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ポスト構造主義の後

ソシュールが「一般言語学講義」で「言語とは体系(システム)である」と
主張してから、構造言語学が始まりました。言語を構造と捉え、そこには
要素の関係しかない、と主張した構造言語学。

それまでの、ものしり言語学は退場を命じられ,
「サイエンス」に値する客観的な言語学が誕生。

構造言語学が花開いたのがプラハ。プラハ学派の旗手ヤコブソン。
ユダヤ人だった彼はナチス台頭により、欧州にいられなくなり、
アメリカに渡ります。大西洋での船上、彼は人類学者
レヴィ・ストロースの知己を得ます。

ヤコブソンはレヴィ・ストロースに「構造」という概念を伝授。
レヴィ・ストロースはそこから着想を得て、構造を人類学へと当てはめ、
一見、無作為に見える原始社会の人間関係が、実は個人の関係によって
成立する、構造の無数の網の目であることを立証。
それは「構造人類学」となって結実。

レヴィ・ストロースの著作が契機となり、言語学だけでなく、哲学、社会学、
人類学を含む壮大な構造主義が誕生。個人と社会との関係を
構造という観点から見る哲学。

やがて二十世紀・後半、「抑圧」という観点から、構造を批判する人たちが
現れました。彼らは個人が構造に組み込まれた瞬間、
構造は個人を抑圧し始めると主張。

この理論は、他に良い呼び名もなかったので「ポスト構造主義」と
呼ばれました。ポスト構造主義によると、構造が成立した瞬間に、
構造は抑圧装置に変わります。

それ故、構造を絶えまなく、ずらし、抑圧の契機をその都度、摘み取って
いくことが大切だとポスト構造主義の面々は説きました。このように、
構造を絶えまなく、ずらしていくことを、デリダは「脱構築」
(デコンストラクション)と命名。

折しも、ソ連・消滅によって、共産主義の終焉、資本主義の勝利が
祝福された時代。資本主義の絶えまない変化、差異の無限増殖を
説明する時、ポスト構造主義の理論は非常に有効。
一世風靡しました。

けれどポスト構造主義。デコンストラクションによって抑圧をなくすのは
良いとして、一体、どこへ向かって、ずれていくのでしょうか?
そのずれに主体性はあるのでしょうか?

現代社会が変化して(ずれて)いく方向を、予想・計画することはできません。
予想・計画できないからこそ、自由が保証されます。デコンストラクションを
標榜することは、予想・計画を放棄すること、つまり理性を放棄すること。

一方、高度に発達した現代社会で、理性なしに生きていくことは
できません。現代社会を営むためには、理性なしには不可能。
ここに大きな矛盾が生じます。

この矛盾に突き当り、ポスト構造主義の面々は沈黙。そして今、
ポスト構造主義の無力を後目に、世界のあちこちで、
なんと保守主義、民族主義が台頭。

自分が生まれた場所を大切にしよう、民族に誇りを持とうという哲学。
まるで二十世紀・前半の趣き。ハイデガーかと見間違えるほど。

二十一世紀になって数十年。ポスト構造主義の後、新しい哲学が
出てこない間、先祖返りのように保守主義が勢力を伸長。
この先祖返りが、良いことか、悪いことかは、
今はまだ判断できません。

波
infinity

憲法九条と日本共産党

昭和二十一年・六月の衆議院・本会議。新しく作られた日本国憲法・草案を審議。
二カ月前の四月に衆議院選挙が行われたばかり。日本共産党は、
戦後初めての選挙で、野坂参三をはじめとして五名の議員を当選。

今では意外ですが、この五名の日本共産党・議員団はこの時、憲法九条を
不服として、日本国憲法・制定に反対。野坂参三はこう発言。

我々は民族の独立をあくまでも維持しなければなりません。
日本共産党は一切を犠牲にして、我が民族の独立と繁栄のために
奮闘する決意をもっているのであります。

要するに当憲法・第二章(九条)は、我が国が自衛権を放棄して
民族の独立を危うくする危険があります。それ故に、我が党は
民族独立のために、この憲法に反対しなければなりません。

実にまともな意見ではないでしょうか。当時、圧倒的・多数派だった
日本自由党、日本進歩党がGHQに丸め込まれて唯々諾々としてた時、
ここまで言い切るのには、相当な勇気が必要だったでしょう。
九十三議席、保有してた日本社会党も沈黙。
さすが日本共産党。

けれど今、護憲派の先頭にいるのも、日本共産党。
一体、どうして、こうなってるのでしょうか? 

日本共産党の大きな路線転換こそ、この変化の謎を解く鍵。
戦後すぐの頃、日本共産党は暴力革命・路線。在日朝鮮人とつるんで、
あっちこっちで暴力事件を起こしてました。

そんな頃、日本が完全に非武装になれば、暴力革命を起こせなくなります。
毛沢東は「政権は銃口から生まれる」と言いましたが、
その路線が取れなくなるのです。

ところが昭和三十年、日本共産党は六全協によって、民主主義革命へと
大きく路線転換。当然、平和憲法の擁護へと主張を移します。

もちろん政治の世界では、情勢に応じて意見や態度を変えることは、
あっていいでしょう。けれど、百八十度の路線転換。
戸惑った人は少なくありませんでした。

今、日本共産党は、この変化を説明しようとして「自衛権」という概念を
使ってます。第一次・吉田内閣では自衛権そのものを認めなかったので、
反対したが、その後、日本政府は「自衛権はある」と解釈を変えたので、
日本共産党も、それに合わせて憲法擁護に変わったと主張。
要するに、日本共産党も、自衛権は認めてるわけです。

そして自衛権・行使にあたって、武力は使うべきでない、と続けます。
確かに、憲法九条を素直に読めば、そう解釈するしか、ありません。
自衛隊は、もちろん違憲。日本共産党は、段階的な自衛隊・廃止論。

まず日米安保条約を廃棄し、いかなる軍事ブロックからも自由となり、
その上で非軍事の国々が集まる同盟に入った後、必要なくなった自衛隊を
徐々に廃止していこう、という話。確かに、こうしてこそ、
憲法九条を完全に実施できます。

この意見に賛成するか、どうかは、個人が決めること。
ただ日本共産党の護憲運動にも、意外な経緯があることは、
知っておいた方がよいでしょう。

虹
rainbow

集団的・自衛権(2)

個人でも国家でも、自衛権を持ちます。やられたら、やり返す。
あるいは、やられる前に自衛する。この権利は自然権で、その存在が
あるとか、ないとか議論したりはしません。もちろん日本国にも
自衛権があります。

自衛権は自然に与えられる権利。それを行使する時、いつも単独で
行使できるとは限りません。相手が自分より強かったり、相手が複数の時、
信義を同じくする国と連携するのは当たり前のこと。日露戦争は日英同盟が
なければ、決して勝つことのできない戦いでした。自衛権が存在する、
と言った途端、集団的・自衛権を含むことになります。

今、南シナ海で中国の横暴に毅然と対抗してるベトナム。小国なのに、
見上げた姿勢です。同じく中国との間に尖閣問題を抱える日本が
「アジアの秩序変更は許さない」とベトナムと連携して自衛権を行使することは、
本来なら、あっていいはず。

南シナ海の次のターゲットは、明らかに東シナ海。自衛権・発動の要件に該当。
その時、ベトナム、ASEAN諸国は心底、日本に感謝するでしょう。
中国にしても、いまいましいと思いながら、勝手な振舞いを自制。
これこそ、パワー・バランスによる平和外交。

沖縄の左翼が叫ばなくても、実はアメリカ。日本の基地を縮小したいのが本音。
赤字を垂れ流し続けるアメリカ。もはや国防予算を支え切れません。
そして米軍が去った後、日本は空白地帯でよいのでしょうか?
その時、中国や北朝鮮が何もしないでしょうか?

日本の歴代内閣は集団的・自衛権について「あるけど、使えない」という
ヘンテコ解釈を繰り返してきました。そこで今、安倍内閣は憲法解釈の
変更を企図。けれど、これはこれで危険。内閣が変わる度に、
憲法解釈が変わっては、そもそも憲法の意味がありません。
ここは困難でも、憲法改正を視野に入れた議論を始めるべき。

幕末、ペリー来航の日時と規模は、長崎からの情報によって、幕府は
一年前から正確に掴んでました。けれど阿部正弘・以外の老中は、
「そんなはずはない」と国際情勢の変化に背を向けました。

そして実際のペリー来航。幕閣は自らの不明を反省もせず、
今度はひたすら交渉・引き伸ばしを画策。今の社会でも、
よく見られることです。

個人でも国家でも、世の動きに敏感にならずして、生き残ることは
できません。日本人は国際情勢の変化を冷静に見つめるべきです。

水玉
water drop

駒東・体育祭2014

渋谷教室での授業後。エレベーター前に駒東生が二人。
一緒に帰ることになりました。話してると駒東・体育祭。聞いてると、
この体育祭。青、赤、白、黄の四つの組に分かれます。
組は縦割りで、六年間、変化しません。

