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日経平均、9000円台を回復

ギリシア再選挙で緊縮策が受諾されれば、株価は上昇。

このブログでは、そう予測してましたね。まさにその通りになりました。
緊縮策・受諾のニュースを聞いた後、信用買いを含めて、
すぐに買いを入れた人は、利益が出始めたことでしょう。

以前から持ってる現物株をホールドしてる人も、
マイナスが減り、再投資しやすい環境になってきました。

ここは慌てて売らずに、日経平均1万円前後までの上昇を見守りましょう。
五百万円くらいかけてれば、五十万円ほどは取れます。
ちょっとした夏のお小遣い。

マーケットで予測が当たるのはウレシイもの。
当たるだけでなく利益も出るのだから。

さあ、週末のNYダウも大幅上げで終わったようです。来週のマーケットは
勢いがつくでしょう。マーケットは準備した人だけが勝てる世界です。

川辺
riverside
来週の日経平均

専修大学

明治初期、アメリカに留学した若き四人の留学生がいました。

相馬永胤(そうま ながたね) 目賀田種太郎(めがた たねたろう)
田尻稲次郎(たじり いなじろう) 駒井重格(こまい しげただ)

それぞれの出身藩や国家の援助を受けて、彼らはアメリカでまず法律、
そして経済を学びました。猛勉強の数年後、彼らは学位を取って帰国。
ところが日本ではそもそも日本語で法律、経済を学べる学校が
ありませんでした。

日本語で法律、経済を学べる「専修学校」を作ろう。

相馬を中心に四人は小さな学校を作ります。当時、慶応義塾を開設してた
福澤諭吉も力になりました。東京法学校(現・法大)明治法律学校(現・明大)
東京専門学校(現・早大)英吉利法律学校(現・中大)よりも、早い設立。

私学で法律、経済を学べる学校はここだけ。志願者が殺到し、専修の「黒門」は
帝大の「赤門」に匹敵するまでに。他の法律学校が法律だけしか教えて
なかったのに対し、専修カリキュラムは経済もカバー。

この学校が戦後、専修大学に。伝統、設立経緯を考えれば、私学の雄として
早大でなく専大が挙がってもいい状況に。ところが専大。数十年の時を経て、
MARCHにも届かず「日東駒専」の一角に。落ちぶれてしまいました。
司法試験・合格者も毎年十数名。中大の十分の一ほど。
どうしてこうなったのでしょうか。

四人の設立者は、いずれも学究肌。あるいは事務処理能力に長けた人物。
その教え子も、やはり小粒にならざるを得なかった、ということでしょう。

たとえば早大を設立した大隈重信は政治家。その教え子にも、日本の未来を
語る気宇壮大(けうそうだい)な資質が宿ります。その何名かでも、ホンとに
大物・政治家になれば、それは早大にとって大きな武器。

専大の教員、学生に、そこまでの進取の気性がなかった、というのが実情。
それ以上に、大学経営のお粗末さが響きました。メインの水道橋キャンパスは
狭すぎ、今や法学部を除く、全ての学部は生田キャンパス。伝統ある法学部と
他学部との有機的な関連が結べません。全学が早稲田で一緒に
学べる早大に、この点で既に遅れてます。

水道橋キャンパスには例によって、高層棟が登場しましたが、それが学生の
資質向上に何の役にも立ちませんでした。隣の日大・法学部、経済学部に
存在感で完全に圧倒されます。

しかも専大のシンボルたるべき「黒門」は早々に取り壊され、最近やっと
復元されたと思ったら、水道橋キャンパス近くの小さい公園の中。これでは
学生への吸引力は生まれないでしょう。どうしてムリヤリにでも、
毎日、学生がくぐる門に、黒門を取り付けなかったのでしょうか?

