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國學院久我山高校

杉並の久我山(くがやま)にあります。岩崎通信機器の近く。
人工芝のグラウンド。大きな校舎。男子・女子がいますが、別学。
部活動や文化祭で、たまに一緒になるだけで、授業は全て別。

別学が久我山生に良いことなのかどうか、私には不明。
学園は「ほどよい距離間」と謳ってますが、どうでしょうか。
甘えを許さない校風。それ故、別学の方が何かと都合いいのでしょう。

学園としては国立大にもっと合格者を出したいようですが、
なかなか。東大、一橋には行けても数名。ホンとに進学実績を
伸ばしたいなら、選抜クラスを設置して、受験に特化させるべき。

けれど、そこまでする気もありません。結果、
MARCHあたりに進学する生徒が大半。

ならば久我山。進学校になりそうでなれないハンパ学園かと
思いきや、そうではありません。勉強はともかく、運動部の活躍が
全国レベル。野球、サッカー、ラグビー・・・これらの部は
甲子園や全国大会の常連。國學院久我山の名を全国に
知らしめてます。

特筆すべきはサッカー部。全国高校サッカー選手権大会に
何度も出場。二年前の平成二十四年、早実を2-0で破り、
東京Bブロックで優勝。国立競技場に駒を進めました。

国立競技場でも東海大五高を2-1。鹿島学園を2-1で下し、
ベスト16へ。優勝へと期待が膨らみます。三回戦の相手は
栃木代表・矢板中央高校。

久我山は前半戦、キーパーのキャッチ・ミスで一点、先制されます。
けれどすぐにヘディングで取り返し、そのまま試合は一進一退。
1-1のまま、決着がつかずPK戦へ。

二人目までは両校ともにゴールを決め、三人目。
矢板中央が決めた後、久我山。右足で降り抜いたシュートは
キーパーに阻まれます。ガッツ・ポーズの矢板キーパー。

このまま矢板中央が、二人続けてゴールを決め、試合終了。
グラウンドに手を付く久我山イレブン。
彼らの高校時代が終わりました。

これほどまで運動部がスゴイなら、PRしてもよさそうですが、
久我山、それもしません。対外PRしない方針なのでしょうか。
いずれにせよ、大きな可能性を秘めた学園ではあります。

塾にも毎年、数名来る久我山生。男子はシャツの胸に
三角形のマークがありますから、すぐに分かります。

今年も新宿教室と渋谷教室に女子が一人ずつ。久我山からなら、
新宿へも渋谷へもすぐ。私も彼女たちの期待に応えねばなりません。

あじさい
blue

中国の国防動員法

現在、中国から海外に出国してる中国人は数え切れません。
日本国内にも、登録されてるだけで、七十万人を超える中国人。
不法入国者も入れると、数はもっと増えるでしょう。

彼らは留学生、研修生、技術者などの名目で入ってきます。
そんな海外にいる中国人を縛る法律が国防動員法。中国政府の
指令があれば、海外にいても、それに従うという法律。
2010年に制定。

海外での中国人・動員について、典型的に示されたのが、
2008年・北京オリンピック。国防動員法ができる二年前のこと。

聖火リレーが長野を通過する時、日本のチベット支援団体が
抗議行動を予定。ところが、その抗議行動を阻止すべく、
中国人・留学生が日本国内のあちこちから、長野に集結。

バスをチャーターし、五星旗を揃えた中国人が数千人。
その資金の出所は中国大使館とも言われてます。

中国人が集まるにつれて、長野は異様な雰囲気に。
聖火リレーが始まると、中国人はチベット支援団体の日本人に
暴力をふるい始め、彼らの数に圧倒され、警官も制止できない始末。
大きな五星旗を掲げ、その後ろで、殴る・蹴るの暴行。
中国人の暴力性を遺憾なく発揮。

福田内閣はメディアに緘口令を敷き、この暴力事件を
報道しないよう指示。結果、長野の聖火リレー事件について、
ほとんどの日本人は知らないまま。

日頃、日本に世話になっておきながら、暴力で返礼する中国人。
二年前、中国本土での反日・焼き討ち事件でも、
その暴力性は世界の内外に伝わりました。

日本政府が検討を始めた移民政策。もし実行されれば、
入ってくる移民は大部分が中国人。彼らが日本で何をするかは
明らか。彼らは日本にいても、帰化しても、中国政府に同心。

中国政府がこれまでチベット、ウィグル、モンゴルで、どれほど
残虐な民族浄化をしてきたかを見れば、彼らが大挙して、国内に
入り込んでくることが、いかに恐ろしいか分かるというもの。

中国人は甘言を弄して入り込み、一定の時期が来れば、暴力を用いて
反対運動を弾圧。民族性についても、去勢・不妊手術、強制結婚、
強制移動で浄化。半世紀も経てば、元々、どういう地域だったか
分からなくなります。

昔「清」(しん)という大帝国を作った満州族。けれど今、
中国政府の民族浄化の結果、満州族も、その地域も、
どこにあるのか、分からなくなってしまいました。

民族浄化に抗議し、今もチベットでは僧侶の自死が相次いでます。
けれど、日本のヘタレ中国ジャーナリストは、全くこれを
報じません。彼らは中国・国営メディアの報道を訳して
伝えるだけ。読む価値ありません。

世界のあちこちで嫌われてる中国人。特にアジアでは、
一番嫌いな民族と聞かれれば、ほぼどこでも「中国人」。
国際ビジネスに携わってる人なら、誰でも知ってること。

そのような民族が日本に大量に入ってくることなど、
将来世代のためにも断固、阻止しなくてはなりません。

淡花
rain

集団的・自衛権

来日したオバマ大統領。安倍首相と共同声明を出しました。
その中で、尖閣諸島は日米安保条約の適用・範囲内と明言。
「センカク」と名前まで挙げて、アメリカに守る用意があると発言。
あの発言を聞いて、安堵感を覚えた日本人は多かったでしょう。

普段は居丈高な中国政府も、オバマ大統領の今回の発言には、
ほとんど音沙汰なし。武力を背景とする毅然とした態度に、
相手国は、このような形で敬意を示します。

日本の尖閣諸島が中国によって攻撃される時、米軍が自衛隊と共に
戦ってくれる。実際にそんな戦闘がなくても、その予想が
成立する時、人民解放軍はビビッて出て来ません。
これこそ集団的・自衛権。

かほど集団的・自衛権の世話になっておきながら、今さら
日本の集団的・自衛権を否定する勢力がいるとは、
どういうことでしょう。

日米安保条約、そして在日米軍の存在そのものが、集団的・自衛権。
もし集団的・自衛権を否定するなら、米軍には今すぐ出て行って
もらうべき。そして日本人自らの手で中国、韓国、北朝鮮、ロシアに
脅かされない防衛力を築くべき。今の日本人に、
その覚悟があるでしょうか?

日本が守ってもらう分には大丈夫でも、アメリカに何かあった時、
日本はその戦争に参加しなくていい。そう思ってるなら、まさに
属国根性。自分はしてもらうばかりで、相手には何もしない、
そんな態度では、個人も国家も信用されないでしょう。

なのに日本の自衛隊が今だ、海外で信用されてるのは、
ひとえに現場の自衛官が日々、命を賭けたオペレーションを
黙々と遂行してるからです。それを海外の軍人が冷静に評価。

本来、日本の防衛は日本人の手で行うべき。当たり前のことです。
歴史的理由で、それを今できないのなら、日米安保条約に頼る他は
ありません。その時、集団的・自衛権を否定する議論など、
成立しなくなります。

チューリップ
tulips

中国、商船三井の貨物船を差し押さえ(2)

上海の裁判所に大型・貨物船を差し押さえられた商船三井。
四十億円の供託金を支払って、船を取り戻しました。元々の
請求額は二十九億円でしたが、金利を付けて、この金額に。

これに味をしめて、中国はこれから、ケタを
つり上げて訴訟を起こしてくるでしょう。

支那事変・当時、中国大陸を支配してたのは、とりあえず中華民国。
大東亜戦争・終結時、蒋介石は日本に賠償請求しないと発表。
中華民国への賠償義務がなくなりました。

中華人民共和国になっても、昭和四十七年の日中共同声明で、
中国はやはり、全ての賠償を放棄すると明言。
これで話は終わったはず。

それを今頃、蒸し返して、賠償金をせびる中国。日本政府は
ガツンと言い返して、毅然とした態度をとるべきでした。
けれどフニャフニャの声明。何の力にもなりません。

商船三井が供託金を支払ったのも「政府は守ってくれない」
という判断から。今後、中韓から同様の訴訟が、次々に出て
来ることが予想されます。最初でつまづくと、こうなります。

庭
garden

附属・オーケストラ定期公演2014

豊島公会堂で行われた筑波大学付属高校オーケストラ部の定期公演。
私も、いそいそと池袋に足を運びました。公会堂に入ると、
照明を暗くした会場はもう半分ほど埋まってます。
保護者、OB、現役の附属生・・・
演目は。