一年生には六年生が怖く見えたはずですよ。

六年生が下級生を指導。一年生には、五才年上の六年生が、
まるで大人のよう。六年生による厳しい指導。けれど体育祭が終われば、
団結の絆に涙。さすが男の学園。

かくして駒東・体育祭。今年は終わってしまいました。
楽しそうに語る姿に「言ってくれれば、見に行ったのに。」

駒東の主な行事は、これで終わり。後は受験勉強。
今は体育祭が一番、良い思い出だとか。その思い出を胸に
静かに準備を始めよう。まだ五月です。

空
sea and sky

開成・校名の由来

「開成」は易経の「開物成務」から取られた言葉。
「物を開き、務めを成す」と読み、物事の理(ことわり)を開き、
務めを達成する、というほどの意味。

幕末から明治にかけて、日本に近代的な教育機関が必要となり
「開成学校」が発足。その時、この故事を思い出した人がいたのでしょう。

ただし、この開成学校は、私たちが今、見る開成学園とは関係ありません。
幕末、明治の開成学校は官立の教育機関。ここから東京帝大、
東京商業学校(現・一橋)東京外国語学校(現・外語)が分化。

場所は神田・一橋。今もあの辺りを歩けば「東京大学・発祥の地」とか
「東京外国語大学・発祥の地」という碑を見つけることができます。

開成学校はやがて東京帝大になり、東京帝大に入る前段階の
大学予備門も誕生。この大学予備門が、後の旧制・一高。現在の東大・教養部。

その大学予備門に入るための学校として、旧制・開成中学が誕生。
当時、開成学校は廃校になってましたから「開成」を名乗ることも
許されました。この旧制・開成中学こそ、今の開成学園の前身。

大学予備門で英語講師をしてた高橋是清が校長として呼ばれ、スタート。
旧制・開成中学は大学予備門、後には一高への受験学校として、戦前、
既に一定の評価を得ます。とはいえ、一高への入学は当時、府立一中
(現・日比谷高校)を始めとする府立中学が席巻。

その傾向は戦後も続き、長い間、都立高校が東大・合格者ランキングの
上位を独占。都立高校に学校群制度が導入されるまでは。

学校群制度の結果、都立高校が平準化され、壊滅していくにつれて、
開成、麻布、武蔵といった私立の学園が台頭。今に至ってます。

開成が東大・合格者数で全国トップに立ったのは昭和五十七年。
以来、三十三年間、トップの座をキープ。都立高校が復活してきたとはいえ、
日比谷はまだまだ開成には追いつけません。しばらくは、開成の時代が
続くでしょう。

緑もみじ
green

東福岡高校

JR博多駅・筑紫口から歩いて十五分ほどの場所。博多で教えてた頃、
夜、この辺りを走ってましたから、よく覚えてます。中高一貫の男子校。
高校からの入学も。地元では「東」(ひがし)。

正門を入って右に雄飛館。飛翔するイメージを描いた壁画。
トレーニング・ルームまで備えた体育館です。隣には50mプール。

正面には四本の棕櫚の木。左右に続く、空中・渡り廊下。くぐると
「センター・サークル」と呼ばれる円形の中庭。欧州の庭園を思わせる
整ったアレンジメント。とても男子校とは思えません。

聳え立つ本館。入ると玄関ホール。設立者・徳野常道(とくの つねみち)の胸像。
そしてギャラリー。東の歴史、今春の大学・合格者、そして部活動のトロフィー。
このトロフィーがスゴイ。

東では野球部、サッカー部、ラグビー部が全国レベル。全国大会で
その名を見たことある人も多いでしょう。他の部も、九州大会で上位に
食い込む強豪ばかり。それらのトロフィーがいちいち並んでるわけですから、
これだけの量。女子の影なく、男子ばかりで運動に打ち込めば、
成果も出るというもの。

二階に上がってみましょう。職員室。まるで企業のオフィス・フロア。
向こうまでドーンと仕切りなし。東生がカウンターで教員を呼びだして、質問。
効率重視を徹底。

三階は情報メディア・センター。図書館、コンピューター・ルーム、
ブラウジング・ルーム、LL教室、そして情報科教室。図書館・開架には、
二万冊、書庫には四万六千冊の蔵書。六年間で読破するには十分な量。

四階には理科教室。そして四階、五階は八百四十六席を誇る記念講堂。
音響、照明、舞台装置を備え、ほぼ全てのパフォーマンスに対応。
もちろん入学式、卒業式といった行事も、ここで行われます。

ホーム・ルームがある北館、南館。空調は人感センサー。人がいなくなると、
自動的に停止。教室、トイレの照明も人感センサー。徹底的にムダを省く空間。
南館・屋上ではソーラー・パネルによる太陽光発電。
北館では風車による風力発電の風車。

地下には地熱利用・設備まで。平成二十二年に完成した校舎は、
どこを取っても省エネ、効率重視。胸のすく思いです。

グラウンドに下りてみましょう。緑の全面・人工芝。周囲の住宅街に
埃・塵が飛散するのを未然に防ぎます。サッカー部・練習場。
ラグビー部・練習場。野球部には、離れた場所に専用・練習場。

人工芝には"HIGASHI"そして"FUKUOKA"の鮮やかな白い文字。
もちろんナイター照明も完備。

部活動としてはラグビー部に注目。花園大会で平成二十一年から
二十三年まで三連覇したことは記憶に新しいでしょう。特に平成二十二年、
神奈川大表・桐蔭学園との決勝戦は、今も語り草に。

前年の決勝戦も同じカード。この時は東が31ー5で問題にしませんでした。
そして平成二十二年、リベンジに燃える桐蔭ラグビー部に、東は前半、
押されまくり。ドンドン圧力をかけられトライを献上。10ー31。

後半も押されたまま、残り十五分。もうダメかと思われました。
が、ここから、合図したかのように東の怒涛の攻撃が始まります。
中央でもみあった後、右にボールをパスする展開。みごとなパスを続けて、
ゴールを奪います。キックも決めて七点。それを立て続けに三回。
いつのまにか31ー31の同点に。

この勢いなら、もう数分で東が再びゴールを狙えそうな時に、
ノーサイドのホイッスル。引き分けで両校・優勝となりました。
笑顔の両チーム。健闘を称え合いました。東ラグビー部は、
翌年も全国制覇。史上・五校目の三連覇を達成。

さて東。文武両道を掲げ、男子ばかりで切磋琢磨。共学の県立高校とは、
まるで雰囲気が違います。けれど全国的に見ても、トップ・レベルの設備。
徐々に向上しつつある進学実績。まさに未来を感じさせる学園です。

青
blau

ベトナム漁船、南シナ海で沈没

ベトナム漁船が南シナ海で、中国船に衝突され沈没。十名いた乗組員は、
近くのベトナム船に救助されて無事。今回、衝突してきた中国船も表向き、
漁船。けれど、魚を取りに来た漁船が衝突するなど、普通あり得ません。

衝突事故は今月初旬にも発生。中国の海洋警察船がベトナム船に衝突。
中国船がベトナム船・後方から衝突する映像を見て、四年前の尖閣事件を
思い出した人も多かったでしょう。四年前、中国は日本船が後ろ向きに
衝突したと主張し、世界の失笑を買いました。

今回、日本の海上保安庁からベトナム政府に、中国船が近づいてきたら、
映像を録画するようアドバイスがあったようです。ベトナム政府は、
そのアドバイスに従い、中国の攻撃性が全世界に流出。

もちろん中国はベトナム船が衝突してきたと主張。その回数、なんと
百七十一回。その映像はないのでしょうか。「南京大虐殺・三十万人」と
同じメンタリティがここに見られます。中国人の話など、信じてはなりません。

日本の周囲に日本国憲法が謳う「平和を愛する諸国民」など、
どこにもいません。平和を愛さない諸国民ばかり。

その諸国民に力がない場合、憲法の建前も通用したのでしょうが、
中国や朝鮮半島の明らかな攻撃性に対して、今、日本人は憲法を
考え直す時にきてます。一体、護憲派の人たちは、中国の横暴を前にして、
それでも「話し合いで解決しましょう」と言うのでしょうか?
中国人がほくそ笑むだけでしょう。

自国にシッカリした軍事力があってこそ、相手国も警戒し、行動を抑制。
戦後、数十年間、日本が平和だったのは、憲法九条があったからではなく、
ひとえに在日米軍、そして自衛隊の存在があったからです。

その存在あってすら、北朝鮮は憲法の隙間をついて、拉致を実行し、
涼しい顔。日本人は、どうして声を上げないのでしょうか。

アジアで人民解放軍に対抗し得るのは日本の自衛隊のみ。
人民解放軍に対抗できないアジア諸国の間に、日本の軍備増強を
望む声は、日増しに強まってます。日本が軍備増強して困るのは、
中国と朝鮮半島だけ。

中国は毎年10%を超える軍拡を二十年間、続けてきました。
あと十年で、予算規模では米軍を超すとの試算。

北朝鮮も自国民を飢餓にさらしながら、核開発、ミサイル開発を続行。
あと三年で、アメリカに届くミサイルを完成させるとの試算。

こんな状況を前にして、日本に軍備は必要ないとはどういうことでしょう。

核戦争を除外するなら、現在の海戦は、潜水艦、哨戒艇の力で決します。
戦艦や空母は実は、あまり役に立ちません。そして潜水艦の分野で、
日本の自衛隊は世界トップ。原子力潜水艦を保有する米軍をも凌駕。
それ故、人民解放軍が今、どれほど軍拡しようと、自衛隊・幹部は悠然。
中国人が核を使わない限り。

