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茨高の高三生 Part 4

土曜夕方のオンライン授業。大阪の茨高女子、
毎週、画面に登場。

昨年暮れから、ずっと共通テスト対策。
今回、結果を聞いてみると、リーディング100点満点で、
89点! 演習の成果、出たようです。

今週土曜が、最終授業。一年間の締めくくり。

海洋大に新学部!

東京海洋大・品川キャンパス。来年四月より、海洋資源環境学部を新設!
海洋環境科学科、海洋資源エネルギー科。特に海洋資源エネルギー科、
今後、日本の主要エネルギー源となるメタンハイドレード開発。
その先頭に立ちます。これは、スゴイ。

資源ない、ないと言われてきた日本。けれど、その近海には、実は
膨大なメタンハイドレード。天然ガスと同じエネルギー。今は眠ったまま。
眠ったままでなくても、海面上昇し、揮発するだけ。もったいない。

原発とめてる今、日本は電気需要の天然ガスだけで、
毎年、三兆円ほど支出。消費税1%分以上。

この世の中、どんなことにも利権からみます。日本に資源ないことが、
有利になる人、たくさん。このまま日本が海外から資源輸入を
続ける方が、有利になる人、国内外にゾロゾロ。

その利権のせいで、メタンハイドレード開発、不当に無視されてきました。
原発反対を叫ぶ人も、メタンハイドレードについては、ほとんど口に
しません。原発反対派が口にする代替エネルギーは、太陽光発電。
あるいは、風力発電。太陽光発電では、夜、発電できません。
風力発電では、お台場に一体、何基の風車、必要でしょうか。

メタンハイドレードこそ、最もフィージブル、採算とれるエネルギー。
海洋大が今回、その将来みこし、海洋資源エネルギー学科。
まことに未来を感じる話。

日本の大学、特に人文系に、ほとんど意味ありません。
老人教官、あるいは頭の死んでる教官のヒマつぶしに、
つきあわされるだけ。

東大、あるいは早慶の人文系で、今、どれほど社会に
有用な「研究」が行われてるでしょうか。

人文系だけでなく、文系学部は総じて、日本のお荷物。日本の富を
実質的に作りだしてるのは、昔も今も、理系頭脳。そして、
海洋資源開発は、数十年にわたり、ロボットと並び、
最も有望な分野。

しかも、海洋大、今のところ、それほど偏差値、高くない。
品川キャンパスなら、女子率も四割。これは、
考えてみる価値、ありそうです。

水
water

東大・経済学部の罪(2)

思えば、二年前・四月の消費税・増税。あれは罪つくりでした。結局、
アベノミクス失速も、あの増税のせい。それは、今、ふりかえって、
国民の大多数が、頷くことでしょう。

あの時、増税推進した東大・経済学部の教員たち。増税なくば、
長期金利は上昇し、国債は暴落、円の信認、地に墜ち、日本経済は
破綻・・・そんなことを「東大教授」の肩書を使い、メディアで主張。
その主張は、完全に外れました。

私たちは今、彼らを一人一人、もう一度、メディアに呼んで、あの時の
総括をすべきです。そして、彼らの言動が、もたらした厄災について、
再考させるべきです。

同窓の財務官僚の言葉そのままに、増税推進した愚か者たち。彼らは今、
増税による日本経済・失速を前に、知らん顔。そしらぬふりで日々の授業、
そして、教科書・執筆。

東大生とて、受験勉強だけで、社会に詳しくない者、たくさん。
教員の主張に疑いはさむ能力など、ほとんど、ありません。結果、
ポンコツ教員の地位安泰。

苦労して東大に押しこんだ教え子が、こんな雰囲気に
染まってゆくかと思うと、私は哀しい限り。

光
dawn

東大・経済学部の罪

あの時、みんな、嘘ついたね。

解散前、安倍首相は経済ブレーンの一人に、そっと漏らしました。
「あの時」というのは昨秋、消費税・増税を議論した頃。
メディアはこぞって増税賛成論を掲載しました。

消費税について、メディアに登場する東大・経済学部の教員たち。
彼らは判で押したように増税論者ばかり。昨年、5%から8%への増税を
議論した時も、影響はないと断言。その予想は大きく外れ、現在、
GDPは二期連続マイナス。海外からはリセッションとみなされてます。

現実から遊離した数式、モデルを使って無意味な論文を作り、
それによって大学に残れた経済学部・教員。無意味な論文を作るだけなら、
害もありませんが、世論に影響を与えるとなると、これは看過できません。

予想が外れても国会議員のように責任を取ることもありません。
国立大学という安定した場所で、財務官僚とはズブズブの関係。
そんな経済学部・教員は十五年ほど前から、全く同じメンバーで、
日本の財政は破綻すると言い続けてきました。

その予想は外れに外れ、破綻時期はドンドン後ろにずれてます。
今も性懲りもなく破綻を言い続ける経済学部・教員。
メディアに登場して増税の必要性を強調。

思えば、そもそも大学で教わる経済学で、現実世界を正確に描写、予想できる
理論など、ほとんどありません。海外では、ノーベル経済学賞を取った学者が
ファンドを立ち上げ、そのファンドがすぐに破綻、という笑えない話も。

「東大」という肩書に騙されてはなりません。メディアに登場する増税主張の
経済学部・教員たちをのさばらせてはなりません。彼らは自分たちの提言で、
経済が停滞しようが、国民生活が苦しくなろうが、知らん顔。

この面々をシッカリ覚え、次に外した時こそ、私たちはそれを非難すべきです。
経済学部・教員は財務官僚の御用学者、以外の何者でもありません。

冬の夜空
winter night

工大祭2014・CO2のフシギ

大岡山で開かれた工大祭。南実験棟・四の一階で大々的に開かれた
「化学工学への招待」。テーマを見ると。

CO2のフシギ プラズマ・パワーの魅力 流体のフシギ 蓄電池

中でも秀逸なのは教官自身が説明してくれる「CO2のフシギ」。
二酸化炭素は水に溶けやすい気体。アルカリ性のアミン液に通せば、
中和してよく溶けます。それを実演。

研究室は伊東・研究室。ここでは二酸化炭素・分離の方法を研究。
液体膜によるガス分離法まで展示。これはスゴイ。

二酸化炭素を吸収すれば、地球環境・負荷が減り、吸収したものを
温室に通せば、再利用も可能。二酸化炭素・分離は今すぐ社会で
役立つ技術。それを先生自ら、説明してくれるわけですから、さすが三類。
これまで優秀な教え子が、何名も進学していったのが頷けますね。

ケーキ
cake

五月祭2014・東大の農力

工学部キャンパスから農学部キャンパスまでは陸橋。
渡れば、校舎が三つほど。一号館に入ってみましょう。
入ってすぐ右に農学部の展示。テーマは「東大の農力」。

栽培学、作物学、遺伝子工学・・・

農学の最先端について、さまざまな視点からの研究発表。
遺伝子工学のコーナー。自然界で発生した変異作物の遺伝を解析。
変異の原因を突き止める研究。遺伝子解析にはコンピューターによる
計算が必要だとか。

そこまで聞けば、解析の結果、得られた遺伝子情報を、
今度は作物に応用できるのか、聞きたくなりますね。
いわゆる「遺伝子組み換え作物」。

説明してくれた東大・女子。遺伝子組み換えは、実は農学部の実習でも
やってるとのこと。けれど決められた土地で、許可をもらっての栽培。
その結果、成長した作物も、完全に焼却処分。
他へ広がらないよう、細心の注意。

日本ではまだ、遺伝子組み換え作物への規制は厳しいようです。
これは消費者保護の視点からは重要なこと。TPPの結果、アメリカの
基準を押し付けられ、遺伝子組み換え作物を強制的に食べさせられたり
すれば、たまったものではありません。けれど目の前の彼女。

ここ来る前は、私も抵抗あったんですけど、
作ってるうちに、抵抗なくなりましたね。

なんでも、作ってるうちに遺伝子組み換え作物にも、徐々に慣れてきたとか。
その倫理的な問題について、つっこみたいところですが、
まだ学部生の彼女。結論など出てはいないでしょう。
聞かない方がいいですね。

ケーキ
cake

五月祭2014・工学部・五号館

工学部・五号館では三つの学科が展示。応用化学科。化学生命工学科。
化学システム工学科。いずれも準備に時間をかけた展示。

光触媒、化学工学、キラル分子、ハイドロゲル・・・

例えば光触媒のコーナー。光(紫外線)を触媒として、水から水素を
取り出す試み。実現すれば「水素エネルギー」という夢のクリーン・
エネルギー。原発も必要なくなります。