1・シュトラウス「こうもり」
2・スッペ「詩人と農夫」
3・ドヴォルザーク「新世界より」

明るい曲を二曲、続けた後に、起伏ある交響曲をもってくる構成。
シュトラウスは女子、スッペは男子がタクトを振りました。

十五分の休憩後、三曲目の「新世界」が始まりました。
あどけない顔の女子が指揮台に立ちます。黒の正装。
彼女はシュトラウス、スッペではヴァイオリンを担当。
最後の交響曲で指揮台に。

軽快な第一楽章。穏やかな第二楽章。弾むような第三楽章。
そして緊張感ある第四楽章。ドヴォルザークはスメタナと並ぶ、
チェコが生んだ作曲家の双璧。彼が新しい国アメリカの息吹に触れ、
そのインスピレーションで作った交響曲「新世界」。

指揮台の女子。指先まで意識を届かせ、大きく手を広げて、
オーケストラをリード。滑らかに切る白いタクトが眩しい。

渋谷教室に来てる、私の教え子。今回の定期公演のために、
半年間、準備に没頭。塾の休み時間にも、楽譜を眺めて指揮の練習。

テレパシーでもないと、みんなの音を合わせられない。

そんなことも言ってました。けれど、なんの。指揮台では、
余裕の表情。演奏が進むにつれて、楽しくなってきたようです。

万雷の拍手を浴びて、頬を染める彼女。他の奏者と握手。
私も花束を持ってくればヨカッタ。
ここで渡せるのに・・・

さあ、これで一区切り。余韻に浸らず、パッと切り替えるのが
デキル女子。想い出は少しの間、触らないでおきましょう。

幻
conductor

武蔵・民族文化部

武蔵の第九十二回・記念祭。澄み切った四月の青空、土日かけて
行われました。中でも、秀逸な展示が民族文化部。
少し奇妙な名前ですが、それなりにマジメな部。

今年のテーマは「山陰」。昨夏、鳥取、島根を巡り、そこで
集めた史料を、まとめました。テーマを見ると。

隠岐の歴史 石見銀山 尼子氏の発展と衰退 鳥取藩史・・・

中でも尼子(あまご)に関する研究が目を引きました。尼子氏は
西国で大内氏と対抗する大勢力でしたが、毛利元就(もうり もとなり)
の調略により、その軍門に屈しました。

尼子が最大勢力となった当主が、経久(つねひさ)晴久(晴久)の親子。
出雲、伯耆、美作など八州を獲得。尼子は絶頂期を迎えます。

ちょうど今から二十年ほど前、NHK大河ドラマで緒方拳が、経久を演じました。
ちなみに、この時の毛利元就は中村橋之助。元就は晴久・家臣の謀反を
でっち上げ、尼子・内部を攪乱。尼子は一転して小大名に転落。

経久、晴久の亡き後、毛利・打倒の執念を燃やす尼子。勝久の時に、
絶好のチャンスが訪れます。信長の命を受けた秀吉が毛利攻めのために、
播磨に入ったからです。勝久は一も二もなく、織田への同心を秀吉に伝え、
播磨・上月城(こうづき じょう)に籠城。毛利を待ち受けます。

けれど五万の毛利勢に対し、織田からの援軍は来ず、
結局、ここで尼子は滅亡。

武蔵・民族文化部。山陰の静かな街並みを歩きながら、そこでの興亡に
思いを馳せることは、新鮮だったでしょう。その新鮮さを手書きの展示に
ぶつけました。記念祭・終わりには企画の投票結果が発表されるとか。
良い順位を期待できそうです。

春
little bird

武蔵・記念祭2014

武蔵で毎年、四月に開かれる記念祭。晴れた土曜日、足を運んで
みました。江古田駅を降りると、武蔵の中学生が矢印を持って
立ってます。それに従って行くと、間違えることは
ありません。駅から歩いて五分ほど。

東口から入るよう誘導されます。入ると、ヤギの声。
一年ほど前、来た時には二匹しかいなかったのに、
小ヤギが数匹。家族が増えたようです。

早速、展示を見に行きました。物理部、化学部、気象部、
鉄道研究部・・・歩いてると「ムセイオン」という奇妙な企画。
入ってみると土器。戦国時代の鎧。ヒックス粒子。チンダル現象・・・
それぞれ全く脈絡ないテーマ。

けれど「何でもあり」の武蔵。こういう企画こそ本領発揮。
展示を前に説明する武蔵生も、それなりに真剣。鎧を前に
当時の戦いを説明する武蔵生。歴史好きなのでしょう。

一つ、一つ見て行くとチンダル現象。物質がコロイド溶液に溶ける時の、
イオンの動きを、あまり分かってそうにない親子連れに熱く語ってる武蔵生。
なんと新宿教室の教え子! 彼に、こんな一面があったとは。

これ、差し入れ。

池袋で買ったメロンパン。一個、二百五十円。友達と食べられるように二個。
土・日と続く武蔵・記念祭。大声を出してれば、お腹も空きます。
足しにしてもらいましょう。

空
late April

京都女子高校

祇園・八坂神社といえば、しだれ桜。けれど、新緑の季節。
もう散ってます。けれど晴れた四月の日。学校訪問には吉日。
八坂神社前を南北に走るのは東大路通り。そのまま南へ歩きましょう。
平日なので、それほど人は多くありません。

五条、六条、七条。やがて東山七条の交差点。ここから東へは
「女坂」と呼ばれる、なだらかな坂。右には智積院(ちせき いん)。
整った庭園と襖絵で有名ですね。

やがて左に見えてくる京都女子学園。地元では「京女」(きょうじょ)。
大学は、もう少し東に行った場所。明治三十二年、甲斐和里子
(かい わりこ)が設立した顕道女学院が前身。

この学校が京都高等女学校となり、戦後、中学校、
高校、大学と相次いで新制に切り替わりました。

正門には守衛室。ここで受付をしなければなりません。
入るとすぐにグラウンド。それを囲むように一校舎と二校舎。
一校舎の向こうには体育館。体育館を挟むように三校舎と四・五校舎。

ブルーの制服を着た京女生が静かに挨拶して通り過ぎます。
おお。さすが、京都。左のグラウンドでは部活動が始まってます。

設立者の甲斐は浄土真宗に帰依。それ故、京女も親鸞聖人の教えに
基づいて運営されてます。週に一度、宗教の授業。
釈迦の生涯。親鸞の生涯。世界の宗教・・・

浄土真宗の本尊は西方にあるアミターバ。阿弥陀如来です。
京女の講堂にも阿弥陀如来像。京女生はここで祈りを捧げます。

浄土真宗は一心に念仏を唱えることから「一向宗」とも呼ばれました。
本山は本願寺。織田信長がホトホト手を焼いたのも、この一向宗・門徒。
倒しても倒しても、念仏を唱えながら、次から次へと
立ち向かってくる門徒。どんな戦国武将よりも、
恐ろしかったとか。

さて京女。京都女子大への進学を望むならウィステリア科。
この科に普通に通ってるだけで、高二・三学期の時点で
京都女子大への内部推薦が決定。

けれど、それ以外の京女生は他大学への受験を準備しなくては
なりません。そのため、京女では三つの類を用意。

Ⅰ類は私立大コース。Ⅱ類は国立大コース。Ⅲ類は難関大コース。
Ⅲ類は事実上、中入生しか入れないようです。高入生の場合、
先取り勉強をしてませんから、Ⅲ類はムリ。

このコース分けも奏功してか、京女、京都の私立女子校では、
No.1の進学実績。今春、京大3名。阪大11名。神大5名。

部活動ではダンス部が有名。平成二十四年には、なんと
高校ダンス・コンクールで金賞!「柔らかな時計」という
演目を披露。女子らしい、しなやかな動きで、時間と空間を
結びつけるダンス。観客を魅了しました。

設立以来、浄土真宗の教えを受け継ぐ京女。祖母も母も京女でした、
という女子が今も、その扉を叩きます。いかにも京都らしい学園。
今後も人気は続くことでしょう。

花々
petites fleurs

大阪女学院高校

東京から新大阪に着くと、赤い御堂筋線。大阪市営・地下鉄。
江坂から、なかもずまで。私にとっても懐かしい路線。
新大阪から中津まで毎週、通ったものです。

今日は中津を通り過ぎ、心斎橋まで行ってみましょう。
市営地下鉄は長堀鶴見・緑地線と交差。黄色い電車。長堀橋、
谷町六丁目、そして玉造。玉造駅で降りて一番出口を出ると、
辺りはマンションばかり。

地下鉄・出口からすぐの場所に大阪女学院の南口。
ここからは入れません。正門に回りましょう。受付をすませて
歩き出せば新緑が眩しい。セコイアの木が至る所に。
都会にフッと出現した緑のオアシス。