もちろん中国も日本の潜水艦の実力を分かってますから、
日本には海でなく空から触手を伸ばしてくるでしょう。昨年末、
中国が一方的に防空識別圏を設定し、先週、中国軍機が自衛隊機に
近接行動を取ってきたのも、その表れです。

鼻
fleurs

佐賀西高校

江戸期、水戸藩に弘道館という藩校がありましたが、鍋島氏が治める
佐賀藩にも、同じ名前の藩校がありました。設立は天明元年(1781年)。
水戸の弘道館よりもずっと前です。

佐賀・弘道館を拡充させたのは十代藩主・鍋島直正(なべしま なおまさ)。
弘道館は有為な人物を多数、輩出。幕末、薩長と共に討幕運動に加わった
佐賀藩。明治・新政府の枢要ポストに人材を送り込みました。
送り込まれた人材は皆、弘道館・出身。

大蔵卿・大隈重信。司法卿・江藤新平。外務卿・副島種臣。
東京府知事・大木喬任(おおき たかとう)。

司法卿を務めた江藤。征韓論を唱え、大久保、木戸と対立。
西郷と同じく下野し、佐賀に戻ります。西郷が西南の役を起こす三年前、
明治七年。江藤は部下に推されて反乱軍・首謀者に。
日本史でいう「佐賀の乱」。

反乱軍は佐賀城を一時占拠。新政府軍はこれを徹底攻撃。
佐賀城は焼け落ち、今も、城内には城跡しか残ってません。

反乱軍・鎮圧の後、大久保は断固たる処罰を下しました。
司法卿まで務めた江藤を処刑。その首を晒しました。この首は写真に写され、
ブロマイドとして世に普及。このブロマイドを見て、列強は「日本は文明国でない」。

焼け落ちてしまった佐賀城。国が栄えるように、という意味で
「栄城」(えいじょう)と呼ばれてました。

その城跡に立つ佐賀西高校。高校名として非公式に「栄城」を名乗ることも。
例えば、西高・野球部のユニフォーム。胸には"EIJO"。高野連・規則では
ユニフォームに校名以外を使用することは許されてないはずですが、
なんとなく黙認。

西高の前身は弘道館、そして旧制・佐賀中学。もちろん佐賀No.1。
九大へは毎年、四十名ほどの合格者。

九月の西高祭がメイン・イベント。三日かけて前夜祭、文化祭、体育祭。
前夜祭のファイアー・ストームが伝統。参加できるのは男子だけ。
開始は夕方・六時半。黒い制服を着た男子がグラウンドに集合。
そこに白装束・男子が松明を持って登場。拍手が起こります。

そして太鼓の音と共に点火。やがて炎は燃え盛り、
下りてくる夜の帳(とばり)。降りかかってくる火の粉を浴びて、
西高・男子はトランス状態。校歌、応援歌、デカンショ・・・
最後は何を歌ってるのか、分からなくなるとか。九州らしいバンカラ行事。

県内には私立の弘学館があり、一時期、東大・合格者で佐賀西を
上回りました。けれど全国的な私立の退潮により、弘学館の進学実績も低下。
相対的に西高が盛り返してます。

九州は古来、大陸との関わりが深く、征韓論が幅をきかせたのも、
それが理由。大東亜の共栄を掲げるアジア主義も九州から。

修猷館、濟々黌、弘道館・・・こうした学校から憂国の士が多く誕生し、
歴史を作っていきました。その伝統を受け継ぐ西高生。
これからの歴史を作るのは君たちです。

緑
green

岸和田高校

大坂・岸和田は「泉南」(せんなん)と呼ばれます。気性は荒っぽく、
ケンカ早い。だんじり、見てれば分かりますね。けれど明るく、剽軽な面も。
「岸高」(きしこう)は、そんな岸和田を代表する府立高校。
阪大には毎年、三十名ほどの合格者。

府立六中、旧制・岸和田中学が前身。伝統校だけに過去の蓄積。
校内の岸高コレクションには「解体新書」「学問のすすめ」の初版本。
コレクションにはニホンアシカの標本まで。

校舎は岸和田城の堀端。お城の南に校舎。東にグラウンド。
隣には岸城神社(きしき じんじゃ)だんじりがここを通過します。

岸和田城は規模こそありませんが、大きな堀と三層の天守。
特に中庭の「八陣の石庭」が有名。八つの石群。それらの陣の間を
白い小石の海が流れます。この庭、いつ頃、作られたのでしょうか。

さて岸高。正門を入るとすぐに校舎。屋根の天体ドームが目を引きます。
校舎に入ると新しく、窓が大きい。日光がタップリ差し込みます。
他の府立・進学校と同じく、文理学科と普通科。もちろん
文理学科に進学実績の期待がかかります。

教務の人によると、文理学科。二年生から土曜日に必修科目が多く入るとか。
部活動を奨励、とは言うものの、現役で受からせるためには、
土曜日を使わざるを得ないということでしょう。

部活動では天体部が有名。あの目立つ天体ドームに引かれて、毎年、
二十~三十名の岸高生が集合。月一回の終夜観測。流星観測も。
この日は学校に泊まり込み。冬とか、どうしてるのでしょうか。

天体部が誇る望遠鏡は直径、なんと31㎝! 高校に設置されてる
望遠鏡としては最大。太陽の黒点データを毎日、記録。
もう四十年も連綿と受け継がれてます。

実は岸高。大阪湾はすぐそこ。風向きしだいでは海の匂いも。
お城と海、そして空。岸高生のまなざしは、
ドンドン遠くへ広がっていきそうです。

岸和田城
Kishiwada Castle

畝傍高校

奈良県・橿原市(かしはら し)。奈良に平城京ができる以前、
ここに藤原京という都がありました。遷都したのは持統天皇。
天武天皇の妻。波乱万丈の生涯を送った女帝。

夏すぎて 春きにけらし 白妙の 衣ほすてふ 天香久山

天香久山、耳成山、畝傍山(うねび やま)は、今も大和・三山として、
信仰の対象。その耳成山からすぐの場所に畝傍高校はあります。
周囲は住宅街。

正門を入ると左に広いグラウンド。サッカー部、ラグビー部の練習場。
それを囲むように陸上競技部のトラック。その向こうに野球部・練習場。
野球部・練習場の隣にはテニス・コートもあります。

右には史料館。藤原京に関する史料を保管してる場所。一般にも公開。
隣にはオフィス・ビルを思わせる文化創造館。多目的ホールで座席は可動式。
畝高(うねこう)行事だけでなく、市の行事でも使われます。

やがて見えてきた重厚な校舎。屋根には「帝冠」と呼ばれる輪の冠。
仏塔によく見られる様式。北館、そして渡り廊下でつながった南館は、
有形文化財に指定。近畿や九州の公立高校には歴史ある高校が多く、
有形文化財に指定されてます。首都圏では、ほとんど見られません。

旧制・畝傍中学を前身とする名門。奈良高校と並ぶ、県立高校の双璧。
以前はもっとスゴイ進学校だったのですが、県内に東大寺学園、
西大和学園といった有力な私立高校が台頭してくるにつれて、
進学実績も控えめになってしまいました。

とはいえ今も京大、阪大のランキングには顔を出します。
関西に住んでれば、畝高の名前は、どこかで聞いたことがあるでしょう。

部活動としては野球部が強豪。二年前の平成二十四年、なんと夏の甲子園・
奈良大会の決勝に進みました。相手は甲子園・常連の天理高校。

一塁側・畝高スタンドは満員。これを勝てば甲子園・出場。
畝高は先攻。一回・表、三者凡退。その裏、初めての守備。
天理の先頭打者にいきなり本塁打を打たれます。これで
勢いづかせてしまいました。連打を浴びて一挙、八点。

二回にも二点取られて0-10。三回・表、畝高打線は二点返し、
2-10に。けれどその裏、再び三点取られて2-13。天理は控え選手を
起用し始めました。けれど畝高の真骨頂はここから。一点返して
3-13とした後、八回・表、長打を続けて三点。
6-13と追い上げます。

二年生リリーフ投手も踏ん張り、四回からは走者を出しながらも、
得点を与えません。そして迎えた九回・表。ここで粘りを見せたいところ。
スタンドも最後の応援に。けれど、あっけなく三者凡退。畝高ナインの
甲子園・出場の夢は、あと一歩のところで潰えました。

さて畝高。校舎は古いとはいえ、キチンと改修されてます。
体育館は瓦葺屋根の新築。橿原の秀才が集まるからには、
こうでないといけません。

橿原は、大阪・都心から電車で三十分ほどの場所。
こんな近くにありながら、古代の風吹く別世界。
街の期待を担う進学校・畝高。その責任は大です。

紫陽花

頌栄女子学院高校(3)

横浜教室で頌栄生と話してると。

うちの学校、お金ないですよ。
え?

頌栄と言えば、高輪台の瀟洒な校舎に、毎年、多くの受験生が
引き寄せられてるはず。なのに「金ない」とは・・・聞いてると、
土地取得に相当な金額がかかったため、
どうしても、設備にしわ寄せが。

それはトイレにも及んでるというのだから、深刻。誰かが一回、
トイレを使うと、次に水が流れる準備ができるまでに、
時間がかかり、次の人がすぐに使えないとのこと。

じゃあ、みんな、どうしてんの?