とはいえ水が水素と酸素に分解する反応は本来、不利な反応。
自然には発生しません。そこで光触媒を使って反応を促そう、
となるのですが、いかんせん、装置コストが高く、今のところ、
実用化には至りません。

理論的には可能なはずなんです。

そう繰り返す東大・男子。未来を見つめてます。

そして化学工学のコーナー。これまで化学反応は、とにかく反応が
起きればいい、というノリでした。実験室でなら、それもいいかも
しれませんが、大規模に反応させる場合、話が違ってきます。

どんな量を、どんな速さで投入するか、の工程そのものが重要と
なってきました。この分野を「化学工学」と呼びます。

再生医療では、もはや化学工学を考えない実験は不可能だとか。
例えばiPS細胞を作製する場合でも、どうやれば最適に作製できるかを
考えるのが化学工学。分子が化学反応の主役とすれば、化学工学は舞台。

説明してくれた東大・男子。彼に、化学工学を使って、
STAP細胞の作製を最適化できないか、聞いてみました。
すると。

STAP細胞の存在そのものが、まだ証明されてませんから・・・

理系学生らしい答え。ちょっと変わった感じの東大生。
向こうもシンパシーを感じたのか、いろいろ話してきます。
聞けば三年生。まだ配属教室も決めてないとか。

それぞれのコーナーに、一人、二人の東大生が配属されて、説明を担当。
どのコーナーへ行っても、分かりやすく、丁寧。一昔前、理系学生は、
無口で話し下手などと言われてましたが、過去の話。

社会と積極的に関わろうとする彼らの姿勢は、
文系学生も学ぶべきものです。

五月
May

外語祭2013・タイ料理店

京王線・飛田給駅(とびたきゅう えき)北口を出ても何もありません。
澄み渡った秋空。透明な空気。第九十一回・外語祭が開かれると聞いて、
渋谷教室の授業前に行ってみました。

外語行きバスは二十分以上、待たねばなりません。タクシーに
乗りましょう。車は武蔵野の紅葉した郊外を走り抜けます。
五分ほどで外語の正門前。初めて来る府中・外語。

正門を入って右に八階建ての大きな研究棟。ここが外語のメイン。
左にグローバル・アゴラ。語劇はここでやってます。

歩いて行くと円形広場。なんと、ここで円を描くように各国料理店。
料理店など、てっきり教室でやってると思ってたのでビックリ。
インフォメーションでタイ料理店の場所を聞いて、
地図を見ながら歩いてると。

松本先生。

振り向けばタイ語科・一年生の女子。昨年の教え子。
やっぱり料理店にいたのですね。受験生の頃は一年間、休まず出席。
第一志望に合格。とはいえ、その後は音沙汰なし。

どうしてるのかな、と思ってました。けれど外語祭。
ここで出会ったわけだから、外語を案内してもらいましょう。
彼女も、ちょうど料理店を抜けられる時間。

円形広場から模擬店通り。各サークルが出店。いろんなものを
売ってます。日本酒まで。そしてグラウンド、研究棟。
外語のことを話しながら、私たちは再び、円形広場。
もう渋谷教室に行く時間が近づいてます。

大学生になっても、あどけなさの残る彼女。けれど、外語のことを
楽しそうに話してきます。きっと新鮮なことばかりなのでしょう。
その姿は眩しいばかり。そんな彼女の受験勉強を少しでも
応援できたこと、誇らしく思ってもいいのかもしれない。
そう思えた秋の午後でした。

麦
wheat

大分大学

別府湾を望む大分市。大分駅からはJR豊肥本線。十分ほど乗ってれば、
大分大学前駅。三角形の屋根を持つレトロな駅舎。周囲には緑以外、
何もありません。

駅前の道を右に歩けば、やがて大分大学の正門。地元では「分大」
(ぶんだい)。ここは旦野原(だんのはる)キャンパス。教育福祉科学部、
経済学部、工学部があります。

戦後、地元の師範学校や商業学校がくっついて分大になりました。
工学部は後発です。ただしキャンパスは広く、東京ドーム二十二個分。
キャンパスを緑が取り囲むデザイン。

普通、野球場や陸上競技場など、キャンパスの端っこにありそうな
ものですが、分大ではキャンパスの真ん中。土地価格が安いことを
最大限に活用。

分大。全国的な研究には手が届きません。
けれど地域密着を目指して地元企業と提携。

例えば教育福祉科学部が考案した商品「スッポン・ジュレ
まるまるコラーゲン」。スッポンを使った栄養ゼリーを商品化。

あるいは工学部・応用化学科の「柚子の力」。柚子皮から
エキスを絞り取り、飲みやすく加工した飲料。

市内にもう一つ、挟間(はさま)キャンパス。ここに医学部があります。
2003年(平成15年)まで大分医科大学。

二つのキャンパスは遠く、その不便を解消するため、
モニター遠隔講義が行われてますが、やはり限界があります。
医学部と他学部の間で有機的な連関はできてません。
設立経緯から、これはしかたないでしょう。

「ローカルからグローバルへ」を掲げる分大。ローカルは達成できても、
グローバルまでは、なかなか。しかし大分で生まれ育ち、ここで
暮らしたいと思う学生には一応、ニーズに応えてくれます。

大分空港は市内から遠く、博多へも出にくく、大分は言わば「陸の孤島」。
けれど湯煙上がるこの土地こそ、わが故郷と思う学生には、
分大は最高の学び舎となるでしょう。

夢
revelation

外語、日本史でも受験可能に

外語の二次試験は長い間、英語、世界史。ですが来年度・受験から、
日本史でも受験できるようになりました。二次試験に二科目しかない外語。
受験科目の少なさと、学生の薄っぺらさは比例。帰国生で、
少し世界史を勉強すれば、誰でも入れる大学。

中味ないことを、外国語でペラペラ話して喜ぶ女子学生ばかり。
それはグローバル競争とは何の関係もない、おままごと。
お嬢さんでは、どこに行っても通用しません。

現在の外語教員ライン・アップを見ても、語学で世界に伍していくことの、
ホンとの意味を教えてくれる者も全くいないようです。この点で、今、
引退時期の老人教員たちが、後継者作りの努力を、
全く怠ったことの咎めは大きい。

日本史・受験が可能になることで、外語の雰囲気も少しは変わるでしょう。
もっと言えば、英語、社会しかないのですから、外語は世界史、日本史の
両方を受験科目にすべき。そうすることで、幅があり、クセある学生が
集まってきます。

社会・二科目受験の準備をした東大・受験生が、東大を諦める時、
外語がそれなりの選択肢にもなるはず。男子学生の比率も増えていくでしょう。
いずれにせよ、外語は今のままでは全くグローバルに通用しません。
外語がグローバルに通用しないということは、存在意義に関わります。

真にグローバルな人材。それは日本人としてのアイデンティティを
シッカリ持ち、その上で外国人と互角に戦っていける者。語学力は、
あったにこしたことはありませんが、現場で苦労しながらでも学べるもの。
必須条件ではありません。

海外から帰ってきた帰国生。ペラペラ外国語を操る外語生。
そんな彼らの、その後。それが、どれほどパッとしないか、
社会全体で共有されるようになってきました。

外語を見る企業の目は、ますます厳しくなってます。
外語に行こうと思ってる人は、そこを見つめるべきでしょう。

金魚
goldfish

国際高等教育院

拡声器を通してキャンパスで声を張り上げるのは、左翼学生の
特権とばかり思ってましたが、今は少し違うようです。京大キャンパス。
いい年した教員がキャンパスに出て、京大生に何か訴えてます。

遠巻きにして立ち止まる学生たち。とはいえ大部分の京大生は無関心。
当事者意識ゼロ。何しろ、普段からロクでもない授業しか、してない
教員が、今さら何か叫び始めても、どうせ大した話ではないと
分かってるからでしょう。

そして実際、大したことない話。京大で総長と教員が対立。総長の辞任を
教員が求める事態にまで発展。総長が一般教養の代わりに
「国際高等教育院」を設置すると発表。外国人・教員の数を
百名程度まで増やし、英語で行う授業数も増やします。

これに一般教養の教員が猛反発。今に至ってます。どこの大学でも、
一般教養は何の役にも立ってません。ならば、せめて英語で読み、書き、
話し、聞きの訓練を徹底し、「英語で学問を学べる」下地を作った方が、
まだいいではないか、というのが京大総長の意見。