けれど専大。設立した四人の若き先生たちをモデルにしたDVDを作りました。
タイトルは「学校を作ろう」。専大インフォメーション・センターで売ってます。
設立者の幹事・相馬永胤を三浦貴文が熱演。彼の映画デビュー作。

三浦貴文は三浦友和の次男。百恵ちゃんの面影もある甘いマスク。
その彼が相馬を再現。アメリカで苦学し、専大を設立する若者。
見ごたえあるDVDに仕上がってます。

専大。今のところ、若き四人の設立者が最大の売り。言い換えれば、
それ以降の展開がパッとしなかったということ。歴史と伝統を考えれば、
残念と言う他ありません。

花畑
early summer

横国、新・入試制度を発表

教育人間科学、経済、経営、理工の四学部を備える横国。一学年は千六百名。
そのうち百~百六十名に、入学後、半年間、英語圏への留学を義務づける
カリキュラムを発表。英語を重視した特別な入試枠で学生を選抜し、
彼らを留学させます。全学部に亘る模様。

留学期間に取得した単位は一般教養の単位として認めるため、留年する必要は
ありません。現地で取得できない単位については、衛星授業を行ったり、
教員の派遣で対応。大学側としては、よっぽどの危機感があるようです。
ここまでの対応をするためには、相当の準備が必要だからです。

ただし、東大が秋入学を提言してから、具体的なカリキュラムは全く
発表できてないのに対し、横国の今回の発表は、中味の具体性、
迅速さで画期的でしょう。

卒業も半年間、前倒し可能。要するに、横国キャンパスでの教育が、
ほとんど意味なかったので、そのように学習期間を縮めても、
問題ないということなのでしょう。ある意味、情けないですね。

とはいえ、外国語でのディスカッションが行える人材を輩出したいとのこと。
それは疑いなく、時代の流れに合ってます。2015年度の入学者から、
新カリキュラムを実施する予定。横国が今後、どうなるか楽しみです。

空
way
横国、オウル大と共同研究

新宿の二年生

四月の始め、四名で始まったクラス。現在、八名。倍増したと言えば、
聞こえがいいですね。けれど、このボリュームでは、どうしても、
クラスの勢いは出ません。まだ手探りで勉強してる感じ。

とはいえ二年生。賑やかになってくるのは、これから。しかも、
少数なだけに、今、受けてる人はデキル人ばかり。武蔵、海城、攻玉社、
桜蔭・・・錚々たるメンバーが集まりました。

今後、入ってくる人との整合性が難しくなります。塾にでも行こうか、
のノリで来た人がレベルの高さにビックリ。尻込みする状況が、
予想されます。塾講師をやってて、一番、難しいのが、
実はこの問題。私の腕の見せ所です。

朝日
sunrise

城北の卒業生

東大生が渋谷教室に。二年前にお茶の水教室で教えてた男子。
二年生から三年生への二年間、私に英語を習ってました。
「相談がある」というのでマーク・シティ五階のバーに。
ここなら落ち着いて話せそうです。

渋谷の夜景を見ながら、二年前の東大クラスに話が及びました。
二年前、お茶の水教室・東大クラスで、一人だけ進路の分からない鴨高生。
私は気になってはいました。けれど、彼によると、その鴨高生も
東大に入ったとか。

五月祭で会いましたよ。浪人して受かったようです。

これで一人が慶大。あと全員が東大に進学。メデタシ、メデタシ。
さて、そんな彼の相談とは。

就職先として、三菱重工とゴールドマン・サックス、
どちらがいいでしょうか?

理Ⅰの彼。普通なら工学部に進学。そして日本メーカーに就職するなり、
研究者になる道が一般的。航空宇宙を専攻して、三菱重工に就職するなら、
それはそれで、十分にやりがいある仕事。

三菱重工はこの前、ロケットを飛ばしました。旅客機にも本格的に参入する予定。
東大OBが、ワンサカいることでしょう。とはいえもう一方の選択肢は意外。
理系の彼が、なんとゴールドマン・サックスとは・・・

ゴールドマン・サックスは六本木ヒルズにあります。「投資銀行」として
日本でも有名。バブル崩壊後、日本のさまざまな施設、土地の値段が
数十分の一となり、どうにもならなくなりました。