右には噴水。正面にはヘール・チャペル。左に北校舎。
ここは高校生の教室。向こうには東校舎も。
右に南校舎。ここは中学生の教室。

明治十七年の設立。宣教師アレクサンダー・ヘールが大阪に
開校したウィルミナ女学校が前身。以来、幾度かの校名変更を経て、
戦後、大阪女学院に。中学、高校だけでなく大学、短大も併設。

ただし大学、短大も同じ敷地内にありますから、そのまま
進学すれば、十年間、玉造キャンパスに通うことに。

とはいえ女学院生。大部分の生徒は有名大・進学を希望。
カリキュラムでも英語科を設置。早い段階から異文化理解、
語学教育を徹底。

国立、私立を問わず、文系学部の大学入試なんて、
英語ができれば、どうとでもなるもの。結果、大阪女学院は結構、
良い進学実績を残してます。関西の女子校は進学実績で
勝負してませんから、これは貴重な存在。

とはいえ、英語科の強みがそのまま弱みにも。英語以外の科目、
特に理系科目が手薄。カリキュラムからして、そう。

国公立大・医には毎年、一名か二名。というより、
そもそも国公立大・医を志願する女学院生がいません。

これからの日本の女子が知識人として生きていこうとする場合、
理系の知識は必須。けれどそれを手薄にしたまま、英語力だけで
見かけの進学実績を伸ばす方法では、早晩、時代に取り残されます。
今やリケジョが英語でプレゼンテーションする時代。

キリスト教に彩られた行事。四月のイースター礼拝。
六月の花の日礼拝。十一月の収穫感謝礼拝。そして十二月の
公開クリスマス。体育祭、文化祭も、それなりに盛り上がります。

けれど大阪女学院。理系科目に、もっと傾注しないとマズイ。
まさか科学教育は信仰心を妨げると思ってもいないでしょう。
宗教教育の良い面は残しつつ、時代についていくことが、
大阪女学院の今後の課題と言えそうです。

森
green

セウォル号事件

日本の潜水、掃海技術は世界でも断トツ。海上自衛隊は
韓国フェリー沈没事故に接し、韓国政府にいち早く救助を申し出ました。
けれど断られたようです。あの時、韓国政府がすぐに救助を
受け入れてたら、何名かの高校生でも助かったかもしれません。

韓国政府は日本政府からの申し出を断り、キビキビ救助活動に
当たったかというと、四日目になって、やっとダイバーが登場。
一週間ほど経って、状況が絶望的になってから、日本への救助要請。
一体、どうなってるのでしょうか。

家族からは「日本やアメリカからの救助を受け入れてほしい」
という声が早くから上がってました。けれど政府は無視。

日頃から異常な反日外交を展開してたパク大統領。今回の事件に
直面しても、素直に救助を頼めなかったのではないでしょうか。
もしそうだとすれば、愚かな話。いざという時に、日頃の態度が
問われるというのは、こういうことでしょう。

森と湖
tranquility

中国、商船三井の貨物船を差し押さえ

上海の裁判所が商船三井の大型・貨物船を差し押さえました。
昭和十一年、まだ支那事変が始まる前、船を徴用され、その船が
沈没したため損害を受けた、というのが提訴の理由。

八十年ほど前の案件で、よく裁判などするものだ、
というのが、大方の日本人の印象でしょう。

今回の差し押さえを受けて、多くの日本企業は中国への投資をやめ、
あるいは中国からの撤退を本格的に検討し始めるでしょう。
法の支配が及ばない場所には投資しない、というのは鉄則。

1990年代に入って急成長した中国経済。最も進出したの外資は、
実は日本企業。日本企業が中国経済の成長を助けたわけです。

しかし二年前の日本企業・焼き討ち事件。そして今回の差し押さえ。
日本企業は中国から逃げ出すでしょう。その流れは止められません。

改革・開放路線を三十年以上、続けても、何ひとつ国内産業を
育成できなかった中国経済。ここで日本企業が引けば、
急ブレーキは間違いありません。どうして、自らマイナスに
なることをするのでしょうか。

中国は今後、撤退してくてもできない法律を作って、
嫌がらせはしても、撤退できない仕組みにするでしょう。
そもそも中国などに出て行ったことが間違いでした。

昭和四十七年、日中共同宣言で明記された賠償放棄。
今回の提訴、差し押さえは、共同宣言の趣旨に真っ向から違反。

日韓基本条約で賠償は完結したはずなのに、慰安婦問題を
でっち上げて、資金をせびろうとする韓国。中韓両国は、
同じことをしてるわけです。取り合う相手ではありません。

花
white

県立・船橋高校

JR総武線・東船橋駅。津田沼の一つ手前。駅構内に日光は入らず、
プラットフォームは暗い。これでは駅に人が集まりません。

南口を出ると鄙(ひな)びた風情。高い建物もありません。
駅前道路をずっと南に下って行くと、県立・船橋高校。市内には
サッカーで有名な市立・船橋高校がありますから、区別する意味で
「県船」(けんふな)左にグラウンド、右に校舎。

門が見えてきますが、どうやら裏門。正門に回りましょう。
正門を入ると、すぐに南館。一階は大きな食堂。けれど
午後の時刻、明かりは消され、誰もいません。

南館の隣に本館。玄関はここ。一階に職員室、二階に一年生、
三階に二年生、四階に三年生のクラス。

船橋中学からの歴史を持つ伝統校。県千葉に次ぐNo.2。
千葉の県立・御三家は県千葉、県船、そして東葛飾。
御三家・一角を占めます。

けれど校舎がボロイ。暗い。何も聞かされなかったら、
どこの田舎高校かと思うことでしょう。進学実績も、
東大に十名行くか、行かないか。伝統の割には今ひとつ。
渋幕や市川といった新設・私立高校に優秀な生徒を
取られてる構図が見えてきます。

たかが設備と侮ってはいけません。設備が古いと、
清潔に保とうという努力もなくなり、心まで荒んでいくもの。
校舎の刷新は急務の課題。このままでは、県船の存在感は
ますます低下。御三家・一角なのに、これはマズイ。

生徒・教員の努力というより、県・教育行政の問題でしょう。
早めに手を打たねばなりません。東船橋の鄙びた環境も、
決して県船にプラスには働かないはずです。

花
hope

江戸川取手学園高校

渋谷で田園都市線は半蔵門線に変わります。表参道駅。
アメリカ大統領・訪問を控えて、警官があっちにも、こっちにも。
ここで千代田線に乗り換え、そのまま安孫子まで乗り続けましょう。
結構、遠い。途中から千代田線はJR常磐線に。

安孫子で乗り換えて二つ目の駅が取手(とりで)です。
利根川を横切り、ここはもう茨城県。西口を出ると、バス乗り場。
ちょうど江戸川学園行の関東鉄道バス。乗ると、
すぐに走り始めました。

十分もしないうちに終点の江戸川学園。バス停からは少し歩きます。
利根川堤は目の前。やがて「江戸取」(えどとり)の正門。
下校時間で、緑のジャケットを着た江戸取生が向こうから
ゾロゾロやって来ます。その誰もが。

コンニチハー。

男子・女子問わず挨拶してきます。見てると、校門を出る時、
全員、学園に一礼して帰って行きます。これはスゴイ。
相当に道徳教育が行き届いてます。

やがて武道場が右に。ガラス張りだから中が見渡せます。
チア・リーダー部・女子が準備体操。どの女子も体が柔らかい。
ずっといれば、本格的な練習も見ることができそうですが、
時間がありません。

コミュニティ・プラザ。ここは食堂。もう下校時間なのに、
食事できるようです。部活前、下校前に小腹が空いたとパクパク、
ムシャムシャ。しつけの割には、こういうことは自由。

やがて校舎に入ります。運動部のトロフィー、賞状がズラリ。
ボート部が強かったらしく、インターハイ優勝のトロフィーも。
利根川水系で練習したのでしょう。けれど今、江戸取にボート部は
ありません。抜群のロケーション、実績もあるのに、
どうして廃部になったのでしょうか。

江戸取の設立は昭和五十三年ですから、できて三十五年ほど。
新しい学園。けれど中学校、高校を備え、もうすぐ小学校も併設。
千葉、茨城の生徒がそれぞれ四割。後は埼玉、東京の生徒たち。

高校生からは医科コースを設置。定員は三十名。国公立大・医を
積極的に狙う生徒を養成。医科コースでは月一度「医科講和」という
時間を設けて、医療関係者の講演を聞くことができます。講演内容は。

心筋梗塞とチーム医療
血圧と疫学
再生医療と万能細胞・・・

普通科でも高二から東大コースが設置され、東大コースの文系、理系、
普通コースの文系、理系と分かれます。予備校カリキュラムを踏襲。

授業時間も、五十分授業に百分授業を組み合わせ、土曜日には
九十分授業が二コマ。英語、数学といった主要科目では、
学年が上がるにつれて百分授業が多くなります。

しかも医科コースでは放課後、駅・東口にある紫峰館という
江戸取・直属の予備校への出席が義務付けられます。

これだけ予備校チックに六年間、勉強させれば、進学率も
上がるというもの。今春の実績で東大10名。筑波大28名(医7名)。
筑波大・医については、水戸第一の6名、土浦第一、清真、
桜蔭の4名を抑えてトップに立ちました。