すると。

順番、決めて入ってます。

順番も、その場で自然に決めるとか。工夫といえば工夫ですが、
さすがにかわいそう。しかもお金の問題ですから、すぐに改善できないかも
しれません。どこの学校にも、それなりの悩みがあるのですね。

さくらんぼ
spring

横浜緑ヶ丘高校

私が横浜で最も好きな通り、本牧通り(ほんもく どおり)。広くて明るい道路。
オシャレなお店。戦前、財をなした横浜商人は、風光明媚なこの場所に、
こぞって別荘を建てました。三渓園も近くにあります。

本牧通りを走る循環バス。それに乗ると、やがて住宅街に見えてくる
県立の横浜緑ヶ丘高校。「緑高」(りょっこう)です。

旧制・横浜三中の名門。ちなみに横浜一中は現・希望ヶ丘高校。
横浜二中は現・横浜翡嵐高校。

正門を入ると、右にグラウンド。体育の授業。
緑高生がキャーキャー言いながら、ドッジボール。

やがて校舎玄関。新築で新しい匂い。廊下を歩くと、午後の授業。
見てるとクラスは二十~三十名。後ろの三列ほどは、どこのクラスも余ってます。
これなら、目が届くというもの。意図的なクラス編成でしょうか、
それとも自然に、こうなったのでしょうか。折しも、
PTA総会の日。保護者がゾロゾロ通り過ぎます。

授業が終わった学年もあるのか、帰宅する緑高生も。
男女で肩並べて帰宅してる場合も多く、仲良いことが窺えます。
とはいえ、別につきあってる雰囲気でもありません。
男女共学の、良い面が出てます。

うちの高校、特色ないですよ。

二年前、横浜教室に来てた緑高・女子。そう言ってました。
良くも悪くもない進学実績。横浜の大会に出場するのがせいぜいの部活動。
確かに、特色がないといえば、ないのかもしれません。

けれど、そんなにガツガツせず、青春時代、いろんなことを考えながら、
マイペースで過ごしていきたいと考えてるなら、緑高。
案外、過ごしやすい場所ではないでしょうか。

特に面白い行事があるわけではないけれど、必要なことは
それなりに揃ってます。教員もガミガミ言ってこない。
そして遠くに見えるランドマーク・タワー。

イチ推しできる、という高校ではありません。しかし自宅が近くにあって、
進学先も私大でいい、と思うなら、それなりに選択肢に入るでしょう。
ちょうど新校舎が完成したばかり。行って損はなさそうです。

ランドマーク
Landmark Tower

聖園女学院高校(2)

小田急線・藤沢本町駅。駅を出ると商店街。この辺りは高校が多く、
いろんな制服の高校生が商店街に溢れます。そんな中、地味な制服の女子が、
ポツリポツリ。突き当りを左へ曲がれば白旗神社。藤沢バイパスの
ガードを通り抜けると、聖園女学院への通用門。

正門もありますが、今日はこの山道みたいな通用門から入ってみましょう。
結構、キツイ坂。やがて守衛室。ここで来校者バッジをもらって、さらに歩きます。
「校舎はもう少し上です」守衛オジサンの声が後ろから。

丘の上に校舎。周囲が高い木で囲まれ、何も見えません。
木がなければ、見晴らしは良いはずですが、そこは女子校。
隔離された方がセキュリティ面からも好都合。

風の強い日。木々のざわめく音が響きます。
台風の日ともなれば、怖いくらいではないでしょうか。

来る時に見た、地味な制服。聖園女学院です。読みにくいですが「みその」。
母体は聖心の布教・姉妹会。名前からしてカトリック。この姉妹会が戦後、
女子校を設立。聖園女学院となりました。完全・中高一貫。

学校を歩くと、あちこちにマリア像。相変わらず、木々のざわめき。
通り過ぎる聖園生。落ち着いた感じの人ばかり。確かに、
隔離された場所で、女子だけで過ごせば、そうなるのでしょう。

生徒アンケートを見ても「挨拶のできる先輩になりたい」。
確かに挨拶もロクにできない東大・女子より、偏差値など、
どうでもいいから、明るく挨拶できる女子の方が遥かに魅力的。

そんな聖園生。最も心に残る行事は九月の聖園祭。聖園祭では、
生徒だけでなく、保護者も活躍。特に「お父さんの焼きそばやさん」は、
毎年、完売必至の人気商品。

聖園に限らず、女子校の文化祭に行けば、
いい年したオヤジがあっちにもこっちにも。女子校・文化祭。
実は、お父さんの晴れ舞台でもあります。

聖園祭のトリは高三生が制服を着て踊る「ファウスト」。
ゲーテの作品です。バレエ・シューズを履いた聖園生が、
音楽に合わせて華麗に円を描き、スカートをなびかせます。

ファウストはゲーテが晩年に「人生」をモチーフとして作り上げた大作。
明るいシーンだけでなく、暗いシーンも。それをもとにした歌劇。
曲が明るいだけのはずありません。もちろん聖園生も、
笑顔で踊ったりはしません。

けれど、ファウストを踊りながら、聖園での学園生活が次々と
心を流れていくとか。一回生から六十年以上、続いてる行事です。

聖園は母娘で通う場合が多く、こうなってくると、
もう進学実績は、あまり関係ありません。

お母さんの時のファウストはね・・・

こんな会話をする時、母娘の絆は一層、深まることでしょう。

あじさい
blue

洗足学園高校

目黒に洗足という地名がありますが、そことは関係ありません。
設立者の前田若尾(まえだ わかお)は経験なクリスチャン。イエスが
十字架にかけられる前夜。最後の晩餐。彼は腰に巻いてた手ぬぐいをほどき、
十二人いた弟子、それぞれの足を清めました。そして。

私があなたがたにしたように、あなた方も人にしなさい。

このひそみにならって「洗足」という校名。溝の口駅から南へ線路沿いに
歩けばすぐ。正門を入るとEキューブと呼ばれる赤い建物。渡り廊下で
つながったシルバー・マウンテン。これらは全て洗足学園音楽大学の施設。
中高校舎は左の階段を上がって行かねばなりません。

落ち着いた色調の校舎。天井まで吹き抜け。制服は緑。リボンは黄土色。
人が振り向く制服ではありませんが、洗足。制服の愛らしさで勝負してません。

前田が平塚で開いた裁縫女学校が前身。池袋の豊島岡、用賀の戸板も、
裁縫学校から始まりました。日本がまだ貧しかった頃、女子には裁縫以外、
現金収入を得る手段がありませんでした。

そのため、女子が少しでも社会で役に立つように、と開いた裁縫学校。
「社会で有為な女子」というテーマは、今の洗足にも引き継がれてます。

さて洗足。音楽大学があることからも分かるように、音楽教育を充実。
ソルフェージュや楽器演奏力を学べる音楽教室。コースは二つ。

洗足ミュージック・アカデミー
教養コース

洗足ミュージック・アカデミーは将来、音大に進学するための特別コース。
教養コースは、普通に音楽を学びたい女子のためのコース。キャンパスには
前田ホールという講堂があり、日本有数のパイプ・オルガンを設置。

とはいえ洗足生。全ての女子が楽器を演奏できるわけではありません。
三年前、横浜教室にいた洗足生。彼女に「ピアノ、弾けるの?」と
聞いてみました。けれど。

私は弾けませんよ。

彼女も早大に進学。受験前には「眠れるツボを教えてほしい」
なんて言ってました。今頃、活躍してることでしょう。

東大、国立大・医に二ケタの合格者を出すことを公言してる洗足。
東大・合格者を〇名、四名、六名と増やし、未来の飛翔を感じさせます。
JR南武線と田園都市線が交差するロケーションも便利。

なのに最近、塾で洗足生の緑の制服を見なくなりました。
進学に力を入れてるということなのに、一体、どういうことでしょう?

