエリートなら、
自然の成り行きでした。そして特高警察による党員弾圧に憤り
「1928年3月15日」という小説を書き、拷問を克明に描写。

これが特高の逆鱗に触れます。多喜二は東京に潜伏してたところを
密告により逮捕。その日のうちに築地署の拷問で死亡。
右手の指は執筆できないよう全て折られてました。

あんちゃん、どげにキツかったろなあ。

母親は泣きながら多喜二の体にすがりつきました。
取り囲む友人たちの沈痛な表情は、あまりにも痛々しいものです。
冷静に考えれば、多喜二の無残な写真が残っていることは奇跡としか
言いようがありません。特高としては自分たちの悪事を歴史に
残すことになったからです。

さて小樽商大。戦後、北大に文系学部が設立されたことにより、
その地位も相対的に低下。さらに東京・一極集中で、北海道の秀才が
東京を目指すようになり、ますます苦戦。皆の憧れだった拓銀も
1997年(平成9年)に破綻。北海道の地盤沈下は止まりません。

伝統ある小樽商大こそ、北海道を再び活性化する役割を担ってます。
文系学部に特化した小樽商大に、その力がないはずありません。

小樽運河2
Otaru Canal

筑波大学

昔、東京教育大という教員養成の学校が東京・大塚にありました。
この大学、教育大なのに文学部を擁し、教員養成にとどまらず、
人文で他大学を凌ぐ研究者を輩出してました。やはり、
東京にあったことが幸いしたのでしょう。

ところが1960年代後半、東大・一極集中の弊害に気づいた文科省が、
一橋、外語、教育大、東工大をひっくるめた「第二東大」を
作ろうと企画。場所は茨城・つくば。ここに新たな学問拠点を
作ろうとしたのです「つくば学園都市」という官僚の発想。

「そんな田舎で学問などできない」と各大学で猛烈な反対運動。
「同窓会や伝統はどうなるんだ」という話も出ました。

結局、この騒動は教育大だけが移転する形で決着。
どこの大学もやりたくなかったことを、やらされたわけです。

もちろん教育大でも大きな反対運動が起きました。
家永三郎・教授は移転反対・裁判を起こして話題を呼びましたが、
現実的な力を持つに至りませんでした。東京教育大はなくなり、
筑波大という医学部を備えた新しい総合大学が茨城に誕生。

ですが東京から二時間ほどかかる場所。今は秋葉原から
「つくばエクスプレス」が開通しましたが、以前は、もっと時間が
かかりました。そんな場所で一体、人文が花開くでしょうか?

私が高校時代、筑波・文系学部に進学しようという同級生を、
担任がやめるよう説得していました。その担任、東京教育大の出身。

どういうつもりでやめろと言ってたのか、今は確かめることも
できません。ですが移転問題と無関係ではなかったでしょう。
私の教え子でも、筑波に進学した人は全て医学部か保健に。

理系学部ならば、施設の充実した国立大を田舎に作るのは一つの方法。
街起こしにもつながるでしょう。一方、文系学部の場合、
人が最大の財産。人は場所に大きな影響を受けます。
茨城にある筑波はロケーションとして、
いい場所にあるとはとても言えません。

とはいえ今年、私のクラスには筑波・文系学部を志望してる女子が、
何名かいます。彼女たちに「なんで筑波なの?」と聞くと
「充実してるし」という答え。

圧倒的に不利だった筑波・文系学部も少しずつ受験生の支持を
得てるのかもしれません。今年だけが例外なのか、
長期的傾向なのか、私も注目していくつもりです。

筑波山
Mt.Tsukuba

埼玉大学

私の教え子から埼大(さいだい)に進学した人は皆無。志望校に埼大と
書いている人も見たことがありません。埼玉県、東京北部の生徒たちは
たくさんいるのに、彼らの誰一人、埼大に行きたがらないとは、
どういうことでしょう?

埼大HPを見ても、教養学部は文化環境・専修課程とか現代社会・
専修課程など、現代が必要とする学際的なコースを揃えてます。
教育学部は伝統的に県内に多数の卒業生を送り込んでます。

ですが大学の特色が何一つ見えません。結局、埼玉の優秀な受験生ほど
埼大を敬遠し、都内の国立・私立大を目指します。

もちろん埼大の存在感低下は今始まったことでなく、三十年ほど前から
言われていました。どうやら埼大はその時間を空費したようです。
しかし大学のせいだけでも、ないかもしれません。ハッキリ言って、
「さいたま市」がもっとワクワクする場所だったら、
埼大も、もう少し違った場所だったでしょう。

ところが、さいたま新都心はできたものの、ピカピカの箱だけ。
「ひらがな」になっても、文化の吹き込みがなされませんでした。

例えば、宇都宮の餃子。別に餃子の由来があったわけでもないのに、
1990年代、街起こしの一つとして始められました。今では首都圏から
食べに来る人たちを集め、ブームは栃木県全体に広がろうとしてます。

ですが、そういう姿勢の一つも、埼玉県から聞こえてきません。
千葉なら房総の野菜、魚。横浜なら百五十年に及ぶ港の歴史。
なのに埼玉は「秩父のお花畑」以外、何を打ち出してるでしょうか?