茨城には、これといった私立高校がありません。水戸第一、土浦第一
など県立高校には中学入試がありません。江戸取は中学入試を望む
受験生、保護者のニーズに応えました。

新しい学園であるが故に、進学偏重は否めません。
進学実績がないと、新しい私立の学園はすぐに廃校危機に直面。

けれど江戸取。道徳教育の徹底、部活動の奨励など、何とか
バランスを取る努力もしてます。これから全国的に飛翔する学園に
なるかどうか、私たちも注目しておきましょう。

菓子
sweets

吉祥女子高校(3)

お茶大の文教育学部。芸術・表現行動学科には舞踊教育学と
音楽表現という二つのコース。この音楽表現コースに吉女生が
合格しました。第一志望です。

一年間、国立クラスで受講。直前講習までガンバりました。火曜日、
塾で英語を習った後、ピアノ塾にも通ってました。忙しい毎日。
けれど今回、結果を出しました。

入試の英語は難しくなかったですよ。

そう言う彼女。実は音楽表現コース。秋に推薦入試がありました。
枠は五名。当然、彼女も受験。私は「ダメモトで受けに行きましょう」
結局、ダメだった時にも。

これでいいんです。

今回、一般入試で合格し、あの頃の不安な日々も、もう想い出。
受けた私大も全て音大ということだから、よっぽどピアノが
好きなのでしょう。これからは思う存分、練習できます。

数年後、彼女がお茶大でピアノ・リサイタルを開いてるかも
しれませんね。その時には、私も聞きに行きましょう。

水と緑
l'eau

時習館高校

JR豊橋駅から出てる単線の豊橋鉄道・渥美線。沿線は住宅街。
柳生橋、小池、そして三つ目の駅が愛知大学前。電車を降りると、
すぐに愛知大学。大きな校舎。けれど今日は、線路の反対側、
時習館高校に行ってみましょう。呼び名は「じしゅうかん」。

学校は駅からすぐ。隣に豊橋工業高校。正門から本館へと続く道。
両側は芝生。右には棕櫚(しゅろ)の木も。東海地方の温暖な気候。

校舎は二階建て。すぐ手前が本館。向こうに三年生の一棟、
二年生の二棟、一年生の三棟。三棟の向こうには時習館・名物の
はんてん木・並木。ここから東門へと続く道はロマンチックな
並木道として、豊橋では有名。

並木の向こうはグラウンド。これが広い。第一グラウンドと
第二グラウンド。野球部、サッカー部、ラグビー部が同時に練習
できそうです。テニス・コート、プール、弓道場まで。プールの
向こうは背の高いマンション。時習館を見下ろしてます。

愛知四中、豊橋中学を前身とする名門。今も東門のそばに
「豊中(とよちゅう)の門」レンガ造りの四本柱。旧制・豊橋中学の
正門がここに移され、保存。歴史を伝えます。

名大だけでなく東大、京大・合格者ランキングに顔を出す時習館。
けれど勉強だけでなく「しつけ」「礼儀」も重んじる校風。

最大のイベントは九月の時習祭。文化祭、体育祭が同時に行われます。
体育祭が終わった後、夕方から始まるファイアー・ストームが伝統。
参加できるのは男子だけ。

何度も廃止の声が上がったファイアー・ストーム。
けれど、その度に志ある男子が立ち上がり、同級生を説得し、
伝統を守ってきました。最近は、このファイアー・ストームの価値が
見直され、結構、盛り上がってるとか。生徒有志の企画ですが、
学校も応援してるようです。

SSHにも指定され、意気上がる時習館。トヨタ自動車の好調にも
支えられ、名古屋は言うに及ばず、岡崎、刈谷、豊橋の土地力が上昇。
つられる形で、こうした地域の県立高校が勉強、運動で活躍。

今、東京と並んで力ある地域となった愛知。
県立高校の活躍は今後も続くでしょう。

芽生え
Anfang

苦しんでいる子供たちのために

貧しい子供たちのために、歌われた曲。韓国は国民所得が二万ドルを
超えたとはいえ、社会格差が激しく、極貧層が存在。字が読めない
子供もいます。そんな子供たちのための曲。韓国では、
いろんな場所で耳にします。

君の瞳いっぱいの涙は 何を意味してるの?
どんな悲しみなのか 私には分からなくて
切なくて 泣いてしまう

美しい夢の中で まだ人形のような明るい笑顔
純粋な心で 白い世界を感じるだけでいい 君なのに

今 痩せていくだけの君を見れば 悲しい
そう 苦しいよね けれど 力になってあげるよ

大切な君の 小さな夢を 消そうとしないで
私たちがそばにいる 守ってあげる 約束するよ

涙の世界を まだ君が知らなければいいのに
清純な姿を 大切にしてくれることだけ 私は望んでるのに

今 痩せていくだけの君を見れば 悲しい
そう 苦しいよね けれど 力になってあげるよ

大切な君の 小さな夢を 消そうとしないで
私たちがそばにいる 守ってあげる 約束するよ
守ってあげる 君のそばで 一緒に・・・

市川高校

JR総武線・本八幡駅(もと やわた えき)江戸川区の向こう。
ここは、もう千葉。北口・前にはバス・ロータリー。
市川学園行の京成バスが出てます。

それに乗ること十分。住宅街と畑の中に突如として現れる大きな校舎。
バスを降りて疎水を渡り、川沿いに歩いてると、向こうから
学生服の男子。市川学園の正門はどこか聞いてみました。
すると。

ここを真っ直ぐ行って左に曲がると、すぐです。

気持ちのいい受け答え。上までキチンと詰めた学生服がカッコイイ。
言われた通りに歩いて行くと、はたして正門。
四階建ての校舎が訪問者を圧倒。

玄関を入るとコミュニティ・プラザ。上まで吹き抜け空間。
ここから左へ行くと北館で高校教室。右へ行くと南館で中学教室。
教室で上履きに履き替えます。教室には下駄箱ロッカーと
個人ロッカー。全てダイヤル式。

コミュニティ・プラザには設立者・古賀米吉(こが よねきち)の胸像。
後ろの柱には芭蕉の句。

よく見れば なずな花咲く 垣根かな

地味な「なずな」でも、よく見れば美しいという句。どんな生徒にも、
よく見れば長所があるんだ、それを伸ばそうという精神。これは
市川学園の精神ともなっていて「なずな精神」とか
「よく見れば」精神とか呼ばれてます。

昭和十二年に古賀が設立した市川中学が前身。戦後、
市川高校となりました。男女共学です。

玄関・横には土曜講座のポスター。見てると、宇宙物理学から、
スポーツ、医学まで多彩。学外から講師を呼んでの講演。
ただ東大・関係者が多いのは学園の方針なのでしょう。

そんな市川の校訓は「第三教育」。

親から受ける第一教育
教員から受ける第二教育
自ら進んで学ぶ第三教育

この「第三教育」こそが大切と市川では説かれてます。
確かに自習こそ、学習者を学習者たらしめるもの。
その大切を強調してるあたり、学校運営の確かさを
感じさせます。

校舎を歩いても、グラウンドが見当たりません。聞いてみると、
近くに第一グラウンド、第二グラウンドがあるとか。それぞれの
グラウンドへはスクール・バス。体育の授業では、生徒は体操服に
着替えてコミュニティ・プラザに。玄関前から青いスクール・バスに
乗ってグラウンドへ。施設は完備してます。

進学実績を見てみましょう。千葉の私立No.1は断トツで渋幕(しぶまく)。
そして二番手が、ここ市川。東大に毎年、十名前後。早慶には、
それぞれ百名以上。良い数字でしょう。

市川、船橋、浦安、松戸、そして東京・江戸川区。
こうした地域に住む受験生が渋幕(しぶまく)までは遠いな、
と思った場合、市川が選択肢に入ってきそうです。

水色
expectation

甲南女子高校

JR神戸線。三宮と大阪の中間にある甲南山手駅
(こうなん やまて えき)。三宮と大阪の両方から、
十五分ほどで到着。

北口を出るとすぐに阪急神戸線。ガードをくぐると、神戸らしく
六甲山系への坂。その坂を上がるとこと十分。甲南女子学園の正門が
見えてきます。守衛のオジサンが大きな声で挨拶してきます。
こちらも返事しとかないといけません。

新しい校舎。私立の女子校らしく、白くて清潔。玄関を入るとすぐに
アトリウム。上まで吹き抜けの広い空間。ガラス張りの天井からは、
日光がいっぱいに降り注ぎます。そして白いテーブル。緑の椅子。