日本社会での英語公用化には反対の私も、大学の授業くらい、英語で
受けようよ、ということには大賛成。たとえ教員、学生が日本人でも、
英語で全ての講義を行う。当たり前の作業でしょう。

ところが、この当たり前の作業が日本の大学では全くできず、一般教養の
二年間が空白。日進月歩の世界競争で、この空白は致命的。

実際、京大は独創的な研究者を輩出できず、ノーベル賞・受賞者も
途絶えてしまいました。昨年、話題になった山中教授も、
出身は神大。京大ではありません。

「自由」が売りだった頃、京大の一般教養については「九十九人のバカと
一人の天才を生みだす学風」と語られてました。実際、今も京都での
自由な日々を懐かしむ卒業生は、少なくありません。

とはいえ、大学が大衆化し、知的レベルが下がるにつれて、
京大の自慢だった自由は独創へと向かわず、
愚鈍、怠慢へつながっていきました。

実際、今、東大生、京大生の知的レベルは、お話にならないほど、
落ちてます。あえて救いがあるとするなら、理系学部で、世界最先端への
道が開かれてる程度。文系学部は押し並べて「悲惨」の一語。

ならば無駄な一般教養などやめて、英語の運用能力だけでも高め、
その力を付けて専門課程に入ってもらおう、という京大総長の判断は、
現実を冷静に見つめた判断とは言えないでしょうか?

AIUやAPUという地方大が、英語特化カリキュラムを組んで成果を
挙げてます。それが京大で、できないはずありません。

反対してる教員にしても、奮起して英語を勉強し直し、自分の
学問分野を英語で表現する良い機会と、捉えてはどうでしょうか?

最初は失敗ばかりで恥をかいても、やってるうちに、うまくなっていく
でしょう。大学の一般教養という場所では、たとえ失敗しても、
誰にも迷惑はかかりません。

目の前のハードルは、新しい世界への産みの苦しみと考え、
現在の自分の枠を壊し、教員もグローバルな学問競争に
身を曝(さら)すべきではないでしょうか?

失敗し、恥をかきながら、それでも英語で何かを伝えようとする教員の
姿から、京大生も学問研鑽とはまた違う人間力を感じるはず。

とはいえ今の京大。そう考える教員は皆無。自分の枠を壊されることに
恐怖する凡人集団。新しい自分を見つけよう、など思いもせず、
反対運動に血道をあげるオヤジたち。それを見つめる
京大生の視線が冷ややかなのも、当然でしょう。

風鈴
sound

東大、秋入学・見送り

二年前、東大が大々的に発表した秋入学。今回、教授会の反対で
見送りとなりました。社会のさまざまな分野に波紋を投げた提言。
それが反故に。一体、どういうつもりでしょうか?

企業の社長が対外的に重要な発表をする場合、当たり前ですが、
事前に社内議論を繰り返し、まとめ、それから発表するはず。

ところが今回、総長の勇み足。事前の議論も、すり合わせも一切なく、
総長が独断で発表。教授会は世間と同じように狼狽し、
一も二もなく反対に。

東大と言えば、偏差値トップの大学。社会的評価も高いはず。なのに、
この体たらく。一般社会では、あり得ない事態。戦後、大学が過保護に
守られすぎた結果、こうなりました。実際、今、大学生なら、日本の大学が
どこもかしこも、いかに腐っていて、改革しようもない場所だと薄々、
気づいてるでしょう。

けれど教員、学生ともに、保身と怠慢から抜け出せず、時を過ごしました。
一般社会で、そんなことをしてれば、社会から取り残され、退場を
命じられますが、この市場原理が大学、特に有名大には働きません。

大失態の東大。でもよく考えてみれば、総長の勇み足も分からないわけでは
ありません。頑迷固陋(がんめい ころう)な教授たちを前に、議論、
すり合わせなどやってては、百年経っても改革はムリだと判断し、
独断で発表したのではないでしょうか? ある意味、捨て身で?

守られた場所は、居心地いいようでいて、人の進歩を止め、生きることを
妨げます。ホンとは、入学時期の議論より、東大を談論風発の魅力的な
場所にするためにはどうすればいいかを、教員、学生が一体で、
自分たちで考えるべきです。留学生の手助けなど、
借りる必要もありません。

その当たり前の議論をイヤがり、目前の雑事に奔走し、時間を潰して、
結局、何も得られない東大の教員、学生。今回、改めて日本の大学が
抱える問題の根深さが浮き彫りになりました。

緑
green

金沢大学

加賀・百万石の街・金沢。ここに北陸を代表する総合大学があります。
金沢大学です。旧制・第四高校、金沢医専、金沢高等師範、
金沢工専が戦後にくっついて、新制・金沢大学となりました。
地元では「金大」(きんだい)。

街を北西から南東へ流れる浅野川。川を挟んで二つのキャンパス。
メインの角間キャンパスと医薬保健学域がある宝町・鶴間キャンパス。

角間キャンパスは広く、緑の中に校舎が点在。1990年代初頭に
できた校舎は新しく、どれも落ち着いたレンガ色で統一。

中地区と北地区・南地区の間には長いプロムナード。
金大のシンボルともなっていて、小説やドラマの舞台にも。
JR金沢駅からバスに乗ると、このプロムナードの下まで
連れてってくれます。

金大では学部で編成されておらず「学域」で分かれます。

人間・社会学域 理工学域 医薬・保健学域

入学時に細分化せず、入学後、知識を広げてから専門領域を
決めてほしいという大学側の配慮。確かに入学時、ドイツ文学でも
勉強しようか、と思って入ったけど、その後、ビジネスや会計学に
興味が出てきてシマッタ、ということはよくある話。

金大の場合、文系は人間・社会学域だけですから、ここに入っとけば、
入学後、自由に専門領域を決めることができます。

里山まである広いキャンパス。キレイで新しい校舎。自由なカリキュラム。
キャンパスのあちこちにある十以上の学食。三つの図書館。
これで人気が出ない方がフシギ。

とはいえ金大。他の地方大と同様、文系の弱さは否定できません。
全国的、世界的に通用する卒業生が出てこないのです。

かつての四高からは泉鏡花(いずみ きょうか)徳田秋声(とくだ しゅうせい)
室生犀星(むろう さいせい)といった文豪が出ました。三人の像は
市内にある四高記念館の前に、今も昔の姿で立ってます。
彼らに続く新しい文豪が金大から出てほしいもの。

石畳の街並みを残す金沢。街の魅力では決してひけを取りません。
金大から全国に情報発信する態勢を整えるべきです。
その時「価値創造」のコンセプトが不可欠となるでしょう。

緑
green

国際教養大学

秋田空港のすぐ隣にあります。周囲は秋田杉に囲まれた森。
開学は2004年(平成16年)ですから、まだ十年も経ってません。
とはいえ、その大学が今、全国で最も注目を集めてます。

英語では"Akita International University"。"AIU"(エー・アイ・ユー)。
学部は国際教養学部のみ。定員は百七十五名。数十倍の志願者が殺到。
どうして片田舎の大学がこれほど人気を集めるに到ったのでしょうか?

その理由は抜群の就職率にあります。古くさい地方大・文系の場合、
就職先は地元の役所か教員に限られます。よそでは通用しません。

東京の一流企業への就職など夢のまた夢。学生にそんな覇気がなく、
教員の能力も低いまま。結果、地方大・文系では、教育学部が
幅を利かします。そして退屈な教員を再生産。雰囲気は沈滞。

けれどAIUの場合、学生会館に貼り出された内定先を見ると。

三井物産、キャノン、本多技研、三菱東京UFJ、
ソニー、新日鉄、日本郵船・・・

一流企業がズラリと並びます。しかも就職率は100%。人気の秘密はここ。
就職率だけではありません。AIUは画期的な試みを次々と実行。
一年生は全員、キャンパス内にある「こまち寮」で寮生活。勉強に
集中させます。寮入口には「勉強しない若者に未来はない」。

キャンパス内には学生宿舎もありますから、二年次以降、寮から宿舎に
移行することも可能。秋田市内に下宿したところで
通学に一時間もかかるだけ。

そもそも秋田市に何の魅力もありません。ならばキャンパス内に
とどまった方が能率的。しかも空港がすぐ近くにありますから、
東京、大阪、札幌、福岡が等距離。

秋田県が設立した公立大学・法人なのに、AIUは全国から学生を集めます。
秋田市からは遠くても空港からは近い。この有利さには
誰も気づきませんでした。

授業は全て英語。一年次は聞く、話すを含め、英語の徹底した学習が
義務付けられます。逃げることはできません。「英語を習う」のではなく
「英語で習う」。現在、日本の大学でこれを実践できるのはAIUだけ。
外語も上智もICUも「語学を習う」だけで「語学で習う」わけではありません。