さあ、緑の洗足生。塾で本物の英語を学ぼう!
扉はいつも開いてます。

ピアノ
Klavier

明善高校

久留米は古(いにしえ)より「筑後」と呼ばれてきました。江戸期、
この地域を治めたのは有馬氏。二十万石を擁する大名。この筑後に、
享保の頃、高山畏斎(たかやま いさい)という聡明な少年が生まれます。

長じるにつれ、その非凡さは人の目に留まり、藩として学問所を
設立する時、彼に白羽の矢が立ちました。高山は学問所を「明善堂」
(めいぜん どう)と名づけ、その名が今も高校名に。

明治期、旧制中学となって校名はクルクル変わりましたが、
地域の俊英を輩出し続けました。戦後、男女共学の明善高校に。
東大、京大へは数名しか合格しないので、全国的・知名度はありませんが、
今春、九大・合格者は七十五名。東筑に次ぐ五位。九州での存在感は絶大。

九州の受験生は二つのグループに分かれます。東京に行きたいグループと、
九州に残りたいグループ。1970年代から、東京に行きたいグループは、
ラ・サール、附設、青雲といった私立に進学、九州に残りたいグループは、
県立に進学する、という棲み分けができました。

福岡の県立・御三家である修猷館、福岡、筑紫丘が、九大に百名以上の
合格者を出しても、東大には数名、というのはそういうことです。

さて明善。藩校設立をもって学校設立としてますから、もう設立・
二百三十年以上。藩校を母体とする県立高校でも、最古に入るでしょう。

JR久留米駅から歩いてすぐ。街の中心にあります。隣には久留米大・
医学部がありますが、明善からは、あまり進学してません。

学校の塀は赤いレンガ造り。門もいかめしい石造り。明治の趣き。
理数科と普通科に分かれます。普通科がさらに普通科・一般と
普通科・総合文科に。全部で三つのコース。

一番の行事は九月の大運動会。青組、白組、黄組、紅組の四組に。
応援合戦。スタンドで作るパネルを使っての文字。太鼓と共に、文字が次々に
変わっていきます。それに合わせて、グラウンドでは男子の学ラン・
パフォーマンス。九州らしい質実剛健。男女のダンスなど全くありません。

かくして明善。地元のエリートを輩出する県立高校として、一定の役割を
果たしてます。私立が東大、県立は地元に根づく。当初の意図はどうあれ、
これはこれで見るべき制度でしょう。東大・合格者数で
九州の県立高校を判断することはできません。

サクランボ
vert

宮崎西高校

二年前の平成二十四年、甲子園・春のセンバツに出場した
宮崎西高校・野球部。一塁側アルプス・スタンドに浮かび上がった
「宮西」の文字は、見る人に強烈な印象を与えました。
バス四十五台をしたてて、甲子園に向かったとか。

地元の進学校・野球部が甲子園に出場するとあって、在校生、OB、
市民が甲子園に結集。結果は愛知代表・愛工大名電に0-8と完敗。
けれど試合後、西高ナインにスタンドから大きな拍手が送られました。

設立は今から四十年前の昭和四十九年(1974年)。
宮崎の県立高校は、旧制・宮崎中学の流れを汲む宮崎大宮高校を除けば、
進学実績が振るわず、それを改善するために設立されました。
当初から進学実績を念頭に置いた学校運営。

県内に有力な私立高校もなく、西高は着実に力をつけ、今に至ります。
今春の実績では、東大6名。九大28名。熊大や宮崎大への合格者数も
知りたいところですが、まだ発表がありません。

遅れて来た進学校のせいで、西高は街の中心になく、宮崎駅から
宮崎交通バスで三十分も乗った場所。周囲は住宅と田んぼ。
道の中心に棕櫚の木が等間隔に植えられてます。

正門を入ると、国旗。その向こうに、やはり棕櫚の木。そして校舎の側面。
側面だけ紅色に塗られてますが、何か理由でもあるのでしょうか。
校舎・正面に回ると、ドーンと「未知の我を求めて」の文字。

理数科と普通科に分かれ、理数科が進学実績を引っ張っります。
数学さえできれば、文系でも東大、一橋を狙えるわけですから、
西高が理数重視の教育をしたとしても、当然でしょう。

部活動も盛ん。水泳部、器械体操部、陸上競技部、男女バトミントン部が、
昨年、インターハイに出場。山岳部は十一年ぶりに全国優勝。
まさに文武両道。

面白い企画としては「YUME講座」。西高生の父兄が講師として
教壇に立ち、実社会について講演。弁護士、会計士、銀行員、医師、
パイロット、警察官、学校教員・・・これはスゴイ。
こんな企画は他校にありません。

進路講演会といっても、よそから講師を呼んでくる形では、どうしても他人の話。
けれどアイツの父親が話してるとなると、自然に身を乗り出して聞こうというもの。
YUME講座は西高生の間でも、大好評だとか。

九州に住めば分かりますが、宮崎は九州の他地域から見ても、
なんとなく遠い場所。博多、熊本、鹿児島のラインから外れてます。

けれど宮崎。星と海が美しい土地として有名。そんな土地に
秀才がいないはずありません。西高生、ガンバレ!
私たちも東京から応援しましょう。

藤

五月祭2014・東大の農力

工学部キャンパスから農学部キャンパスまでは陸橋。
渡れば、校舎が三つほど。一号館に入ってみましょう。
入ってすぐ右に農学部の展示。テーマは「東大の農力」。

栽培学、作物学、遺伝子工学・・・

農学の最先端について、さまざまな視点からの研究発表。
遺伝子工学のコーナー。自然界で発生した変異作物の遺伝を解析。
変異の原因を突き止める研究。遺伝子解析にはコンピューターによる
計算が必要だとか。

そこまで聞けば、解析の結果、得られた遺伝子情報を、
今度は作物に応用できるのか、聞きたくなりますね。
いわゆる「遺伝子組み換え作物」。

説明してくれた東大・女子。遺伝子組み換えは、実は農学部の実習でも
やってるとのこと。けれど決められた土地で、許可をもらっての栽培。
その結果、成長した作物も、完全に焼却処分。
他へ広がらないよう、細心の注意。

日本ではまだ、遺伝子組み換え作物への規制は厳しいようです。
これは消費者保護の視点からは重要なこと。TPPの結果、アメリカの
基準を押し付けられ、遺伝子組み換え作物を強制的に食べさせられたり
すれば、たまったものではありません。けれど目の前の彼女。

ここ来る前は、私も抵抗あったんですけど、
作ってるうちに、抵抗なくなりましたね。

なんでも、作ってるうちに遺伝子組み換え作物にも、徐々に慣れてきたとか。
その倫理的な問題について、つっこみたいところですが、
まだ学部生の彼女。結論など出てはいないでしょう。
聞かない方がいいですね。

ケーキ
cake

五月祭2014・工学部・五号館

工学部・五号館では三つの学科が展示。応用化学科。化学生命工学科。
化学システム工学科。いずれも準備に時間をかけた展示。

光触媒、化学工学、キラル分子、ハイドロゲル・・・

例えば光触媒のコーナー。光(紫外線)を触媒として、水から水素を
取り出す試み。実現すれば「水素エネルギー」という夢のクリーン・
エネルギー。原発も必要なくなります。

とはいえ水が水素と酸素に分解する反応は本来、不利な反応。
自然には発生しません。そこで光触媒を使って反応を促そう、
となるのですが、いかんせん、装置コストが高く、今のところ、
実用化には至りません。

理論的には可能なはずなんです。

そう繰り返す東大・男子。未来を見つめてます。

そして化学工学のコーナー。これまで化学反応は、とにかく反応が
起きればいい、というノリでした。実験室でなら、それもいいかも
しれませんが、大規模に反応させる場合、話が違ってきます。

どんな量を、どんな速さで投入するか、の工程そのものが重要と
なってきました。この分野を「化学工学」と呼びます。

再生医療では、もはや化学工学を考えない実験は不可能だとか。
例えばiPS細胞を作製する場合でも、どうやれば最適に作製できるかを
考えるのが化学工学。分子が化学反応の主役とすれば、化学工学は舞台。

説明してくれた東大・男子。彼に、化学工学を使って、
STAP細胞の作製を最適化できないか、聞いてみました。
すると。

STAP細胞の存在そのものが、まだ証明されてませんから・・・

理系学生らしい答え。ちょっと変わった感じの東大生。
向こうもシンパシーを感じたのか、いろいろ話してきます。
聞けば三年生。まだ配属教室も決めてないとか。

それぞれのコーナーに、一人、二人の東大生が配属されて、説明を担当。
どのコーナーへ行っても、分かりやすく、丁寧。一昔前、理系学生は、
無口で話し下手などと言われてましたが、過去の話。

社会と積極的に関わろうとする彼らの姿勢は、
文系学生も学ぶべきものです。

五月
May

甲南高校

鹿児島中央駅を出ると、大きなアミュプラザ。デパートです。
屋上には観覧車。駅前広場の向こうは左右に走る市電。右斜めに
向かって甲南通り。真っ直ぐ行けば、県立・甲南高校。鹿児島の
県立高校として、鶴丸に次ぐ進学実績。

鹿児島二中と第二高女が戦後、くっついて甲南高校に。大久保甲東、
西郷南洲の二人の雅号から、一文字ずつ取りました。正門から見る
白い校舎はレトロな造り。校舎屋上には白いドーム。
そこに日の丸と校旗が翻ってます。

有形文化財に指定されてる古い建物ですが、もちろん改修されて、
中はキレイ。廊下もピッカピカ。校舎壁には、ところどころ、
緑の蔦が絡んでますが、自然にこうなったのかは不明。

「アリーナ」と呼ばれる体育館。ここも新しい。外には棕櫚の木が並んで
立ってます。目を引くのは、二甲記念館。ガラスの自動ドアを入ってみると、
二中、第二高女の歴史、そしてアーチストとして活躍してる卒業生の絵。

部活動も盛ん。部活動の充実度では、ライバル鶴丸を凌ぐと言って
いいでしょう。伝統的にラグビー部が強く、これまで四回、花園の全国大会に
出場してます。ソフトテニス部、バドミントン部も強豪。何より、陸上部は毎年、
複数の競技でインターハイに出場する名門。

目を引くカリキュラムとしてはKIプロジェクト。"KI"とは"Konan Innovation"の略。
三年間かけて、研究に取り組みます。自ら課題を見つけ、主体的に情報を集め、
そして分析。三年生で、それをまとめ"Masterpiece"という冊子に発表。