今は授業中で静かですが、お昼休みともなれば、ここが生徒で
溢れるとか。中・高の学年を超えて友人ができる場所。
制服はセーラー服。襟には三本の白い線。

教室の外にはベランダ。頭の大きさまでの手すりがありますから安心。
大阪湾が見渡せます。この眺めを見れば「入学してヨカッタ」と
思うことでしょう。

大正九年に甲南高等女学校として設立。戦後に甲南女子学園に。
完全・中高一貫校。東京オリンピックが行われた
昭和三十九年には、甲南女子大学も開学。
今に至ります。

校歌は二つ。一つは明治天皇、昭憲皇太后が作られた四首に
曲が付けられました。そしてもう一つ、毎年、高三生が作る校歌。
平成二十四年度の校歌は。

変わりゆく この時の中 新たな風を 吹き込もう
勇気を持って 踏み出す一歩 理想へ導く 道しるべ
さあ 始めよう 不安や迷いも きっとあるけれど

変わらない この丘の上 大切な夢 見つけよう
希望に満ちた みんなの笑顔 闇を照らす 真実(まこと)の光
さあ はばたこう 明るい未来が きっと待っている

女子らしい優しい詩。けれど、
未来を見つめる意志も窺えます。

部活動としてはアーチェリー部が有名。インターハイ優勝経験も。
校内にアーチェリー専用の練習場があり、好成績につながってます。

進学実績としては近くにある関学に毎年、四十~五十名。
関学レベルなら、塾は必要なさそうです。

神戸・女子は偏差値で勝負しません。偏差値など、
女子の人生トータルでみた場合、何の役にも立たないことを
知ってるからです。偏差値より女子力のアップ!

それは人と協力する力だったり、哀しんでる人に寄り添う力だったり
します。そういう力はもちろん、ガリ勉で培われたりはしません。

かくして甲南女子。神戸で穏やかに過ごしたい女子にはお薦めの学園。
ただ、どうしても京大、阪大に進学したいという女子には、物足りない
でしょう。そういう女子は県立の神戸や長田を目指しましょう。

幻
Wahrheit

東筑高校

福岡・北部にある北九州。東京から新幹線で行けば、小倉駅。
街の東に小倉、西に八幡。その八幡に東筑高校があります。
「とうちく」と読み、前身は県内最古の東筑中学。

小倉からJR鹿児島本線に乗り換え二十分。折尾駅(おりお えき)に到着。
筑豊本線との立体交差。一階は筑豊本線、二階はJR線。
駅弁が有名らしく、プラットフォームを歩いてると、
東筑軒「かしわめし」というそぼろ弁当。

駅舎はレンガ造りでオンボロ。何でも、大正時代に作られたまま。
改札を出て券売機の前に大きな木製の柱。柱を囲むように椅子。
これも設立当初から。まさにレトロな駅。

折尾駅・周辺には高校が多く、ちょうど午後の時刻、
駅は生徒でいっぱい。駅を出ると疎水。聞けば「堀川」と
呼ばれてるとか。堀川に沿って小さな飲食店とスナック。
その妖艶で侘しい風景は、まさに九州。

堀川に沿って、しばらく歩きましょう。生徒たちが通り過ぎます。
多分、東筑生。やがて見えてきた交差点。左に曲がると東筑高校。
小倉高校と並ぶ、北九州の双璧。両校の間では五月に
野球の定期戦も行われてます。

一般道から正門まで緩やかな坂。階段を上がって行かねばなりません。
階段・途中に正門。正門をくぐって、また階段。やがて本館・玄関。
この階段こそ東筑のシンボル。東筑・卒業生が高校時代を
振り返る時、最初に思い出すのが、この階段。

校訓は「文武両道・質実剛健」九州の県立高校ならば、
この校訓も当然。今春の進学実績では九大・合格者79名で四位。
ライバル小倉は66名で六位。まさに切磋琢磨。

文武両道であるからには、運動もしなくてはなりません。
九月の体育祭では逆立ち競争、俵持ち競技。

運動部の活躍も見逃せません。野球部とラグビー部が強く、
甲子園や花園・全国大会に何度も出場。特に野球部、
平成八年の福岡大会・決勝は今も語り継がれてます。

相手は私立・東福岡高校。こちらも進学校。県立・私立の
進学校どうしの決勝とあって、スタンドには多くのファンが
つめかけました。息詰まる投手戦。東福岡が三回、レフト前
ヒットで一点、先制した後は、両投手の投げ合いに。

背番号8を付けた東福岡の田口投手。東筑打線を完全に封じ込み、
一点を守ります。そして迎えた九回・裏の東筑。連打で
ワン・アウト一・二塁。そして四球で満塁。

それまで完璧だった田口投手に、焦りが見え始めました。
甲子園・出場が目の前にちらついたのでしょう。

犠打で同点、ヒットで逆転の場面。守りの東福岡としては、
併殺打にしてゲーム・セットにしたいところ。

東筑は二年生の六番打者。一球目。
スクイズの構えでストライク見逃し。

二球目。当てただけの打球はボテボテのショート・ゴロ。
走者は一斉に走り出します。東福岡としては狙い通り。
六・四・三と渡ってゲーム・セット。のはずでした。

ところがショートからセカンドへの送球がそれ、セカンドが後逸。
スタートを切った三塁走者、二塁走者が生還して2-1。
東筑のサヨナラ勝ち。

飛び上がる東筑ナイン。うずくまる田口投手。
東福岡のベンチ要員が、すかさずグラウンドに出て、
ショートとセカンドの肩を支えました。

筑紫の国の 国の崎 遠く霞(かす)みて 海に入(い)る

折口信夫・作詞の東筑・校歌がグラウンドに流れます。
この後、甲子園でも東筑は一回戦・勝利。校歌を流しました。
ちなみに、この年の甲子園。東筑の女子マネージャーが
ベンチ入りしたことでも、話題になりました。

蝶
butterfly

生産人口、八千万人を割る

生産人口が三十二年ぶりに八千万人を割ったと発表されました。
日本はますます人手不足になりつつあります。

人手不足となれば賃金は上昇し、安倍内閣が目指すインフレ目標も
達成しやすくなります。人手不足は日本社会にとって、
実は歓迎すべきこと。高度経済成長の時も、
慢性的に人手不足でした。

ここで移民受け入れなど、決めてはなりません。
せっかく上がりかけた賃金に、再び下降圧力がかかるからです。
もし移民を受け入れれば、自給・三百円くらいで、
喜んで働く人がドッと押し寄せるでしょう。

政府の産業競争力・会議。そのメンバー竹中平蔵(たけなか へいぞう)。
竹中は人材派遣会社パソナの取締役。パソナは移民受け入れで
最も儲かる企業。その竹中が会議で移民受け入れを
提言するとは、どういうことでしょう。

しかも、その提言が政府方針に影響を与えてるのですから、
看過できません。産業競争力・会議と言っても、ただの諮問会議。
メンバーは国会議員ですら、ありません。

戦後、早い時期から移民を受け入れた欧州。その欧州で今、
最大の社会問題は移民問題。ドイツならトルコ人、フランスなら
アラブ人、黒人の問題が一番の頭痛の種。それを見れば、
日本で同じ轍を踏んではならないと、すぐに気づくはず。

移民はモノではありません。感情を持ち、権利も要求します。
日本人は既に在日問題すら、持て余してる状況。
移民など受け入れる下地はありません。

春白
white

日経平均の上限(2)

昨秋、日経平均には1万5000円で蓋がされた、と書いたこのブログ。
その後の展開は、まさにその通りに。現在、1万4000円台。
昨日、大きく上げましたが、特に理由はなく、
今後、どうなるかも分かりません。

日経平均の蓋の理由は、もちろん消費税・増税。増税して景気が
上向くはずありません。トヨタ自動車は15%程度の減益を
見込んでますが、このシビアな予想こそ、妥当でしょう。

1万3000円を割ることも視野に入ります。もちろん、その時こそ
買いとも言えるでしょう。とはいえ正確なタイミングの見極めは
プロでも至難の技。いずれにせよ、今は株を買う時ではありません。

海外の投資家は昨年の今頃、1万3000円を超えたあたりで売り抜け、
その後、静観してるか、他のマーケットに向かったようです。
NISA(ニーサ)導入で株を買おうなどと思ってる人は
完全に素人です。

イチゴ
berries

相模原中等教育学校

小田急線・相模大野駅。町田からは一駅。新宿に出やすく、
土地価格も安いので人気の街。北口を抜けると、すぐに伊勢丹。
伊勢丹を出るとパッと空間が広がります。グリーン・ホール。
中央公園。外務省・研修所。そして相模原中等教育学校。

完全・中高一貫の県立高校。開学は平成二十一年ですから、
来春、一期生が卒業します。今は高校からの入学はできません。

運動場では体育の授業。教員と一緒に男子の一群が走ってます。
笑いながらチンタラ走ってますが、体育の授業なんて、
どこもこんなもの。

正門から入ると左右に校舎。左に西棟。右に東棟。東棟で受付を
すませ、学校を案内してもらうことに。ちょうど英語の授業。
四年生のクラス。ネイティブ教員がデカイ声で「分かりますか?」
しきりに聞いてます。もちろん反応はありません。