AIUでは英語集中プログラム(EAP)と基盤教育(BE)で英語漬けとなり、
全面的な英語力を身に付けてから専門課程に入ります。

専門課程はグローバル・ビジネス課程(GB)と
グローバル・スタディズ課程(GS)。

英語でのプレゼンテーション。そしてディスカッション。
確かに、これで鍛えられた学生は企業のニーズに即応。

一年間の留学プログラム。AIU生は全員、世界のどこかの大学に留学。
留学先の選定、学費も大学が全面的にバック・アップ。有名大で見られる
ツマラナイ一般教養。身に付かない第二・外国語。
そのようなムダが一切ありません。

アメニティ(設備)も充実。秋田杉で作られた図書館は三百六十五日・
二十四時間ずっと稼働。図書館には「言語異文化・学習センター」。
さまざまな外国語の自習施設が完備。教材もCDやDVDなど多種多様。
英語以外の言語を習いたければ、ここへ来ればいいわけです。

AIUの理事長・学長を務めた中嶋嶺雄(なかじま みねお)。
画期的な大学運営は、ひとえに中嶋学長の手腕によるもの。

外語・学長だった中嶋。けれど外語で頑迷な教授会の反対にあい、
まともな改革もできませんでした。マスコミにもよく登場してた中嶋学長。
嫉妬深い教員の間で支持を集められません。
数年で学長の座を降ろされます。

AIU発足時、そんな中嶋に白羽の矢が立ちました。外語での経験から、
愚かな教員と視野の狭い学生にウンザリしてた中嶋。
二の足を踏みます。けれど。

全面的にお任せします。思い切りやって下さい。

大学側からのオファー。外語では果たせなかった大学改革を、
中嶋は一からやってみることに。新設大学だったことにより、
無意味なしがらみもなく、中嶋の先見性と実行力が隅々に発揮。

当たり前のことが当たり前に実行されていく風景。
中嶋にとって爽快だったでしょう。

何の実績もないけど、面白そうな大学。おっかなビックリで入学してきた
学生も、中嶋学長のやる気に触発されます。有名大に入学した学生は、
ボンクラ教員の無意味な授業に失望し、サークルだのバイトだの、
愚にもつかない時間潰しに没頭。蜃気楼を見つめ続けた挙句、
プライド以外、何も身に付けられずに終わります。

けれどAIU。「英語で習う」ことの難しさを知ってればこそ、第二・外国語など
やめ、英語だけを集中的に鍛え、その後、専門課程で「英語で習う」を実行。
結果を出しました。ホンとは、こういう発想は外語がいち早く持ち、
採用すべきものでした。

けれど外語では無能教員が、昔ながらの訳読にしがみつき、
批判力ない学生も、それに何の疑問も持ちません。女子ばかりが増え、
外語の質低下は目をおおうばかり。外語はドンドン時代から取り残され、
今に到ります。改革を実行しようとした中嶋学長すら、
追い出してしまいました。

結果、府中にある外語。建物だけキレイで中味は無残。学生は専攻語すら、
ろくすっぽ話せないまま、単位だけ取って卒業。就活でも、その薄っぺらさは
面接官に簡単に見抜かれ、以前なら楽勝だった総合商社への入社も苦戦。

就職できない女子学生が、行く場所もなく、ドンドン外語・大学院に進学。
けれどモラトリアムが長引くだけ。大学に残る資質もありません。
最後の最後で、それまでいい顔をしてた指導教員が引導を渡し、
学生を放り出します。

堕落してるのは外語だけではありません。AIUの大躍進を見て、
全国の大学が危機感を感じてます。東大は秋入学を発表。京大は
一般教養の廃止を決定。けれど相変わらず、こういう大学では
教授会の「学問の自治」に反対され、身動き取れません。

例えば、東大・秋入学。その後、どうなったのでしょうか?
言うだけ言っといて、後はほったらかし?

いつから秋入学になるかをアルバイトの東大生に聞いても
「私たちも分からないんです。」情けない限り。

中嶋学長は今年二月に亡くなりました。AIUでは大学葬を行い、哀悼。
学長、理事長のポストは当分、空白に。

欺瞞と怠慢に毒され、どうしようもない日本の大学界。
そこに風穴を開けた中嶋学長。AIUの今後の使命は大きいでしょう。

電話
telephone

弘前大学

明治期、青森県に旧制高校を設立する計画が持ち上がった時、
真っ先に誘致に乗り出したのは弘前市でした。

遅れて青森市も名乗りを上げ、県議会の議論は真っ二つ。
結局、知事裁定で弘前に決まりました。

旧制・弘前高校。青森だけでなく、東北全体から秀才を集めました。
青森中学を卒業した津島修治(つしま しゅうじ)も
この弘前高校にやってきました。語学の得意な青年。

そのまま弘高を出て、地元で英語の先生にでもなってれば、
静かで幸せな人生を遅れたかもしれません。

優男でハンサムだった津島。どこへ行ってもモテました。
才に恃(たの)むところあったのでしょう。津島は弘高を出た後、
東京帝大への進学を決めます。専攻は文学部・英文学科。

東京へ出たことが津島にとって運の尽きでした。
太宰治(だざい おさむ)として作家デビューし、
一躍、文壇の寵児となるも、その人生は苦悩の連続。

苦悩を作品に組み込むことが、現実の苦悩を一層、助長。
太宰は作家としての自分を、どれほど後悔したことでしょう。
その結果、私たちに残された太宰の作品群。

こんなもの、一切、書かなくてよかったから、
個人として幸せに生き、満足して生涯を終えてほしかった。

太宰治・全集の前に立つ時、私はいつも、
心からそう思わずにいられません。

さて弘前に戻りましょう。戦後、旧制・弘前高校の流れを汲む
弘前大学が誕生。地元では「弘大」(ひろだい)。

県庁所在地にありながら国立大を設立できなかった
青森市民の落胆は、察するに余りあります。

弘大キャンパスは二つ。そう遠く離れてはいません。
本部がある文教町キャンパス。医学部がある本町キャンパス。

弘大でも農学が元気です。名前は農学生命科学部。
生物学科も揃えた本格的な陣容。

生物学科では生命現象の全体を対象とする幅広い研究が行われてます。
対象領域を広くすると、学生はややもすれば、自分が何をやってるか
分からなくなったりします。とはいえ、それは視野を
広く取った場合にどうしても生じる問題。

その問題を克服し、徐々に専門分野がクッキリしてくる時、
最初から対象を狭く絞って、まとまった場合より、
遥かに広い地平線と、高い専門性を獲得できます。

同じ学部には園芸農学科も。ここでは弘前・特産である
リンゴの品種改良が研究されてます。

弘前リンゴは全国のリンゴ生産量の二割を占める有名ブランド。
ブランド維持のためには、絶え間ない品種改良が不可欠。

また地域環境工学科では農学・工学の連携を模索。
卒業生からは農業土木・技術者になる人も多く、
地域に根づいた取り組みを行ってます。

医学部だけではない弘大。二つのキャンパスが近いことも大学の強み。
地方大には、四つや五つのキャンパスがバラバラになってる
情けないタコ足大学も、たくさん。

弘大は自らの強みをもっと自覚し、対外アピールし、
東北の覇を東北大と争うくらいの気概が必要でしょう。
その下地は十分に整ってます。

春の弘前城
Hirosaki Castle in spring

香川大学

高知から特急「しまんと号」で入った高松。駅を降りたのは朝七時。
高知は暖かったのに高松は寒い。駅を出るとバス・ターミナル。

三木町へ向かうバスに乗ります。香大(かだい)農学部に
行ってみましょう。バスは最初、市内を走りますが、やがて田んぼ道に。
五十分ほど揺られて、やっと農学部に到着。

農学部が街中にある必要もありませんから、このロケーション自体を
どうこう言うことは、今回はやめておきましょう。

正門から見える大きな講義棟。その横にある希少糖・研究センター。
このセンターこそ、今の香大で最もホットな場所。

将来、食品や薬品、医療など、さまざまな分野での応用が期待される
夢の素材、希少糖。実は世界でも専門の研究施設はここだけ。

希少糖は自然界には存在せず、自然界にある単糖に特定酵素を
反応させて作る糖。言ってしまえばそれだけのことですが、酵素の特定が
難しく、生産もおぼつきませんでした。1gが数万円ほども。