鹿児島一中の流れを汲む鶴丸が、どこか、とっつきにくいエリートなのに対し、
甲南は庶民的。進学実績も鶴丸のように、東大を目指したりせず、
九大、鹿大を狙います。鹿大には毎年、百名以上が進学。
そして地元に根付きます。

鶴丸とは毎年、四月に「甲鶴戦」(こうかく せん)と呼ばれる定期戦。
鹿児島の覇を競います。今年は甲南の勝利。これで三連覇だとか。

特に野望もないなら、適当な受験勉強で甲南あたりに滑り込み、
その後も地元・鹿児島に残って地域の発展に尽力する。そんな人生も
あっていいでしょう。実際、鹿児島の役所や地場産業には、甲南、
鹿大・卒という強固な人脈。地元に根付く高校の一例です。

桜島
Sakurajima

城北の卒業生(2)

五月晴れの土曜日、東大・本郷キャンパスで五月祭が開かれました。
私は今年、土曜授業がありません。出かけることにしました。

最初のお目当ては工学部・七号館。航空宇宙工学科。航空宇宙を総合的に
学べる学科。ロケット・エンジンから翼の設計まで。あらゆる学科を揃えてます。
さすが東大。

地下へ下りて行くと、風洞実験。ジェット機エンジンは前から空気を吸い込み、
空気を圧縮。その空気を燃料と共に燃焼させ、推進力を得ます。
その過程を分かりやすく解説。

飛行中、翼に水が当たれば、空気体積は膨張し、その分、軽くなります。
もちろん、これは航空機にプラス要因。では、どこに、どのように水を当てれば、
最も効果的でしょうか?

その実験をユーモアを交えて、分かりやすく説明してくれる四年生・男子。
彼こそ、御茶の水教室での教え子。今はもう、いっぱしの専門家。

理系科目が得意だった彼。英語なんか、へのかっぱ。なのに冬期講習まで
シッカリ受講。順当に東大合格を勝ち取りました。聞けば、院に進学予定とか。
彼にとって、東大での日々は、まだ続きます。東大が合ってるのか、
生き生きした表情。ガリ勉せずに東大生。これがベストです。

ロケット
rocket

長崎西高校

長崎の夜景は神戸、函館と並んで日本・三大夜景の一つ。
稲佐山(いなさ やま)展望台から見下ろすことができます。

夜景だけではありません。展望台から昼間に見る海も格別。
雲の切れ間から日光が縦に差し込み、海に降り注ぐ風景。
まるで神様が降りて来るかと思うほど。手を合わせたくなります。
長崎で教えてた頃、よくこの展望台に来ました。

稲佐山・麓にある長崎西高校。今春、東大に14名の合格者を出し、
九州の受験界では話題になってます。ちなみに九州の東大・合格者
ランキングではラ・サール41名。附設38名。熊高18名。長崎西14名。
鶴丸13名。なんと西高が四位につけました。

前身は長崎中学。外国語学校が起源。その中学が戦後、
長崎高女とくっついて長崎西、長崎東に。とはいえ西高が兄貴分。
受験生は西高に集まり、県立No.1。

ところが県立高校に格差が広がるのは良くないという思想が、
長崎でもはびこり、総合選抜制度を導入。西高と東高は同じ学区群。
受験生はどちらかに振り分けられました。自分で行きたい高校を
選ぶことはできません。

総合選抜制度は当初の思惑通り、西高と東高を平準化することには
成功しました。両校のレベルが下がる形で。

この二校がダメなら、他はもっとダメ。長崎の県立高校は壊滅。
この状況に危機感を抱いた県の政治家が、地元の篤志家を募って
青雲学園を設立。長崎の秀才は渇を癒すように青雲に集結。
ラ・サール、附設に行く者も多かったでしょう。

長崎の教職員組合が自己満足的な平等思想で、教育をぶち壊してる間、
受験生は全体主義を嫌い、自由な私立に流れました。日教組は今、
長崎に限らず、どこでも失敗だらけだったこの総合選抜制度、
学校群制度を、どう「総括」してるのでしょうか?

平成になって、長崎でもやっと総合選抜制度が廃止。長引くデフレも
重なり、学費の安い県立高校に、ポツリポツリと秀才が戻り始めました。
西高もジワジワ進学実績を上げ、今春の結果。突然変異ではありません。

全国的に公立高校が復権! 一旦、この流れができると、これはこれで
簡単には止まりません。西高だけでなく、東高も復活。九大・合格者で見れば、
今春、西高42名。東高29名。これからの飛翔を予感させる数字。

私は若い頃、語学を志しました。長崎の街を歩けば、異国情緒が横溢。
運命に引かれて、ここに来たような気がしたもの。

シーボルト、高野長英、グラバー、坂本龍馬・・・彼らもここ長崎で、
それぞれの運命を切り拓いていきました。私も東京の仕事に一区切りついたら、
長崎で英語を教えるのも、悪くないでしょう。心秘かに高野長英の弟子を
自称してる私。長崎で、できることは少なくないはずです。

長崎
Nagasaki

開成高校(4)

渋谷教室の東大クラス。遅れてやって来た開成生。なんと丸坊主!
開成では運動会が終わった後、優勝できなかった組は
丸坊主にするのが伝統。涼しげな坊主頭が今年も、
塾に現れました。

授業後の講師室。別の開成生。やっぱり丸坊主。聞いてると紫組。
確か、紫組は最下位。これは丸坊主でも仕方ないですね。

開成の丸坊主。運動会が終わったら勉強に集中する、という
決意表明でもあります。先輩たちも、そうやって受験を乗り切ってきました。
さあ、今年は諸君の番。サッと気持ちを切り替えよう!

緑深
deep green

徳川吉宗と重農主義

社会が貧しい段階では、食料増産は、そのまま富の増大を意味します。
餓死してた人が生き残れるようになり、人口も増加。農業を重視して
国力を上げることを「重農主義」または「農本主義」と呼びます。

けれど社会が徐々に成熟し、食料が商品として流通する社会では、
どうでしょうか? 食料増産は食料価格を下落させ、農家は疲弊。

ましてやその食料が通貨の役割を果たしてるなら、食料価格の下落と
通貨価値の下落というダブル・パンチ。豊作によって
社会が困窮するという矛盾が発生。

江戸期、この矛盾に直面したのが八代将軍・徳川吉宗。日本は当時、
商品流通が発達した近代社会へと変貌しつつありました。

ところが、昔ながらの重農主義。新田開発、品種改良に励み、
米増産に邁進。けれどその努力を続けた結果、米価は下落し続け、
幕府財政が行き詰まります。これに倹約令が加わり、
日本経済は完全にデフレ状態に。

重農主義の行き詰まりを打破するためには、貿易で利益を上げる
「重商主義」しかありません。増産した生産物を貿易し、他地域から
利益を得てはじめて、社会を富ませることができます。

貿易相手がいる限り、生産物の増産は富の増大につながります。
江戸期、上杉鷹山(うえすぎ ようざん)が漆などの商品作物・増産で
藩財政を立て直せたのも、それを買ってくれる他藩がいたからです。

ところが吉宗の時代、日本は鎖国政策を実施。重商主義を実行する
ためには、鎖国政策を捨てねばなりません。さすがの吉宗にも、
これは、できない相談。結果、吉宗は生涯、米価に悩まされ続け、
「米将軍」というあだ名までつけられるほど。

吉宗の後、老中職についた田沼意次。彼が在職中、貿易を増大させ、
開国を画策したのも、重商主義しか道はないことを、ハッキリ悟ったからです。

ところが田沼の開明的な政策が、朱子学でこりかたまった他の幕閣に
理解されるはずもありません。松平定信たちの陰謀により、田沼は失脚。
日本が真に重商主義を歩き始めるのは、明治期になってからです。

無題
Yoshimune

光陵高校

横浜・保土ヶ谷区にある権太坂(ごんた ざか)。旧・東海道。
結構、キツイ坂を上った場所に県立・光陵高校。隣は養護学校です。

東京、大阪、広島といった師範学校が強かった都道府県。こうした地域では、
戦後、教育大・附属高校が誕生。それらの附属高校は今、どこも名門。

実は光陵。最初は横国・教育学部の附属高校となる予定。
もしそうなってれば、今頃、湘南、翠嵐も真っ青の進学校だったでしょう。
けれど、この構想は挫折。こうした経緯から、光陵。
進学校になれそうでなれない、ハンパな県立高校に。

横国、横市に十名程度、早大に四十名程度の合格者。
残りはMARCH。悪くないけど、良くもない。

とはいえ見方を変えれば、この進学実績も、違って見えてきます。
なにせ光陵。あまりに不利な条件が揃いすぎ。保土ヶ谷駅からも
東戸塚駅からも遠いロケーション。周囲には住宅と畑以外、
何もありません。

四十年以上経った校舎はオンボロ。体育館は雨漏り。
部活棟はオバケが出そう。グラウンドもデコボコ・・・
まさに時代に取り残された風情。

これで早大・四十名はスゴイ。施設の不備をものともせず、知恵を絞ってます。
まず授業について。一・二年生は四十分授業。けれど三年生になると、
倍の九十分授業。たいていの大学受験では、一科目・九十分。
それに合わせたカリキュラム。

「光陵ユニバース」(KU)と呼ばれるゼミ。一年生から二年間かけて、
論文作成。思考力を鍛えます。興味ある分野を見つけ、テーマを決め、
情報カードを作ります。大学に入って、最も役立ったのは
KUゼミだった、という卒業生の声も。発表会は県立ホール。
その完成度の高さに、関係者が驚くほど。

そして学校行事。訪問した時、ちょうどグラウンドで体育祭の練習。
良い機会だから見ていくことに。光陵・体育祭では四つの組に分かれます。
青、赤、白、黄。ちょうど青組・応援練習。大きなかけ声。息合ったポーズ。
最後は全員で輪になってのダンス。

体育祭は一般公開してませんが、ぜひ文化祭にいらして下さい。

教務の人に、そう言われて、頷かずにいられません。
思えば、光陵。もっと廃れておかしくないところを、教員、生徒の
ガンバリで、なんとか学校力を維持。涙ぐましいとすら、言えるでしょう。

それ故、私たちが目を向けるべきは県の教育行政。神奈川県は
たくさん県民税を課してるくせに、こんな高校をほっとくなんて、
一体、何をしてるのでしょうか?