ネイティブ・クラスでは、生徒は本来、英語で自らの意見を
述べることを求められます。プレゼンテーション力を磨くわけです。
けれど、生徒の引っ込み思案なメンタリティの変更なしに、形だけ
ネイティブ・クラスにしても、反応できるはずありません。

結果、リスニング力は付くかもしれませんが、一方通行は日本人・
教員の場合と同じ。もちろん生徒に非はなく、ネイティブと
生徒を結びつけるはずの日本人・教員のマネージメント力が
試されてるわけです。

けれど県立高校の教員。そんなマネージメントをどこかで習った
はずもなく、結局、ネイティブ・クラスと言っても、このように
静かで、居心地の悪いクラスになってしまいます。

ネイティブ・クラスを売り物にしてても、たいていの進学校で
行われてる授業はこんなもの。そんなクラスで、話せるようには
なりません。買いかぶらない方がいいでしょう。

さて相模原中等。神奈川に二校しかない中等教育学校として、
注目を集めてます。一期生・受け入れの平成二十一年、入試倍率は
十六倍を超え、メディアでも話題になりました。その後も、
十倍を超える倍率が続いてます。

当然、今までと違う進学実績となるだろうと予想できます。
塾でも相模原中等生を見かけるようになりました。
相模大野高校の頃、塾で彼らと出会うことは、
ほとんどなかったのに。生徒の意識変化は、
彼らの来塾姿勢から窺うことができます。

私のクラスにも相模原中等・女子。二年生・三学期から
(五年生・三学期)から通い始めました。一年間のカリキュラムが
始まります。クラスのみんなと一緒に、走り抜きましょう。

スイーツ
spring sweets

桜修館中等教育学校

東横線・都立大学駅。ここに昔、都立大がありました。
今は首都大学東京という名前。場所も八王子・南大沢に移転。

けれど隣にあった附属高校は、ここ目黒に残り、2006年(平成18年)
中高一貫の桜修館中等教育学校として生まれ変わりました。
「おうしゅうかん」と読みます。

都立大は戦前、七年制・府立高校。戦後、大学と附属高校に分かれ、
附属高校はしばらくの間、そこそこの進学実績を挙げてました。

ちょうど今、学芸大附属の生徒たちが、学芸大でなく有名大に
進学するように、都立大付属の生徒たちも、都立大でなく
東大、早大に進学してました。この頃のOBとしては、
早大・政経に進んでテレビ業界に入った久米宏
(くめ ひろし)がいます。

そんな都立大付属も学校群制度の導入により凋落。長い間、
泣かず飛ばずの時期が続きました。八雲のロケーションは
決して悪くなかったのですが、都行政が平等原理を掲げては、
いかんせん高校として、なす術ありませんでした。

そんな中、1999年(平成11年)に石原・都政がスタート。
害のみ大きかった学校群制度が廃止され、都立高校に再び、
競争原理が導入されました。日比谷、戸山、西といった、
かつての都立・進学校が息を吹き返します。

石原・都政については、新銀行東京の杜撰(ずさん)な経営など、
言いたいことはたくさん。けれど都立高校に再び競争を
もたらした点は、文句なしに賞賛すべきでしょう。

さて桜修館。都立大学駅・北口を出て、目黒通りを横切り、
十分ほど歩いた場所にあります。昔の都立大・八雲キャンパスは今、
公園とマンション。昼間は親子連れで賑わってます。

完全・中高一貫校。高校入試がないため、カリキュラムに
余裕ができ、大学入試のみに絞った効果的な勉強。
しかも六年間かけて、です。

目黒のこの辺りは富裕層も多く、それなりに学力ある子弟もいます。
これまでは圧倒的に国立大附属か私立に取られてましたが、
桜修館がメディアで取り上げられるにつれて、ポツリポツリと
優秀な生徒が入学し始めました。東大にも三~五名の
合格者を出せるまでに。

桜修館カリキュラムで特筆すべきは外国語教育。

二・三年生・・・夏の英語合宿
四年生・・・二週間のホーム・ステイ
四・五年生・・・第二外国語
五年生・・・海外修学旅行

グローバルな競争力を持つために、語学力を培うチャンスは
十分に与えられてます。後は桜修館生が、そのチャンスを
どう生かすかでしょう。

もう一つ、五年生で書き上げる五千字の研究論文。
研究テーマを見ると。

国家レベルのサイバー戦争 駅ナカと街との関係について
現代女子のダイエット事情 乳幼児における聴覚からの影響について
日本と韓国にみる歴史教育・・・

結構、レベルの高いテーマが並んでます。高校時代に
思索力を高めておくことは何より、大切なこと。

ダメな高校生はこの時期、愚にもつかないゲームにうつつを抜かし、
視力を悪くしながら、大切な時間を過ごすもの。保護者も
見て見ぬフリをしながら、いざ、受験が迫ってくると、
急に騒ぎ始めます。でも、その時には、もう遅い。

その惨状を見るにつけ、桜修館の研究論文は、注目に値するでしょう。
自分の頭で考えること。結論は出なくていいから、思索過程を
まとめてみること。桜修館生は、五千字を書き上げた後、
こうした作業の大切さを実感。

今はまだ、それほどでもない桜修館の進学実績。
けれど、今のカリキュラムを継続すれば、数年経たないうちに、
見違える高校になるはず。中学入試の倍率は毎年、十倍を超え、
優秀な生徒を集める傾向が定着しつつあります。
桜修館の今後に期待大です。

チューリップ
tulips

神奈川大学

東急東横線・白楽駅(はくらく えき)から南へ伸びる
ふれあいのまち・商店街。オリジナルな店が多い通り。
この商店街は六角橋・交差点で終わります。

交差点から住宅街を上った所に神奈川大学。丘の上にあります。
「神大」(じんだい)と呼ばれる私大。近くには捜真女学校も。
白楽からだけでなく、反町から行くこともできます。

設立は昭和三年。米田吉盛(よねだ よしもり)が横浜に
法律・経済を教える専門学校を開きました。横浜専門学校。
当時、横浜には「Y専」という市立の商業学校がありましたが、
私学では横専が最初。

ちなみに戦前、横専とY専は野球の定期戦を行ってました。
戦績は残ってませんが、ライバル校どうしの対戦。
さぞ盛り上がったことでしょう。

戦後、横専は神大に、Y専は横市になりました。新制大学に
なるに当たり、両校とも「横浜大学」を名乗りたかったのですが、
横国まで横浜大学を主張したため、三校いずれにも使わせない
という痛み分けで終わりました。

けれど神大。名前だけ聞けば、まるで神奈川の国立大のよう。
首都圏以外で「神奈川大学」と聞けば、そう取られるのでは
ないでしょうか。

ということは神大。神奈川を背負って立ち、ゆくゆくは全国に
飛翔できる命名でもあったわけです。学部も伝統的な法、経済、
経営に加えて、早くから外国語学部を設置。

理系も理学部、工学部を揃え、確かに神奈川の
私立総合大学としてはトップを行きます。

けれど神大。箱根駅伝で走ってる以外、ほとんど存在感がありません。
横浜に住んでいても、です。それなりの歴史・伝統があり、
六角橋のロケーションも悪くありません。少なくとも、
東京のMARCHに匹敵する地位は得られたはず。

ところが神大。教員か公務員を輩出するのが、せいぜい。
その名にかかわらず、神奈川を背負って立つことはできてません。
今も「神大」と言えば、全国的には「神戸大学」を指すでしょう。

偏差値でも日東駒専レベル。数だけは多い平均値。日大ならば、
社長を輩出する気風もあるのですが、神大には、それもありません。
OBとしても軍学者の兵頭二十八(ひょうどう にそはち)くらい。

四月の今、神大に行くと、学生がゾロゾロ。広いはずの敷地も
狭く感じられます。これでは「ここしか受からなかった」
学生以外、支持を集められないでしょう。

そう。神大はコンテンツを高め、それを発信するべきです。
横浜にいて「給費生試験」のポスター以外、神大の情報が
来ないとは、どういうことでしょう。

マグロ養殖や植物工場、そしてオリンピック選手輩出によって、
ステータスを急上昇させてる近大が、参考になるでしょう。
神大も社会に有用で、話題になる研究を早く確立すべきです。

近代マグロにしたところで、研究が始まって四十年。
当時、紅顔の学生たちは今、初老に。世間に認められる
研究というのは、それほど時間がかかるもの。

神大の財務には、まだ余裕があります。受験生も二万人近く、
集めてます。とはいえ偏差値50~55程度の学生を拾ってるだけ。
このレベルの学生なら、数には困りません。

けれど大学が選ばれる時代。そんな集め方をしては早晩、
学生に見放されます。同レベルの東海大が電気自動車や
ロボットの研究で、一定の評価を集めてることからしても、
神大も危機感溢れる改革を、スタートさせるべきでしょう。