ところが農学部の何森健(いずもり たけし)教授が1994年(平成6年)
なんと、大学敷地内の土から採取した物質を使って新型の酵素を
作ることに成功! 単糖フルクトースをプシコースに変換したのです。
この酵素の構造は「イズモリング」と命名されました。

現在、希少糖・研究センターには、六炭糖・三十四種の希少糖を生産する
設備があります。香川県も研究の実用化を全面的に推進。

大学内の売店で「アムリタ」というパンを売ってました。希少糖が
使ってあるとか。お腹が減ってて、焼き立て。これはオイシイ。
ただし、言われなければ希少糖とは分からなかったでしょう。

全国、いや世界に先駆けた香大の試み。それを県もバック・アップ。
香川を活性化させるぞ、という意気込みを感じますね。

地方大は今、どこも農学部が元気です。香大の場合、
糖で注目を集めてますが、農学部には環境や生命、食料など、
これからどうしても必要とされる学科が目白押し。

投資家の観点でも、農業への投資は今後、不可欠。
私もどういう投資形態がいいかと今、思案中。

いろんな大学を回ってるうちに、未来の有望な投資案件も
見つかるのですから、旅行を兼ねた大学巡りもバカにはできません。

来週からは春期講習。こんな自由な旅行もできなくなります。
私も気持ちを切り替えねばなりません。
新しい生徒たちがやって来ます。

栗林公園
Ritsurin Park

高知大学

高知・龍馬空港からJR高知駅までは空港バス。南国の空気に初夏の匂い。
眩しい緑が通り過ぎます。空港近くに農学部・物部キャンパスが
ありますが、今回は通り過ぎましょう。

四十分ほど乗ってると「はりまや橋」を過ぎて高知駅。
駅前には大きな像。三人の武士が立ってます。

土佐勤王党の首領を務めた武市半平太。
薩長同盟の締結に奔走した坂本龍馬。
土佐・陸援隊を設立した中岡慎太郎。

当時の藩主・山内容堂(やまうち ようどう)や参政・後藤象二郎
(ごとう しょうじろう)は彼らほど人気がありません。土佐勤王党を
弾圧する側に回ったからでしょう。

駅・反対側にバス・ターミナル。ここから附属病院行きの
バスが出てますから、それに乗ってみましょう。

高知の街はすぐに途切れ、バスは山間の道に。三十分ほど
揺られて、やっと右に大きな建物が見えてきました。

1973年(昭和48年)第二次・田中内閣で「一県一医大・政策」が
閣議決定されました。それに基づき、1976年(昭和51年)に
高知医科大学が設立。現在、高知大・医学部に。
岡豊(おこう)キャンパスです。

バスは附属病院・外来診療棟・前に着きました。
向こうには中央診療棟。病棟と基礎・臨床研究棟は
渡り廊下でつながってます。どちらも七階建て。

研究棟に入ると"MR"と呼ばれる製薬会社・保険会社の社員が
廊下に貼り付いてます。教員が出て来るのを、ずっと待ってなきゃ
いけないわけですから、この仕事もタイヘンですね。

高知大・医学部で特筆すべきは2010年(平成22年)から始まった
先端医療学コース。先端医療研究に特化したコースを
六部門に分けて新設しました。

独創的医療部門 再生医療部門 情報医療部門
社会連携部門 先端医工学部門 臨床試験部門

とはいえ、このコースはまだ始まったばかり。
どういう成果が出るかは今後の判断に委ねられます。

さてメイン・キャンパスはと言うと、朝倉キャンパス。一年次、全員がここで
学びます。この朝倉キャンパス。高知駅から電車の本数が少なく、街の中心と
有機的に連携できません。農学部の物部キャンパスにしても、空港の近く。
完全なタコ足大学です。

もちろん高知大もこの欠点には気づき、学部間の垣根を
取り払う「土佐さきがけプログラム」を立ち上げました。
中味はと言うと。

グリーン・サイエンス人材育成コース 国際人材育成コース
スポーツ人材育成コース 生命・環境人材育成コース

けれど、大学全体の特色として打ち出すには、どのコースも
今ひとつインパクトに欠けます。しかもカリキュラムでは
ロケーションの問題を根本的に解決することはできません。

実は高知大。今年度入試で志願者は3007名。昨年は4050名だった
わけですから、1043名減。実に28%も志願者が減りました。
これは危機感を持つべき数字です。

ロケーションの問題は大学だけで解決できません。地元出身の国会議員や
知事、市長のリーダーシップ、そして大学側の積極的な協力が不可欠。
高知大。実は今、全学を挙げて、そういう議論を始めるべき時に
来てるのではないでしょうか?

高知城
Kochi Castle

新潟大学

大宮から乗った上越新幹線。高崎を過ぎて湯沢に入った途端、外は雪景色。
旅館やホテルが立ち並び、向こうにはスキー場。新潟に行くのはやめて、
ここに泊りたいほど。けれどそのまま乗り続けましょう。

長岡になると雪は少なくなり、やがて新潟に。万代口(ばんだい ぐち)を
出ると目の前にバス・ターミナル。七番乗り場から、新潟大学行きのバス。

やがてバスは市役所前に。降りると新潟大は目の前。地元では「新大」
(しんだい)。まず見えてくるのは歯学部・総合病院。そして附属病院・外来棟。
向こうに医学部・研究棟があります。外来棟と研究棟の間にタクシー待機所。
白衣を着た教員、学生が通り過ぎます。

見るとヒポクラテスの樹。ヒポクラテスは人体を地、水、火、風の四元素に
分類し、治療法を確立しました。加持祈祷でなく科学的方法で
医学をスタートさせた、言わば「医学の父」。

そのヒポクラテスが実際に講義をしたと伝えられてる樹がヨーロッパに現存。
その木の種子を持ち帰り、ここに植え、この樹になったとか。

研究棟の向こうには赤門。ここが正門。1912年(大正3年)。
まだ新潟医専だった頃に作られた門で、今では有形文化財。

けれど、どう見ても裏門。レンガの塀も傷んでます。大学のシンボルなのに、
これでは少し物足りないですね。その正門・横には脳研究所。日本で
脳を専門にした研究所はここだけ。五部門に分かれます。

基礎神経科学部門 臨床神経科学部門 病態神経科学部門
統合脳機能・研究センター 生命科学リソース研究センター

医学部・歯学部を備えたこのキャンパスは旭町(あさひまち)キャンパス。
旧六医専の一角だった新潟・医学専門学校を前身とします。北陸で医学部、
歯学部を揃えてる大学はここだけ。総合研究を目指します。

新大の他学部はJR越後線で六つほど行った五十嵐キャンパス。
人文、法、経、教育、理、工、農の学部がここに。

医学部、歯学部生も一年次には、五十嵐キャンパスで学びます。
二年次以降、旭町キャンパスに移ってきます。医学部の場合、カリキュラムは。

一年次・・・基礎医学・生理系
三年次・・・基礎医学・病理系
四年次・・・臓器別統合カリキュラム

四年次・終わりにCBTとOSCE(オスキー)と呼ばれる共通試験に
合格しなくてはなりません。五年次からは臨床医学が始まります。
そして六年次には臨床実習。

外来棟は十二階まであります。最上階にはレストランがあると聞いて
行ってみました。なるほど日本海を見渡せる雄大な眺め。海岸には
松林が広がり、向こうには荒々しい日本海。まだ冬です。
地域医療を担う新大。その責任は大きいでしょう。

鳥
little bird

京都府立大学

戦前、京都府立だった農林専門学校と女子専門学校が戦後、くっついて
京都府立大学となりました。下鴨(しもがも)にあります。
地元では「府大」(ふだい)。

文学部、公共政策学部、生命環境学部の三つ。学部が三つしかないため、
この下鴨キャンパスに全て収まってます。近くには府立植物園も。

府大では、京都府医大や京都工繊大と教養教育を共同施設で行う計画を
立ててます。まだ計画段階ですが、実現すれば、教養の間だけでも、
より広い交流ができそうです。

京都には有力な大学が官学、私学を問わず、たくさんありますから、
府大が文学部や公共政策学部で特色を出すのは、なかなか難しいでしょう。

けれど生命環境学部は農林専門学校からの伝統もあって、
今も高度な研究を続けてます。中でも森林科学科は注目に値する学科。
全国的に見た場合、農学部を備えた大学は、それなりにありますが
「林学」まで揃えてる場合は稀。