光陵だけでなく、希望ヶ丘、横須賀といった神奈川の名門・県立高校は、
どこもオンボロ。地震の危険もある中、宝物のような高校生を安全にせずして、
何をするというのでしょう? 何か起きてからでは遅い。
一刻も早い対策が望まれます。

そんな光陵。清潔な廊下、明るい教室とは全く違う高校生活。
けれど学び舎の究極的な意味は人。すきま風校舎でも、雨漏り体育館でも、
集う者の目が輝いてれば、最高の舞台に変わるもの。

この世のほとんどの現象は、想像力でカバーできます。よし。
県の教育行政といった、いつになるかあてにならないものなど、
ほっといて、ここはひとつ、想像力でオンボロ校舎を、切磋琢磨の
アカデミアに変えていきましょう。光陵生には、それだけの力がありそうです。

アイスティー
iced tea

彦根東高校

徳川・四天王とは酒井忠次、本多忠勝、榊原康政、そして井伊直政。
三河からの譜代家臣。家康への忠義を尽くしました。

関ヶ原の戦いの後、三成の居城・佐和山城が落ち、代わりに彦根に
入ったのは井伊直政(いい なおまさ)。JR彦根駅・西口を出ると、
今も騎馬武者姿の井伊直政・像。

通りを真っ直ぐ歩くと、右に彦根市役所。やがて彦根城。
堀が大きい。姫路城、松本城、犬山城と並ぶ国宝。江戸期を通じて、
井伊家の本拠となり、三十五万石を擁しました。

堀の内側に県立・彦根東高校。校舎は新築。新しい建物の匂い。
渡り廊下の向こうは建て替え中。というわけで、グラウンドに
プレハブ校舎。今の東高生には不便ですが、しかたありません。

滋賀の県立高校と言えば、膳所が圧倒的ですが、彦根東も行事、
部活動では、決してひけを取りません。特筆すべきは野球部。
正門前には甲子園出場の記念碑が四つ。

昨夏、甲子園に出場してたのは、記憶に新しいでしょう。
対戦相手は岩手代表・花巻東。彦根東としては、得意の打線を
つなげて、一気に試合を決めたいところ。けれど花巻東の方が、
一枚も二枚も上でした。

打線が五点取っても、投手が打ち込まれて九点、献上。初戦敗退。
ちなみに、この試合。対戦相手・花巻東の二番打者が見せた
カット打法が話題になりました。

駅前には直政・像があっても、近江人が口にしたのは。

一に大老。二に佐和山殿。

近江人からすれば、直政も結局、よそ者。郷土が生んだ真の英雄は、
幕末、大老の重責を果たした井伊直弼。関ヶ原で果敢に
家康に挑んだ石田三成。

両者とも、これまで歴史では悪者扱い。けれど明の人・直弼。
義の人・三成。世間の評価を気にせず、自己の意志を貫いた
二人だからこそ、近江人は真の英雄と認めたのでしょう。

その伝統を受け継ぐ東高生。直弼も三成も、広く世界を見つめた傑物。
先輩とするに不服はありません。心意気しだいで、
東高生の未来もドンドン広がっていくでしょう。

彦
Hiko-nyan

高津高校

大坂・冬の陣で真田幸村が陣を構えた真田丸。籠城しては徳川軍に
勝てないと判断した幸村は、大坂城・南に布陣。
数十万の徳川軍を待ち受けます。

意気揚々とやって来た徳川軍。勝負は最初からついたかのように
見えました。徳川軍・先鋒はドンドン近づいて来ますが、真田丸は沈黙。
やがて、敵味方の顔が判断できるほどになって、幸村がおもむろに。

放て!

真田丸から数百の銃口が一斉に火を噴きます。徳川軍は総崩れ。
たった一日で数千の犠牲者を出します。数の上では圧倒的に
有利だったのに、豊臣との講和に持ち込まざるを得なくなりました。

そんな真田丸の場所は今、真田山公園。すぐ西に府立・高津高校。
「たかつ」でなく「こうづ」です。東京にいると、あまり意識に上らない高校。
実は大阪でも、知名度は今ひとつ。進学実績でも、近くの天高に、
かなり水をあけられてます。

けれど高津、実は面白い高校。校訓は「自由と創造」。
何でもありの校風。服装は自由。アルバイトも可能。茶髪もOK。

下校時、校門に立つと、学年集会でも終わったのか、
高津生が、向こうからゾロゾロ。なんちゃって制服もいますが、
ほとんど私服。それが一斉に下校。

彼らが帰った後、校舎はスッカラカン。玄関に入ると、右にベンチ。
そこで何やら生活相談。結構、込み入った話題を女子生徒が
女子教員に話してます。こんなとこでしなくても、と思いますが、
さすが高津。何でもあり。

猛勉強の受験、猛練習の部活、そういうものを嫌う校風。
そこそこ頭の良い生徒が集まってるはずなのに、阪大・合格者は
二十名程度。部活もラグビー部、陸上部が近畿大会に行くのがせいぜい。

けれど自由な校風。ガンバるけど、結果にはこだわらない。
結果を出すことに血道を上げる人から見れば「いいかげん」に
見えるかもしれません。

けれど文化は、えてして余裕やムダから生じるもの。
結果への最短距離を追及する姿勢では、
心の成熟も、広い視野も得られません。

というわけで高津。府立高校の「隠れた名門」です。
府立十一中からの伝統があるわけですから
「名門」と呼んでも、大丈夫でしょう。

誰もとやかく言ってこない代わりに、結果も自己責任。
結果への評価も自分が下します。他人の目は気にしない。

そこまで見切れる若者なら、高津は深い思索の時間を与えてくれる、
面白い場所。天高がムリなら、十分、選択肢に入れていい学校です。

大坂城
Osaka Castle

明星高校

七つボタンは桜に錨(いかり)。

現在、七つボタンを採用してる学校は全国で四つ。札幌の光星、
東京の暁星、大阪の明星、そして長崎の海星。これらは全て、
カトリックの兄弟校。どうしてカトリックの学園が七つボタンに
こだわるのか不明ですが、実際、そうです。

七つボタンを見るために、玉造(たまつくり)まで足を運んで
みました。大阪明星学園。玉造駅は東西に走る長堀通にあります。
北に大阪女学院、南に大阪海星学園。東京の明星学園とは、
直接、関係ないようです。

向こうから歩いて来る男子。胸に星マーク。おお。明星生。
けれど、みんな夏服。もう衣替えは終わってるらしく、
七つボタンを見ることはかないません。残念。

学園が近くなるにつれて、やって来る男子の数も増えます。
背は高く、恐らく高校生。中高一貫の男子校。
高校入学も受け付けてます。

正門を入ってすぐ右の聖堂が印象的。正面に十字架。
屋根は波が次々かぶさっていく設計。
白い建物は清潔感に溢れてます。

聖堂の中に入ると白い壁。ステンドグラスから明るい色彩。
イエスの生涯を順々に描いた絵が壁に並びます。

聖堂を出て、校舎へ向かうと、水のせせらぎ。玄関前の噴水。
校舎の上には白いマリア像。噴水の向こうにグラウンドが
ありますから、学園というより、公園の趣き。

明治三十一年、マリア会から派遣されたウォルフ神父が設立。
現在の真田山に来たのは五年後の明治三十六年。
日露の間で緊張が高まってた頃。

戦後、大阪明星学園となりました。カトリックを標榜するからには、
校則は厳しめ。毎朝、教職員が校門に立ち、挨拶の励行と服装チェック。
そういう厳しさがイヤなら、すぐ隣の府立・高津高校に行った方が
いいでしょう。明星とは全く逆の自由な空間が広がってます。

さて明星。中入生は六年一貫コース。高入生は三年コース。
六年一貫コースは特進コースと英数コースに分かれ、特進コースは
中二段階で特進選抜コースにも分かれます。これで三つ。

三年コースは文理選抜コースと文理コース。これで二つ。
三年コースの文理コースを除き、高二から文系・理系と
分かれますから、全部で九つのコース。

女子校のように毎朝の礼拝はありません。週一回ある宗教の授業も、
気合いが入ってません。というわけで大阪明星。進学実績の良い
私立の男子校が、大阪の真ん中にある、と考えておけば、
良いでしょう。