都心まで一時間足らずで行けるロケーション。ですが埼大は、
それを全く生かせていません。浦高や一女を地元にとどまらせないと、
埼大の今後は今までと同じく、刺激ない退屈なものとなるでしょう。
それは埼玉県民にとってもマイナスであるはずです。

さいたま
Saitama Arena

横浜国立大学

横浜市営地下鉄に「三ッ沢上町」という駅があります。
そこから歩いて二十分くらいのところに横浜国立大学はあります。
地元では「横国」(よここく)と呼ばれています。

昔、国立大受験が一期校、二期校と別れていた頃、横国は外語と並ぶ
二期校エース。東大、一橋、東工大を、なにかの拍子で落ちた人たちが、
横国に救われる形で入学してきました。

経営学部、経済学部を備え、商都・横浜のニーズに応えています。
国立大がこの二学部をあわせ持つのは珍しく、首都圏では一橋、
関西では神大に匹敵する規模。横国のこの二学部から、
大手総合商社に就職する者も多数いました。

理工学部も強く、さまざまなメーカーに多くの人材を送り込んでいます。

研究者の面でも際立っています。力のない国立大の場合、輩出する研究者は、
自校あるいは近くの大学に集中してしまいます。要するに全国的に
通用しないわけです。

しかし横国出身の研究者は理系、文系問わず全国に散らばっていて、
層の厚さを見せつけています。恐らく二期校・時代の伝統から、
他大学の大学院に進学し、そこから研究者として
巣立っていったのでしょう。

ただ何と言っても横国の特徴は「教育人間科学部」が強いこと。
教育学部は普通、ただの教員養成機関となり果て、小粒で真面目な
学生が四年間きちんと過ごして教員試験を目指す、それ以上何も望まない、
という小官吏のパターンになりがち。

でも、どうも横国・教育人間科学部の場合、違うようです。教育学部なのに
メディアに進む者が多く、学部規模に比べ、輩出したアナウンサー、
メディア関係者の数がとても多いのです。

学生の中に広い世界に目を向けようという意識がなければ、
とてもこうはならないはず。学部名に「人間」や「科学」などの
言葉を入れているあたり、意識的な結果でしょう。
タレントの眞鍋かをりも、ここを出ています。

さらに横国はいろんなジャンルの作家を輩出しています。
どこの学部からでもいいから、著名な作家が出ることは、
大学の実力の、ある程度バロメーターとなります。

人文が理念を醸し出し、それが全学を引っ張っていくという理想形が、
部分的ではあれ、達成されていると言えるでしょう。

医学部のない国立大はどこも苦戦している中、横国は健闘。横浜の魅力も
一役買ってることでしょう。今年の教え子の中にも何人か横国・志望。
ガンバってほしいです。

みなとみらい
Minatomirai

北海道大学

教え子の中には「北大に行きたい」という人が毎年、必ずいます。
そんな彼らに「なんで?」と聞くと「自然がある」とか
「北海道がいい」という答え。

実際、北大キャンパスは広く、あちこちに自然が残されています。
そんなキャンパスを歩き疲れ「よし、北海道のラーメンを食べよう」
と思って学食に行けば、ラーメンの種類がなんと豊富。

さすが北大! 来てよかった。

ですがもちろん、大学の価値は自然やラーメンで計られるものでは
ありません。北大の前身は札幌農学校。そこで教鞭をとった
クラーク博士の「少年よ、大志を抱け」という
言葉はあまりにも有名となりました。

設立経緯がそうであるだけに北大は戦後、新制大学となった後も、
理系が大学全体をリードする形を取りました。実際、私の教え子も
自然とか何とか言いながら、北大の医、獣医を志望。
法、経、文に行きたいという学生はいません。

しかし大学の理念や雰囲気は、本来、文系学部が作り出すもの。
理系学部は結局、資格を取り、技術能力(スキル)を磨く
訓練の場でしか、ありません。

以前の北大は伝統的に強いスラブ研究を生かし、スラブとアラブの
接点を研究して、東京の研究者を唸らせるような研究者を輩出。
しかし最近、そういう話もほとんど聞かれません。今のままでは、
北大はエンジニアと医療人、あとは公務員か教員を輩出する
だけの教育機関となってしまいます。