たとえ揃えてても、田舎の大学が多くなります。林学の性質上、仕方ないこと。
けれど府大・森林科学科。府内に六ヶ所の演習林を持ち、大野演習林では
四十名が宿泊できる施設まで。規模だけで言えば、
京大・農学部の森林学科を上回ります。

森林科学科の教員は十六名。学科定員が三十五名ですから、
まさに恵まれた状況。砂防学から始まり、森林生態学、森林植生学、
森林資源循環学などの勉強が続きます。そして林の中での演習。
やってみたくなる受験生はいないでしょうか。

キレイな空気や水を残すこと。クリーンな資源を開発すること。

そのために林学は不可欠です。しかも、その林学を京都で学べるとしたら、
これは一考に値するでしょう。京都は都会のようでいて、一歩、街の外に出れば、
豊かな自然が広がります。郊外がベッド・タウンにならず、そのままの
自然が残されてます。自然研究にとっては、良い環境でしょう。

京大・農は狙えないけど、自然を研究したい。何より京都が好き。

そんな受験生には、お薦めの大学です。

蜂
bee

岐阜大学

織田信長は1567年(永禄10年)斎藤氏を排して稲葉山城(いなばやま じょう)
に入城。この地を「岐阜」と名づけ、以降1576年(天正4年)に安土城に
移るまでの九年間、ここを居城としました。

武力で天下を統一するという「天下布武」(てんか ふぶ)を、信長が
唱えたのもここ。岐阜時代、信長は楽市・楽座を開いて国を富まし、
さまざまな戦いを勝ち抜いて、領土を拡大していきました。

そんな岐阜にある国立大・岐阜大学。地元では「岐大」(ぎだい)。
駅から自転車を走らせても三十分以上。キャンパス周囲には田んぼ。
教育学部を除くと、文系学部は地域科学部のみ。
理系学部は医学部、工学部、応用生物科学部。

川の向こうに医学部。そして附属病院。
川のこちら側に大学本部。そして他の全ての学部。

地域科学部は地域政策学科、地域文化学科に分かれます。
公務員や地元企業・就職者のための学部。

応用生物科学部には共同獣医学科も。小規模ながら、
附属動物病院がキャンパス内にあります。

工学部では機械、電子、化学から環境、生命まで、一通りのことは
学べる体制。地方の工学部らしく「ものづくり」を重視。

全体が一つのキャンパスにあるのは良いのですが、岐大。
何となく小さくまとまってしまいました。大学としての
メッセージやインパクトがありません。

失敗を恐れず、世間にアピールする姿勢をもう少し打ち出しても、
いいのではないでしょうか。例えば、医学部と工学部が一つの
キャンパスにあるのだから、医工融合のセンターなり、研究所なりを
設立して、再生医療を研究する、なんてどうでしょう?
医学部はともかく、工学部の偏差値は急上昇するでしょう。

今、岐阜は街を挙げて、地域の英雄・信長をアピール。ならば岐大。
信長にならって「岐大、ここにあり」とまず天下に名乗りを上げ、
ドンドン新しい試みを示していくべきでしょう。

傘
umbrella

群馬大学

前橋市を南北に貫く国道十七号線。駅から北へ向かうと、左に群馬大学・
附属病院が見えてきます。正門から入ると、右に附属病院。
左に医学部キャンパス。医学科だけでなく、保健学科も。
戦前は前橋医専。

群大はこの昭和キャンパスと荒牧キャンパスに分かれます。
荒牧キャンパスは十七号線をさらに北上した場所。
教育学部と社会情報学部。

一年次は全員、荒牧キャンパスで教養教育科目を学び、
二年次から、それぞれ分かれます。

さて医学部のある昭和キャンパス。正門から少し歩くと大学生協。生協・隣に
生体調節・研究所。向こうに重粒子線・医学センター。そう。群大・医学部は
地方大とは思えない専門センターを揃えてます。まずは生体調節・研究所。

設立は1963年(昭和38年)で「内分泌研究所」という名前でした。
群馬は海がなく海藻・摂取量が少ないため、甲状腺疾患が発生しやすい土地。
そのため甲状腺ホルモンを研究するセンターが、群大に設立されたわけです。
1994年(平成6年)従来の内分泌(ホルモン)だけに限定されない、
もっと視野の広い研究所「生体調節・研究所」として再出発。

研究所では生命活動を大きく分泌系(代謝系)と神経系に分け、全体として
捉える研究を目指してます。ホルモンだけでなく、増殖因子、脂質メディエーター、
神経伝達物質の研究まで。内分泌系の研究では、日本トップ・クラス。

もう一つの重粒子線・医学センター。重粒子線は炭素イオンを高速に
加速して病巣に当てるため、線量集中性が高く、ガン細胞を破壊する
力も大きい治療線。照射制度も高いため、健常細胞を温存することも可能。
副作用が従来の放射線治療に比べて少なく、治療期間も短くてすみます。

群大・医学部は放射線・治療研究が全国でも屈指であったため、
2010年(平成22年)3月、最初の重粒子線の治療センターがここに設立。
現在でも重粒子線・治療はここも含めて三か所のみ。

放射線・医学総合・研究所(千葉市)。
兵庫県立・粒子線・医療センター(たつの市)。

世界でも重粒子線・治療は開発中で、世界で見ても、この三か所だけ。

前橋は典型的な地方都市。街を歩いてても、あまり活気がありません。
何より、人の姿が少ない。県庁所在地なのに。

けれど群大・医学部。そんなことをものともせず、
日本や世界をリードする研究を進めてます。

木
tree

東工大・ものつくり教育研究・支援センター

東工大・入試では第一類から第七類まで。

第一類・・・理学
第二類・・・材料
第三類・・・応用化学
第四類・・・機械・制御・経営
第五類・・・電気・情報
第六類・・・建築・土木
第七類・・・生命

よく東工大チームがロボット作ってテレビに出てますが、それは四類。
理論だけでなく、ものづくりを奨励する東工大を代表する類。そんな東工大。
実は学内に「ものつくり教育研究・支援センター」。

中に入ると人力飛行機。手製のスピーカー。奥に加工場。
実際に材料を切ったり削ったりするための場所・工具。
テレビで見るロボットも、こんな場所で作られたのですね。

訪問した時にも、何人かの学生が加工作業に没頭。外人学生の姿まで。
訪問者には慣れてるのか、入っても、誰も気にしません。希望すれば、
加工作業に参加できるとのこと。開かれた東工大ならでは、ですが、
やめときました。偉業も、日頃の地道な作業があってこそ。
そのことをシッカリ教えてくれるセンターです。

鳥
bird

東工大・蔵前会館

大岡山駅・周辺は低い建物が多く、しかも看板が時代がかってて、
まるで昭和三十年代のよう。目黒線・沿線には意図的なのか、
このようなレトロな雰囲気。田園調布駅も、そんな感じ。

さて大岡山と言えば、東工大。線路の左にメイン・キャンパスが広がります。
けれど右にもキャンパスが。しかもその正面にガラス張りの明るい建物。
東工大・蔵前会館です。

東工大の前身、東京職工学校は関東大震災前、蔵前にありました。
設立は1881年(明治14年)。それにちなんで東工大の同窓会・組織は
「蔵前工業会」。その同窓会館として蔵前会館が建てられました。

ウレシイことに、この蔵前会館。東工大・関係者だけでなく、
地域に開かれてます。実際、乳母車を引く母親や、家族連れの姿も。
理系に特化した大学は、研究にのめり込むあまり、社会との接点を見失いがち。
それを十分に意識した、このオープン感覚。さすが東工大。

しかも蔵前会館。なんと二階には精養軒が出店。ランチ、ディナーを提供。
こういう何気ない配慮こそ、目に見えない形で大学生活、研究生活を
支えてくれるもの。東工大は、やはりイチ推しです。

春
spring

東工大・世界文明センター

久しぶりに東工大に行ってみました。普段は目黒線・車窓から
見るだけの東工大。キャンパスを歩いてると、小さな建物。
その名前がなんと「世界文明センター」。

こんな小さな建物で文明研究? しかも東工大で?