風鈴
windbell

豊中高校

御堂筋線の北端・千里中央駅。豊中高校へはバスが出てます。
乗り場は一番か三番。バスはすぐに出発。まだ自然が残る
千里の住宅街を走り出します。起伏の多い道に林や池。

大きな家もたくさん。大阪の資産家にとって、
この辺りは一つの選択肢。

やがて豊中高校前。バスを降りると、すぐに正門。
グラウンドでは部活動。校門前で女子がダンス練習。
リーダーの手拍子に合わせて、Tシャツ女子が軽快にホップ。
体育大会の練習でしょう。

通り過ぎると、右に体育館。剣道部の大きな気合い。
やがて校舎。入ると下駄箱。すぐ向こうに正方形の中庭。
校舎が中庭を囲む設計。地元では「豊高」(とよこう)。

府立十三中を前身とする府立高校。男女共学。阪大・合格者では、
今春、38名を出した名門。北野、茨木、大手前、奈良、天王寺、
神戸、三国丘に次ぐ八位。高校に初めてアメリカン・
フットボール部ができたのも、ここ。

文理学科と普通科に分かれます。もちろん文理学科の方が
レベルは上。英・数・理に特化したカリキュラム。
難関大・理系学部、医学部への進学を目指します。

他の府立高校と同じく、文理学科が前期入試、普通科が後期入試。
事実上、文理学科をダメだった層が、普通科を受験。

風とひかり。

豊高が土曜日に開く特別講座。参加は自由。英語リスニングと
理数科目。ただの補習ですが、こんな名前を付けるなんて、粋なもの。
豊高・教員にJ-POPを好きな人がいたのかもしれません。

大阪の府立高校らしく、部活動が盛ん。運動部は薙刀部まで
揃えるライン・アップ。ガリ勉は豊高に似合いません。
そんな部活動を見ようと、再びグラウンドに。

野球部の打撃練習。しばらく見てると、
打者の一人が帽子を脱いで。

コンチオッス!

足を揃えて深々とお辞儀。すると他の部員も一斉に。

コンチオッス!

さすが野球部。これはスゴイ。けれど、ものすごく照れくさい。
手を上げて応えた後、そっと場を離れました。

どの高校に行っても、野球部はしつけを鍛えられてます。
このような若者は、社会のどこへ行っても、通用するでしょう。
商社、銀行、メーカーの一流どころが、体育会系・男子を
喜んで採用するのも、そういうこと。

校門まで来ると、再び女子のダンス練習。決めのシーンを
何度も練習。背中を向けた後、手を広げて、一斉に
振り向くシーン。体育大会は来月。あと一カ月ほど。

丸っきり、勉強を忘れた時間。しかし、この時間あればこそ、
勉強に打ち込めるというもの。一度しかない高校時代なら、
いろいろ挑戦すべき。豊高生は、それを実践してます。

野原
field

四条畷高校

大阪・環状線の京橋駅。ここから奈良方面に学研都市線。快速に乗ること
十五分。四条畷駅(しじょう なわて えき)に到着します。

駅を出ても住宅街。街の中心という雰囲気ではありません。歩いてると
「四条畷神社」入ってみると、向こうに大きな楠。なんと樹齢、六百年!
楠正成の長子・楠正行(くすのき まさつら)を祀った神社。

今を遡ること、約七百年前、湊川(みなとがわ)の戦いで追い詰められた
楠正成(くすのき まさしげ)。死を覚悟します。共に討死しようとする
長子・正行に「ここは生きて忠孝に励め」と下知(げち)。この時、
正行、十一才。父を湊川に残したまま、生き延びました。

正行は長じ、二十三才。ここ四条畷で、やっと死に場所を見つけます。
後村上天皇(南朝)を戴く正行。彼のもとへ、高師直(こうの もろなお)
率いる五万の大軍。師直を派遣したのは、北朝を支える足利尊氏。

両軍は、ここで激突。五万の北朝軍に対して、五千しか兵がなかった正行に、
最初から勝ち目はなく、ここで討死。その場所に地元の人々が
そっと楠を植え、それが成長して、この巨木に。

四条畷神社を過ぎて五分ほど歩くと、左に四条畷高校。地元では「畷高」。
正門を入ると、右に棕櫚の植え込み。正面に本館。
本館を入ってすぐの場所に受付があります。

校舎は改修されててキレイですが、どこか昭和・初期の雰囲気。
改修時、往時の雰囲気を残すよう工夫されたとのこと。
本館・全体が有形文化財に指定されてます。

畷高の校章にも楠の葉。若者が楠のようにスクスク育つように、
という願い。府立九中を前身とする府立高校の名門。
今春の進学実績では京大14名。阪大36名。神大34名。

今、畷高では理系教育に力を傾注。折しも平成二十四年、文科省の
SSHに指定されたのを契機に、畷高生に高校理科の範囲を超えた
研究のチャンスを与えてます。畷高生もこれに応え、自分なりに
研究テーマを見つけ、発表。

「研究発表なら、図書館に行けば見れますよ」そう聞いて早速、
見せてもらうことに。図書館の「探究チャレンジ」の棚に
ファイルされてる「夏休み個人探究活動」。
テーマをめくると。

ジョン・フォン・ノイマンに学ぶ協和音と不協和音の分析
分析セルを用いたチンダル現象の観察
物理とバスケットボール
ブーメランの構造について・・・

畷高生が楽しんで勉強したことが、一目で分かる論文。もちろん、
こうした研究は見えない形で畷高・進学実績を支えます。高校範囲しか
履修してない受験生と、それを超えた範囲まで目配りできる受験生は、
どんな科目であれ、その答案から、ハッキリ分かるもの。

今後、日本が進むべき道は科学立国です。安倍内閣は観光立国などと
提唱してますが、半分、冗談でしょう。日本には、ものづくり、なかんずく
科学を発展させることしか、道がありません。

その意味で、志望学部に関係なく、科学に親しんでもらう畷高の姿勢は、
実に正しいもの。畷高の理系教育は今後も、支持されていくでしょう。

渓流
stream

須磨学園高校

姫路から乗る山陽電鉄。明石を過ぎると、右に視界がパッと
開けます。穏やかな瀬戸内海。五月の海。湘南のように
サーファーこそいませんが、いつ見ても、心和む風景。

舞子、垂水、須磨・・・古(いにしえ)よりの雅な地名が
続きます。やがて板宿駅(いたやど えき)。
ここで降りましょう。

駅を出ると商店街。突き当りまで行って左に曲がると川。
目の前の山の中腹にドーンと須磨学園。川に沿ってしばらく歩くと、
階段。見えてくる正門。右には「西」という表札の家。

高い場所まで登っただけあって、海が見渡せます。
正門を入ると、右にバラ園。そして本館。中入生のクラスはここ。
少し上に高入生・校舎。中入生、高入生は別学。
同じ授業を受けることはありません。

高入生は長田、姫路西といった県立高校を落ちた人たち。
今一歩の学力。というわけで、須磨学園の進学実績を支えてるのは、
もちろん中入生。今春の実績で京大8名。阪大32名。神大27名。

最初は女子向けの裁縫学校。西田のぶが設立しました。
今も正門を上がった場所に西田の胸像。平成になって共学となり、
進学実績が上昇。一躍、注目される学園に。

平成十年、西田の孫、西泰子が理事長、四年後の平成十四年、
兄の西和彦が学園長に就任。今に至ります。正門前の家に
「西」の表札があったのも、こういう経緯から。

西和彦と聞いて、知る人は「あっ」と思うでしょう。
ビル・ゲイツと共にマイクロソフトの設立に関わった人物。
ウィンドウズの立ち上げにも終始、参加。帰国後はコンピューター
専門雑誌「アスキー」を創刊。編集長として活躍しました。
今も日本でITを最もよく知る一人。

西が学園長を務めるだけあって、須磨学園ではITに力を入れてます。
須磨生は各自「制電話」と呼ばれる専用の携帯電話を所持。
教員、他の生徒との通話には一切、費用がかかりません。

ノート・パソコンも各自に一台。このノート・パソコンには
キー・ボードに文字がありません。文字位置くらいサッと
覚えようよ、ということでしょう。

部活動としては水泳部、陸上競技部が全国レベル。
高入生・校舎の前には、なんと50mプール!
ここからオリンピック選手も輩出したとか。

一月に京都で行われる高校駅伝。都大路マラソンとも呼ばれます。
須磨学園は女子駅伝で二十一回・連続出場を誇る名門。
平成十八年には全国優勝を飾ってます。

今年一月の都大路。やはり女子駅伝で須磨学園が活躍。
一区・二区の三年生が首位でタスキをつなぎました。三区から
五区までは二年生トリオ。いずれも区間・六位の記録を出し、
二つ順位を下げた三位ゴール。入賞を果たしました。

試合後、涙を見せた二年生アンカー。首位で通過してくれた
三年生に、申し訳ないとのこと。けれど、その目はもう、
来年を見据えてます。

須磨学園に戻りましょう。進学校として認知されてから、
まだ日が浅く、今は県立高校の滑り止め。けれど学校運営には
マーケットを意識した確かさ。さすが西が学園長を務めるだけあります。

近い将来、高砂の白陵に迫る実績も出せそうです。
塾業界に身を置くなら、注目しておくべき学園でしょう。

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