今のうちに未来を見据えた先行投資ができるなら、神大の
地力をもってすれば、もっと大きな飛翔が可能。少なくとも
平塚の山中にある東海大は軽く抜き去ることができるはず。

設備はキレイで、横浜駅からも遠くない。神大のポテンシャルは
大きいだけに、今のように小さくまとまってるのは惜しいと
言わざるを得ません。

夜桜
la nuit de printemps

神奈川総合高校

東急東横線・東白楽駅(ひがし はくらく えき)から見える
十階建ての校舎。神奈川総合高校。異色の県立高校として平成六年に
スタート。略して「神奈総」(かなそう)。

同じ敷地には神奈川工業高校があって、渡り廊下でつながってます。
入ってすぐに中庭。ブロンズのオブジェ。タイトルは「情熱発電所」。
右手を高く上げたこのオブジェこそ、神奈総を象徴してるでしょう。

オブジェの右には螺旋階段。上がると食堂。ここはちょうど
神奈総と工業高校との渡り廊下。食堂は共用。

神奈総は単位制で、カリキュラムは自分で決定。単位が足りる限り、
自由に時間割を組めるわけです。高校というより、むしろ大学。
授業も九十分。

東京にも新宿山吹高校という自由な都立高校があって、似てます。
とはいえ、自然科学、生活科学、芸術への傾倒では、神奈総の方が
遥かに上。自由な学園という点では、日本でここがトップ。

締め付けない故に、校舎の雰囲気は弛緩。例えば、玄関を入って
すぐにある忘れ物コーナー。忘れ物が置かれてますが、乱雑さは、
まるでゴミ箱。教員・生徒の誰も何も思わないのでしょうか。

とはいえ、そのような乱雑さから、文化のダイナミズムが
生まれることも事実。管理の行き届いた清潔空間からは、
命令通りに動くロボットは出て来ても、自分の頭で
考える人間は出て来ません。

このような雰囲気から、神奈総では天文学に没頭する男子、
ダンスに燃える女子が、それぞれの分野で活躍。一たび、
この世の多様性に目を向けたなら、バカらしい
受験勉強なんて、やってられないわけです。

受験勉強の代わりに、ドイツ語に励んだり、有機肥料の開発に
のめり込んだり、未来のおもちゃを企画する神奈総生。

運動でも、水泳でインターハイ優勝する女子選手を輩出。
あまたの県立高校・運動部が過酷な練習をしながら、やっとの思いで
上位を狙うのに対し、神奈総では、あくまでマイペース練習。
全国優勝しても周囲は「ふうん、そう」。

「東大に行きたい」(けれど、その後の目標なし)などと言わず、
「100%的中する気象予報士になりたい」「最高の結婚式を演出する
ウェディング・プランナーになりたい」「ギター・クラフトマンに
なりたい」そう言う神奈総生。

こんな高校があることこそ、横浜、そして神奈川に、
奥行と広さを与えます。もっと注目すべき県立高校。
五月にはスポーツ大会が開催されるようです。
ぜひ見に行くことにしましょう。

空
future

名古屋高校

名城線・砂田橋駅。地上に上がれば、もう名古屋学院の敷地。
数ある学校の中でも、駅出口と学校が直結してるのは、
ここ名古屋学院だけでしょう。すぐに正門。

設立は古く、明治二十年。フレデリック・C・クラインという
プロテスタント・メソジスト派の宣教師が立てました。
最初は名古屋英和学校としてスタート。その後、大正期に
名古屋中学となり、戦後、新制の名古屋学院に。

設立からは百二十年以上の男子校。名古屋では「名高」
(なこう)という愛称で親しまれてます。

正門から、ひときわ目立つのが名高・名物のチャペル。
高い塔が聳えてます。その向こうにメディア・センター。
そしてレンガ色の校舎。四階建てです。

校舎の玄関に入ると、エントランス・ホール。ここが広い。
落ち着いた色調。階段を下りて行くと、茶色のオブジェ。
三枚の大きな絵。校舎というより、ホテルのラウンジ。

上に上がると教室。各教室には個人ロッカー。暗証キーでしか、
開けることはできません。廊下はフローリング。上履きは必要なし。
ここも佇まいは、まるで大企業のオフィス。教室へのドアは、
全て滑らかな引き戸。

教室にはAからFまでのアルファベット。6Fならば六年生Fクラス。
四階まで上がって見下ろすと、北にテニス・コートが六面。
南にグラウンドが二面。一面は人工芝。

校舎・北にはアリーナ(体育館)があります。バスケットボール、
バレーボールの専用コート。そしてインドア・プール。
温水プールで、一年中、使用可能。

ここまで施設が充実してるなら、結果が出ない方がおかしいというもの。
硬式テニス部は過去四回のインターハイ優勝。陸上競技部も、
インターハイで優勝する選手を輩出。

バスケットボール部、ラグビー部、サッカー部、ゴルフ部も
愛知大会の上位校。まさに資金を使って結果を出す学校運営。
しかもスポーツ特待生の結果ではありませんから、
この結果は素直に賞賛すべきでしょう。

プロテスタントの学校らしく、キリスト教・大学と協定。
同志社に15名、関学に25名、立命館に16名の指定校推薦の枠。

もう一つ、名高の特色として「サマー・エクステンション」。
アメリカやイギリスでの異文化体験プログラム。毎年、六十~八十名が
参加する英語研修。英語学校として始まった名高なれば、
これぐらいのプログラムは当然でしょう。

名高の進学実績は、名古屋の私立高校として東海、滝、南山の次あたり。
スポーツに力を入れての結果ですから、これも悪くありません。

施設が充実、勉強も運動もさせてくれる、そして夏休みには
サマー・エクステンション。資金に余裕があるなら、
進学を考えてみる価値はありそうです。

白
white

刈谷高校

名古屋と豊橋の間にある刈谷(かりや)は岡崎の隣。
名古屋からはJR東海道本線で三十分ほど。刈谷駅・南口から
右斜めに伸びる道。その道をずっと歩いて行きましょう。
やがて右に市役所。大きな建物です。

どこの地方都市でも、最も立派な建物は市役所。
そこに勤める職員以外、釈然としない気持ちでしょう。

それはともかく。ドンドン歩いて二十分。やがて左に曲がれば、
県立・刈谷高校。地元では「刈高」(かりこう)。

いかめしい正門をくぐって玄関に入ると、左に賞状と盾がズラリ。
見てると、ほぼ全てサッカー部。刈高サッカー部は全国でも名門。
高校サッカー選手権には十九回、インターハイにも七回、出場。

ユニフォームは白地に斜めの赤い線。そう聞いて、なるほど、
と思う人も多いのではないでしょうか。そう。FC刈谷のユニフォームが
まさにそれ。刈谷にサッカー・チームができる時、誰もが
思い浮かべたのが、この赤ダスキ。

さて刈高。設立は大正八年。愛知八中としてスタート。その後、
刈谷中学となり、戦後、男女共学の刈谷高校が誕生。
現在に至ります。

玄関を出て、グラウンドへ行こうとすると、プレハブ校舎。
実は刈高。校舎の建て替え中。当分の間、刈高生には
プレハブ校舎での勉強を忍んでもらわなくてはなりません。
これは仕方ないですね。

やがてグラウンド。サッカー部の練習はもう終わってました。
何人かの部員が軽くゴール練習。そんなボールが私の所へ。
ボンと蹴り返すと。

ありがとうございまーす。

また飛んで来そうで、何となく、その場にいられなくなりました。
今春の進学実績では名大に78名。一宮に次ぐ二位。
ちなみに医学部は2名。

実は刈高の部活動。サッカー部だけではありません。野球部も常に、
愛知大会の上位に食い込む強豪。平成二十年、愛知大会・準決勝進出。
そして平成二十一年、なんと愛知大会・決勝に駒を進めました。
あと一つ勝てば、夢の甲子園・出場。学校が沸き返ります。

さすがに、この時ばかりは受験生も勉強の手を休めて応援に。
OBも続々と詰めかけ、母校の甲子園・出場に期待を膨らませます。

そして迎えた愛知大会・決勝。対戦相手は強打で鳴らした中京大中京。
一回・裏、刈高バッテリーは早速、連打を浴び、二点、先取されます。

この回は何とか、二点で抑えましたが、その後、毎回のように
走者を許し、四回にも一点。七回、八回にも一点と
小刻みに差を広げられます。

頼みの打線はというと、相手投手の球種を絞り切れず、完全に沈黙。
ヒット三本に抑えられ、0-5の完敗。けれど、試合終了後、
刈高・応援席から、ナインの健闘を称える大きな拍手。
刈高の大きな一ページとなりました。

ちなみに、中京大中京は甲子園でも勝ち進み、決勝では新潟代表の
日本文理を10-9で下し、全国優勝を果たしました。

カップ
cup

南山高校

地下鉄・上前津駅で名城線から鶴舞線(つるまい せん)に
乗り換えましょう。いりなか駅までは十分ほど。鶴舞、荒畑、
御器所、川名。やがて着いた、いりなか駅。地上へ出てみると、
なんと塾ばかり。チェーン塾、地元塾、河合塾まで。