中に入ってみました。ガランとしてます。受付・女子が応対。
「文明」とは大げさですが、学生たちに芸術、人文に触れてほしいと、
2006年(平成18年)に設立されました。もう七年も前のこと。

東工大の学生向けに単位として認定される授業をしたり、
一般向けにセミナー、講演会を開いたり。ちなみに今は
「旧約聖書を読む」セミナー。

「理系の総合大学」を謳ってる東工大。けれど文系にも気を配ってるあたり、
大学運営の確かさを感じます。たとえ「文明」という名前が少々、
ハッタリだっとしても・・・

ピラミッド
civilization

島根大学

東京から島根へ行くには飛行機が最も便利。一時間と少しで飛行機は
着陸態勢に。春を間近に控えた、白い雲が眩しい。そして着いた空港。
なんと「出雲縁結び空港」。空港のドア、床、あっちこっちにハートのマーク。
出迎えてくれる島根・キャラクター「しまねっこ」。そこにもハート。

空港だけではありません。松江行き・空港バスにもハート。空港バスは
宍道湖(しんじ こ)を左に見ながら東へと疾駆。宍道湖。
言われなければ、海に見えるほど広い湖。

四十分ほどで、空港バスはJR松江駅に到着。そこからは市営バス。
十五分も乗ってると「島根大学前」。

島根県では宍道湖を挟むように、東に松江市。西に出雲市。
島根大も松江キャンパスと出雲キャンパスに別れます。
地元では「島大」(しまだい)。

今回はメインの松江キャンパスが目的地。正門を入ってみましょう。
それほど広くない敷地に校舎が効率よく並んでます。
校舎の向こうには、グラウンド。野球場まで。

松江キャンパスには法文学部、教育学部、総合理学部、生物資源学部。

出雲キャンパスには医学部。昔は島根医科大学と言ってました。
けれど、2003年(平成15年)島大に吸収され、島大・医学部に。

さて松江キャンパス。正門を入ってしばらく歩くと「キャンパス・プラザ」。
島大生が立ってお喋りしてます。山陰の国立大らしく、農学研究が盛ん。
けれど学部の名前は「生物資源科学部」。従来の農学にとらわれない、
新しい研究をしようという姿勢の現れでしょう。

島大らしいのは「水研究」。「水の利用」と「水の環境保全」に関する研究。
思えば、上水道の整備、汚泥・下水の処理、淡水化事業。これらに関する
技術は現在、日本だけでなくアジア、中東で最も必要とされてます。
しかも、この環境分野では、数十年、先行してる日本企業が世界を圧倒!

水処理では栗田工業、荏原製作所。
淡水化事業では日揮、千代田化工建設。
膜では東レ、帝人。

水ビジネスは日本だけでなく、世界を股にかけた商品開発、
事業展開ができるはずです。細菌・ウィルスの不活性化。
有害物質を吸着・除去する無機・吸着素材の開発。

一体、これらを聞いてワクワクしない若者がいるでしょうか?
まさに無限のフィールド。島大の着眼点は確かでした。

宍道湖を挟む松江・出雲。この地域を総称して「出雲」と呼びます。
神話によると、日本の始まりはここだとか。しかも年に一度、神々が
ここに集まります。十一月。他の地域で神無月でも、出雲では神有月。
どの男女をくっつけるべきかまで、神々は相談してくれるとか。

水と神秘に囲まれながらも、科学的に環境技術を研究する。
こんな大学生活も、悪くないのではないでしょうか?

しめなわ
shrine

熊本大学

およそ大学が活性化されるためには、文系、中でも人文がガンバらなくては
なりません。しかし、たいていの地方大の場合、そんな余裕もなく、
文系は一学部のみ、というケースが大半。もう一つあったとしても、
教育学部。地方大・文系の層の薄さは否めません。

というわけで、そこそこ優秀な地方の受験生は、文系の場合、
東京の私大に出ていくことになります。ところが熊大(くまだい)。
県庁・所在地にあるとはいえ、それほど人口も多くない街なのに、
法学部、文学部の二つをキチンと揃えてます。

考えてみれば、九州・国立大で、この二学部を揃えてるのは
九大と熊大のみ。熊大の意気込みが感じられます。

明治が始まるまでは、九州の中心は熊本でした。もちろん福岡は
アジア地域との接点として重要だったのですが、江戸期、日本人は
鎖国政策を取ったため、福岡の重要性は薄れてしまいます。

明治になり、各地に高等学校が設立された時にも、九州では真っ先に
熊本に第五高等学校が置かれました。旧制高校ではどこも、男子ばかりで
バンカラ。五高では、その傾向がとても強く「ストーム」と呼ばれる
歌って歩く大騒ぎを何度もしてたとか。

今も五高の影響は強く残っていて、キャンパスを歩けば、レンガ造りの
二階建て「五高記念館」がドーンと立ってます。

医学部は明治期、熊本医学専門学校と言ってました。旧・六医専の一角。
それ故、今も熊大・医の研究レベルは高く維持されてます。東京で
教えてる私ですら、志望校として熊大・医を質問されるほど。

さて熊大。理系は理学部、医学部、薬学部、工学部を備えた堂々たる陣容。
熊大キャンパスは三つありますが、どれも市内3㎞範囲内にあり、
連携しやすい体制。

問題は文系。せっかく二学部を揃えてるのに、
研究成果なり、発表なりが、全く聞こえてきません。

熊大からは著名人も作家も出ず、あえて言えば、
「今のキミは ピカピカに光って」で一世風靡した
宮崎美子(みやざき よしこ)くらい。

インフラ(基盤)は整ってるけど、コンテンツ(中身)がない。

ハッキリ言って、これが熊大の現状。でもこれは、コンテンツ充実の
努力さえすれば、すぐに改善できる、ということでもあります。

キャンパスが狭い、そもそも学部がない、という場合、問題は構造的ですから、
単なる「やる気」だけでは如何ともしがたいものがあります。

けれど熊大の場合、器はキチンとしてて、後は「やる気」のみ。
これで奮起しない学生はどうかしてるでしょう。
そのOBには。

外務大臣として終戦工作に奔走した重光葵(しげみつ まもる)。
所得倍増計画を打ち立て、高度経済成長を牽引した池田勇人。
沖縄返還に努力し、日本人初のノーベル平和賞に輝いた佐藤栄作。

学者でも。

「科学エッセイ」という新分野を打ち立てた寺田寅彦(てらだ とらひこ)。
戦前の国家思想を牽引した大川周明(おおかわ しゅうめい)。
日本のマルクス経済学を長い間、リードした大内兵衛。

文学者としても「月に吠える」の萩原朔太郎。
「夕鶴」の木下順二。「日の果て」の梅崎春生・・・

まさに多士済々。けれどこれらの人は全て五高・出身者。新制・熊大に
なってから、熊大の存在感は、医学部を除き、全く薄れてしまいました。

さあ、熊大生。伝統の上にあぐらをかいてるだけはいけません。
九州を超え、日本を超え、世界を相手にした研究を発表しましょう。

熊本城
Kumamoto Castle

鳥取大学

関西で教育を受けたなら、遠足や修学旅行で必ず鳥取砂丘に行くことに
なります。日本海に面した広い砂浜。砂漠と呼ぶには小さすぎますが、
日本でこれほどの砂地は他にありません。

その砂丘の端になぜか半球形のガラス・ドーム。鳥取大の乾燥地・研究センター。
このセンターは五つの分野を専門としてます。

地球環境 農業生産 分子育種 保険医学 環境修復

現在、乾燥地は地球の陸地全体で41%。中でも砂漠化が進んでる地域は
10~20%にも。こうした砂漠化、干ばつを予防するために鳥取大が
身近な砂丘をモデルとして研究を進めるなら、それこそ
鳥取にある国立大としての面目躍如でしょう。

日本にこのようなセンターは、もちろん、ここだけ。海外にも少なく、
それ故、同センターには海外から多くの研究者、留学生が集まってます。

汚い水をキレイにすること 砂漠を緑地に帰ること

こうしたことは自然を大切にし、手先の器用な日本人が最も得意とする分野。
しかもその研究は日本だけでなく、世界全体に恩恵を与えます。

このように鳥取大は、農学部が元気な大学。農学部には
生物資源・環境学科と獣医学科。上記の乾燥地・研究センターは
生物資源・環境学科に属してます。他にフィールド・サイエンスセンター。
菌類きのこ・遺伝資源・研究センター。

獣医学科にも鳥由来・人獣共通・感染症・疫学研究センター。

地方大・農学部がこれほど多彩なセンターを要するのも珍しいこと。
なんとかして時代の先端を掴みたい、大学の特色を打ち出したい、
という鳥取大の意気込みが表れてます。