もちろん、よいニュースもないわけではありません。
2010年(平成22年)工学部の鈴木博士がノーベル化学賞を受賞。
パラジウム触媒を使ってハロゲン化合物と有機ホウ素化合物を
結合させる「カップリング技術」が認められました。北大は今、
HPでそれを全面に押し出しています。

しかし、在学生、あるいは、これから通おうとする受験生にとって、
大切なのは、過去の業績でなく、今、そしてこれからの北大。
北大は北海道に安住せず、東京の大学と対抗し、ひと泡吹かせる
くらいの気概が必要でしょう。

今回のノーベル賞受賞は素晴らしい契機。北大らしい、
独創的な研究がドンドン出て来てほしいですね。

十勝
Tokachi Plain

東北大学

日本で三番目にできた帝国大学。仙台の美しい風景の中にキャンパスは
あります。特に秋の紅葉はみごとで、勉強に疲れた東北大生の
心を癒してくれます。

中国の作家・魯迅(ろじん)は仙台医専(現在の医学部)で学びました。
仙台医専からは、コミカルな小説と暗い小説のどちらも手がけた
北杜夫(きた もりお)も出ました。

今ほど交通網が発達していなかった戦前、東日本の進学校では、
東大に行けないなら、京大でなく東北大に行くよう進路指導が
なされてました。結果、東北大には文系・理系問わず、
優秀な人材が全国から集まりました。

設立当初から「実学尊重」のビジョンを掲げ、工学部が看板学部に。
戦前既に「八木アンテナ」など先駆的な研究が行われました。
戦後も、東北大の躍進は続きます。日本が世界に誇る製造業。
有力メーカーの開発・研究部門には東北大・出身者がたくさん。

工学部・出身の田中耕一(たなか こういち)博士は東北大を卒業後、
島津製作所に勤務しながら、タンパク質をイオン化する研究を継続。
その研究が認められ2002年(平成14年)ノーベル化学賞を受賞。
帝大・設立当時に掲げた「実学尊重」の理念が数十年を経て結実。

実学だけではありません。切ない愛の歌を透明な声で歌うオフコースの
小田和正(おだ かずまさ)も工学部・卒。

けれど東北大ですが、高度経済成長により交通網・メディアが発達。
東京一極集中が進み、文系学部は苦戦を強いられるようになりました。
将来、東北で就職したい、と思う学生以外、東北大・文系学部より
早慶といった東京の私大に魅力を感じるようになったからです。

実際、私の教え子からも東北大の法・経・文に進学した人は数えるほど。
およそ大学の文系学部が活性化するためには、その街が活性化してないと
いけません。ところが東京と仙台では比べものになりません。

そこに今回の震災が加わったわけですから、東北大の受けたダメージは
大きいでしょう。教え子の中には「東北大に進学して復興の手助けが
できないか」と、もちかけてくる奇特な人もいますが、そんな人は
あくまで少数派。大部分の生徒は東北大を選択肢から外したはず。
この危機を乗り切れるかどうか、東北大の手腕が問われています。

千葉大学

首都圏で国立の総合大学を探そうと思った時、意外にも東大の次に
千葉大が挙がります。筑波は遠すぎて首都圏とは呼べません。

園芸学部は全国でここにしかなく、看護で学部を置いている国立大もここだけ。
一体、園芸が学問として体系化され得るかという議論はさておき、
「そういう学部を作ろう」という進取の気性ある大学であることは
間違いありません。

同じことは看護学部にも言えます。国立大・唯一の看護学部である、
という意味では、千葉大・看護こそ「看護の東大」と言えるでしょう。
看護分野における卒業生の活躍度では、聖路加や
慈恵を大きく引き離し断トツのトップ!

しかし、なんと言っても千葉大の看板学部は医学部です。
私の教え子の中でも千葉大に進学した人の大半は医学部に。

私の実家(岡山)の家系図を見ても千葉医専(現・千葉大・医)に進学し、
医師として活躍した人がいます。当時から全国の秀才を集める医学校だった
のでしょう。ちなみに千葉医専は旧六医専(千葉、新潟、金沢、岡山、熊本、
長崎:設立順)のトップに君臨。旧六医専のいずれも今、医学部として
赫々たる成果を挙げている学校ばかり。

他学部についても全国区の卒業生を輩出するに至らないものの、
千葉の地場産業、県庁、市役所、県警に圧倒的な卒業生・人脈を
築いています。

田舎がそもそもイヤだ、という人でない限り、お薦めできる大学。
医学部、看護学部は亥鼻(いのはな)にあり、
他学部は西千葉。新宿からも五十分程度。

千葉に暮らしたことのある私にも、想い出のある大学。
忘れることはできません。

房総半島
Bohsoh Peninsula
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