駅から見上げる坂道。上がると南山教会。カトリック無言修道会が
主宰します。教会を挟むようにして南山高校の男子部・女子部。
今日は男子部に行ってみましょう。

教会からは信号一つ隔てて、左に校舎、右にグラウンド。
グラウンドではアメフト部の練習。元気いい声が
周囲のマンションに響きます。

見てるとフォーメーションの組み方は、かなり本格的。
高校生とは思えないほど。それもそのはず。南山高校アメフト部
CRUSADERSは、何度も全国大会出場を誇るアメフトの名門。昨年も
全国大会ベスト8に入る健闘。一学期が始まっていない今、
既に猛練習が始まってるのも頷けるというもの。

さてグラウンドを後にし、左の校舎に入ってみましょう。
すぐにステンドグラス。イエスの生涯。このように六年間、
南山生にはカトリックの教えが叩き込まれます。

校舎を抜けると小径。そばには「地の塩、世の光たれ」の言葉。
上がると、今度は三面のテニス・コート。練習は終わったのか、
何人かの部員が軽く打ち合い。

設立は昭和七年。南山中学としてスタート。
ヨゼフ・ライネルスという神父が設立しました。
昭和七年と言えば五・一五事件の年。軍人の声が
ひときわ大きくなってた時期。

こんな時期に設立されたキリスト教学校が、良い思いをしたとは、
とても思えません。南山中学にも厳しい監視の目が光ります。

けれど南山、この試練を耐え抜き、戦後、新制の南山中学校、
高校として再スタート。同じ頃、南山外国語学校も設立。

やがて南山外国語学校が南山大学に昇格。南山学園のイメージが
上昇し始めました。折しも、日本が高度経済成長に突入する頃。
都市への人口流入が加速。それに合わせる形で、都市部の
キリスト教系・私大の人気が高まります。

名古屋では他に本格的な総合私大もなかったことから、
南山大の偏差値がドンドン上昇。早くから外国語学部を設置し、
シッカリした外国語教育というイメージを定着させたことも奏功。
いつしか東京の上智、名古屋の南山と言われるまでに。

平成に入り、日本の経済成長はストップ。日本経済は
長い停滞期に入りました。けれど南山学園は上昇した
ブランド・イメージの保持に成功し、今も
中京地区の受験生を集めてます。

さて南山高校。進学実績では事実上、明和、旭丘など県立高校の
後塵を拝する形。とはいえ中高一貫の安定した教育を望む保護者も多く、
そのような保護者が真っ先に思い浮かべるのが南山学園。
今後の急上昇は望めませんが、名古屋の受験生の間で
一定の支持は集め続けるでしょう。

ベンチ
bench

明和高校

名古屋の環状線は名城線(めいじょう せん)と呼ばれる地下鉄。
市役所駅で降りると、目の前に名古屋城。尾張・徳川家の威光を
今に伝える史跡。

家康は関ヶ原の戦い後、九男・義直(よしなお)のために城の普請を決定。
主に西国の豊臣恩顧の大名に、普請を任せました。短気な福島正則
(ふくしま まさのり)は普請中にとうとう怒り出し。

なんで妾の子の城のために、駆り出されるのか。

それを聞いた幼馴染の加藤清正(かとう きよまさ)は。

なら、おぬし。国へ帰って謀反の支度でもするがよかろう。
できないなら、黙って城を完成させるしか、あるまい。

城内には今も、人夫の先頭に立って、石垣運搬の音頭を取る清正像。
本意でない仕事にも、全力を尽くす清正の姿を、当時の人々が
書き留めたのでしょう。

さて、そんな名古屋城のすぐ東にある明和高校。
「めいわ」と読みます。江戸期の藩校・明倫堂が前身。
まさに名古屋・最古の教育機関。

校内には九代藩主・徳川宗睦が書いた「明倫堂」の石碑。
そして明倫堂の由来。この明倫堂が明治期、明倫館中学に。
戦後、愛知・第一高女とくっついて、男女共学の明和高校が誕生。
愛知一中の流れを汲む旭丘も、歴史と伝統では、
明和に頭が上がりません。

ちょうど体育館(明和館)で新入生へのクラブ紹介をやってました。
運動部・上級生がユニフォームを着て、新入生にアピール。
文化部でも吹奏楽部、軽音部の演奏。明和館・入口では
男子二人がギターを持って音合わせ。

明和館を通り過ぎると、女子の一群。制服の襟元は白。
彼女たちの一人が。

コンニチハー。

私が返事すると次々に「コンニチハー」。
変わったOBが来校したとでも、思ったのでしょう。

文科省のSSHにも指定された明和。理系教育に力を入れてます。
企業、大学、研究機関と連携。高校の範囲を遥かに超えた科学を伝授。

発信力としての英語も重視。英語による研究発表。
海外の高校生との交流。グローバルな科学者を輩出すべく尽力。

折しも平成二十年、明和OBで名大教授の小林誠が
「CP対称性の破れ」理論でノーベル物理学賞を受賞。
小林が母校・明和で後輩に指導することもある、というのだから、
明和の意気も上がるというもの。

こうした努力は明和の進学実績にも反映。今春の進学実績では
京大28名で愛知トップ。名大・合格者数も53名で四位。

そんな明和のもう一つの特徴は、一クラスだけある音楽科。
定員は四十名で男子は毎年、五名ほど。楽器演奏、声楽、音楽理論、
音楽史、独仏伊語までカバーする本格的カリキュラム。

個人で受ければ一時間、数万円しそうな一流の講師から、
自由にレッスンを受ける機会も設けられてます。若い頃から
音楽を極めたい生徒にとって、これ以上の環境はないでしょう。
毎年、東京芸大に数名の生徒が進学。他にも、官学、私学を問わず、
芸術系の大学に多くの卒業生を送り込んでます。

正門を入ってすぐ左にある音楽棟。ドアを開くと赤い絨毯。
そしてピアノやフルート、ヴァイオリンの調べ。本格的な歌声。
その存在は普通科・生徒にも大きな影響を与えてることでしょう。

勉強、運動、そして音楽に彩られた三年間。
振り向けば、いつもそこにある名古屋城。
明和の人気は今後も続きそうです。

名古屋城
Nagoya Castle

一宮高校

名古屋・北西にある一宮(いちのみや)は繊維・紡績の街。
西には岐阜との県境、木曽川。新幹線で大阪に行く時、見えてきます。

トヨタ自動車の発展とともに、名古屋は2000年代に入って好景気。
その影響を受けて、一宮も三十数万の人口の割には、
街に勢いがあります。人口も徐々に増加傾向。

街の中心、尾張一宮駅。銀色の駅舎はモダンなデザイン。
東口からは伝馬通り。商店街です。五分も歩けば商店街も尽き、
マンション、住宅が並ぶ通りに。しばらく歩いて右に曲がると、
やがて一宮高校。

愛知六中、一宮中学を前身とする名門。繊維の街らしく、
普通科に加えてファッション創造科まで。

正門に立つと「高」マークの校舎。午前中でしたが、
授業が早く引けたのか、自転車で颯爽と校門を通り抜ける男子生徒。
まるで、かつての自分を見てるよう。校内の桜は、これでもかと
花を散らしてますが、そんな風景にも彼は見向きもしません。

正門のそばに「豊太閤」像。秀吉の像がひっそりと。秀吉と言えば、
大坂城ですが、出身はここ尾張。誰か歴史好きな教員が、
何かの記念に作ったのかもしれません。

校舎は手前から本館、二号館、三号館。渡り廊下でつながってます。
一番奥に被服室。一クラスあるファッション創造科の実技はここ。

きもの作品コンテストで、何度も最優秀賞を出したファッション創造科。
勉強だけでなく、バランスの取れた学校運営に一役、買ってます。

毎年一月にはファッション創造科の卒業研究・発表会。
色鮮やかなコスチュームで生徒が登場。自分で作ったドレスを
着ての発表会。中には純白のウェディング・ドレスまで。
大学合格とは一味違った、卒業記念でしょう。

洋服だけではありません。きものデザイン・コンテストでも、
金賞を獲得。ファッション創造科では、服飾を全体的にカバー。

普通科に話を移しましょう。一宮の秀才を集めてるだけあって、
その進学実績は、みごとなもの。毎年、名大に七十~八十名の合格者。
しかも今春は97名で、全国トップ。ちなみに医学部には2名。

とはいえ一宮。ハッキリ言って校舎がボロイ。廊下も暗い。
放置すれば、近くにあるオシャレな滝学園にドンドン生徒を
取られてしまうでしょう。

今はまだ伝統の力で、一宮の秀才を引きつけてる一宮。
けれど、施設の刷新は急務。繊維産業の斜陽がハッキリした今、
一宮高校の存在は、街全体にとっても貴重なはず。
ファシリティ(施設)の充実は喫緊の課題です。

水玉
water drops
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