キャンパスは、鳥取キャンパスと米子キャンパス。

鳥取キャンパスは砂丘からもすぐ近くのところ。ここには地域学部、
農学部、工学部。米子キャンパスには医学部。とはいえ、
一年次は全員、鳥取キャンパスで学びます。

鳥取は県の東端。米子は県の西端。一年次に一緒になるとはいえ、
連携した研究は難しいでしょう。医学部は昔、米子医科大学と
言ってたのですから、これはもうしかたないですね。

大きな砂丘に隣接した場所での環境研究。農学部だけでなく、
他学部にも良い影響を与えてるでしょう。東京にいると、なかなか
思い巡らすことのない地方大ですが、鳥取大。知る人ぞ知る学び舎です。

砂丘
Tottori

鹿児島大学

島津に暗君なし。

一説によると、島津家の始まりは源頼朝の落胤(らくいん)だとか。
いずれにせよ、島津家は鎌倉時代から六百年以上、薩摩を治めます。
その島津家が最も窮地に立ったのは、関ヶ原の戦いでしょう。

藩主・島津義久は東西どちらにもつかない姿勢。けれど藩の外交を担い、
京へも度々、赴いてた弟・義弘にとって「どちらにもつかない」という
選択肢は取れませんでした。結局、義弘は西軍に参加。とはいえ
藩主・指示のない出馬。千五百の兵しか集められませんでした。

関ヶ原では味方の裏切りにより、西軍は午後になって敗走。
島津隊も絶体絶命。しかし、ここでなんと島津隊は攻めて来る
東軍・中央へ、細いヤリのように切り込みをかけます。

あまりのことに東軍も狼狽。猛将・福島正則(ふくしま まさのり)も
この時だけは手出しできなかったとか。島津隊は徳川・本陣そばを
通り過ぎ、何名かのおとりを後置しながら、走り続けます。

一体、日本史の中で「敵中突破」を敢行したのは、
この島津隊が最初で最後ではないでしょうか?

数十名になって薩摩に戻ってきた島津隊。ここから藩主・義久が
動きます。明、琉球とのパイプを生かし「島津を潰せばゲリラ化する」
というメッセージを陰に陽に示し、家康を圧迫。

結局、島津家にお咎めはなし。謝罪すらしなかったのですから、
大したものです。その後も島津家は外様大名として江戸期を
生き延び、幕末には島津斉彬(しまづ なりあきら)という
名君を再び輩出しました。

さて、そんな島津家の医学校が現在の鹿児島大・医学部のルーツ。
長崎、熊本とともに九州で西洋医学を学ぶアカデミーとなりました。
医学部だけではありません。鹿大(かだい)。
九学部を揃える堂々たる陣容。

鹿児島には旧制・第七高等学校の伝統がありましたから、教育投資は
重視されました。鹿大はユニークな研究で知られてます。地方大でも、
ここまで特色ある大学は珍しいでしょう。

理学部・・・天体観測・実習
歯学部・・・離島巡回・診療同行・実習
医学部・・・離島・地域医療実習
工学部・・・海岸測量・実習
農学部・・・焼酎・発酵学・教育研究センター
水産学部・・公海域・水産乗船・実習・・・

水産学部には「かごしま丸」「南星丸」という練習船まであり、
本格的な水産研究を思いきり、やれる場所となってます。

私は一年間、鹿児島で受験指導をしたことがあります。毎週、飛行機で
鹿児島に通いました。鹿児島の訛りは強く、最初は聞き取るのに一苦労。
けれど慣れていくうちに、生徒たちも話しかけてきました。

休み時間。校舎近くの公園にいたら、医学部・志望の男子生徒が近寄って
きました。浪人生。志望校は鹿大・医。「博多弁と鹿児島弁はどう違うか」
みたいな、勉強とも受験とも関係ないことを、その時、語り合いました。
受験後、彼から連絡が。

ライバルたちは鹿大・医に受かったけど、自分はダメだったから、
もう一度、チャレンジします。

そんな内容。

その後、うまく目標達成してくれたかな。

今も時々、そう思います。

桜島
Sakurajima

茨城大学

徳川・御三家の一つ、水戸藩。二代藩主・徳川光圀(とくがわ みつくに)
の頃から歴史研究・歴史教育が盛んで、「水戸学」という国学も誕生。

江戸・後期に登場した九代藩主・徳川斉昭(とくがわ なりあき)は
「烈公」(れっこう)と呼ばれたほど、強烈な尊王攘夷・思想の持ち主。

斉昭は歴史だけでなく政治・軍事などを教育する藩校・弘道館
(こうどう かん)を1841年(天保12年)に設立。幕末の日本を動かした
桜田門外の変、天狗党の乱には、弘道館で学んだ者たちが関わりました。

何より、この弘道館からは徳川最後の将軍・徳川慶喜(とくがわ よしのぶ)
が出ました。「腰抜け」「卑怯者」と呼ばれる慶喜ですが、今、思えば、
江戸から明治へのスムーズな移行は、ひとり泥をかぶった慶喜の
存在抜きには不可能。慶喜の先見性は、ここ弘道館で培われました。

さて、そんな水戸にある国立大学が茨城大学。地元では「茨大」(いばだい)。
JR水戸駅・北口からは茨大行きのバスが出てます。乗れば十五分ほど。
キャンパスには、まだ雪が残ってます。ここ水戸キャンパスには人文学部、
教育学部、理学部。日立に工学部。土浦に近い阿見(あみ)に農学部。
一年次は全員、ここ水戸キャンパスの共通教育棟で学びます。

工学部が日立にあるのは企業との提携を考えた場合、当然でしょう。
日立には多くの企業や研究施設があるからです。学生にとって、将来の
就職先ともなるわけですから、キャンパスは、近くにあった方がいいですね。

阿見には、もともと県立の農科大学がありました。その大学が茨大に
吸収されたので、現在のキャンパスもここ。霞ヶ浦に近い場所に、
緑溢れるキャンパスが広がってます。

教育熱心だった水戸藩の伝統は、茨大・教育学部にも受け継がれてます。
附属の小中学校も備えた本格的な教育学部。普通、教育学部が全学を
引っ張るなど、なかなかないのですが、ここ茨大では、そうなってます。
そしてそれは、決して悪いことではありません。

人文学部、教育学部があるせいか、水戸キャンパスには女子の姿が
目立ちます。ノンビリした感じの女子たち。入学者・千六百名のうち、
八百名以上が県内・出身者。地方の国立大らしく、茨大は地元から
人を集め、地元に貢献する大学です。

ノルウェイの森
winter

山形大学

大宮から乗った山形新幹線「つばさ」号。福島までは仙台行きの
「やまびこ」号と連結して走ります。福島で切り離し、山形へ。

福島を出た途端、列車の外は雪景色。煌(きら)めく樹氷。凍った川。
晴れ渡った空。幻想的な世界が流れていきます。やがて「つばさ」号。
米沢を過ぎ、山形へ。JR山形駅から山形大学へは少し遠い。
タクシーに乗ることにしました。

この辺じゃ、天気いい日に「もうけた」て、言うんだべ。

運転手さんが話しかけてきます。変わった客だと思ったのかもしれません。
そうしてるうちに山形大学・小白川キャンパスに到着。
地元では「山大」(やまだい)。理系重視の総合大学です。

小白川キャンパスがメイン。全学部、一年次はここ学びます。
二年次から、それぞれのキャンパスへ。

小白川キャンパス・・・人文学部、地域教育文化学部、理学部
飯田キャンパス・・・医学部
米沢キャンパス・・・工学部
鶴岡キャンパス・・・農学部

地域教育文化学部を除くと、文系は人文学部のみ。この中に
法経政策学科があり、法学と経済学を一応は揃えたことにしてます。
地方の国立大が独立した法学部、経済学部を設立しても、
需要がない土地が多く、これはしかたないことでしょう。

ただ問題は理系。理学部まで整った陣容なのに、理、医、工、農の
キャンパスが全てバラバラ。典型的なタコ足大学。
医学部の飯田キャンパスは市内にあるとはいえ、
米沢や鶴岡のキャンパスはいかにも遠い。

これでは学部間の有機的な連携を図ることはできません。
空間の共有はかくも大切なのです。とはいえ、工、農ともに、
学科コースを見れば、一通り、必要な分野をカバー。

ですから、最先端の研究や、今までにないものの発明などは
できないとしても、将来、地元でエンジニアや農業技師としてガンバりたい、
という人には、それなりに応えられるでしょう。

かくして山大。ノンビリした雰囲気の漂う、地方の国立大となってます。
山形が好きだ。この地元で働きたい。そういう人には、
これで良いのでしょう。

森
forest
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