あの時、底値で買い叩き、再生させ、何倍もの値段で転売したのが
外資の投資銀行。彼らは日本のバブル崩壊で、ボロ儲けしました。
中でもゴールドマン・サックスは最も有名でしょう。

彼らはいつしか「ハゲタカ」と呼ばれ、世間から「スゴイなあ」とは
思われても尊敬すべき対象にはなりませんでした。

ゴミ同然のような案件の中から宝を見つけ出すこと。
それに高値で売り捌くだけの付加価値を付けること。

口で言うのはやさしいですが、並大抵のことではありません。
「ハゲタカ」と呼ばれる彼ら。けれど彼らがいなければ、宝がゴミのまま。
雇用も生まれず、地域も活性化しません。人が流れないのです。

そう。彼らこそ、資本主義を最も体現する者として、見つめ直すべき。
社会にとってホンとに必要な「循環」を整備してるのだから。
それは官僚にも学者にも平凡サラリーマンにもできないこと。

私は一も二もなく、ゴールドマン・サックスを薦めました。その方面に行くなら、
来たるべき進振りでは、工学部でなく経済学部になるそうです。金融学科。

ゴールドマン・サックス。ついていけなくなる社員も多く、自分から辞めたり、
辞めさせられたりして離職する人は三十代で半分。けれど、生き残れば、
莫大な報酬が待ってます。新入社員で年収は二千万円。
三十代・前半で、なんと四億円。

一方の三菱重工。新入社員で四百万円。三十代・前半でガンバったとしても、
七百万円がいいところ。ケタが二つほど違います。

ゴールドンマンに入ったなら、若いうちは一日、二時間ほどしか睡眠時間を
取れないそうです。夜も毎日、接待で、接待が終わった夜の十二時から、
また仕事。

けれど頑健な彼なら大丈夫。受験でも数学・理科は抜群。英語も発音がうまく、
たまに和訳のミスをするくらいで、ほぼ完璧。東大入試の直前
「おまえなら大丈夫だから」と励ましたことを憶えてます。

でもゴールドマン・サックス。理系の彼に、どこからそんな選択肢が
ふってわいたのでしょうか? 聞いてみました。すると。

先輩と話してると、ゴールドマンの話になって、社員の方に紹介されたんですよ。

なんでもゴールドマンの若手社員の家に招待されたとか。ヒルズのレジデンス棟。
塾のフロア一つ分くらいの広さ。それを見て、彼の気持ちも揺らぎました。

東大では、こういう出会いが将来のリクルートにつながります。東大人脈は、
やはり他大学・人脈とは全く違うよう。就職活動みたいな、
つまらない作業はスルーできる特権階級。

東大にもメリットあり。

私も意識を変えねばなりません。

あじさい
hydrangea
東大、秋入学を提案(2)

ギリシアの総選挙

今日6月17日はギリシアの総選挙。ユーロ圏からの離脱をめぐって、
国民の審判を仰ぎます。来週のマーケットは大きく動きそうです。

さてドル6カ月物のライボーは現在、0.74%。あまり上昇してません。
ということは市場は、ギリシアのユーロ圏・離脱を想定してない、
または想定しても、その影響は限定的と見てます。

日本の株式市場にも大きな影響がある今回のイベント。
ライボーが示してるように、影響が限定的なら、8500円を
ウロウロしてる日経平均は、一気に1万円を目指して
上がり始めるでしょう。

ユーロ圏・離脱となれば、その逆が起きます。ライボーもはね上がり、
世界の株価が急落。ニュースに注目しておきましょう。

畑
early summer

一周年です

ブログの開設なんか、簡単っすヨ。

同僚の国語の先生に、そう励まされて始めた"fc2ブログ"。
今日で一年経ちました。早いものですね。
みなさんの期待に応えられたでしょうか。

さあ、今日から新しいスタート! これからも
いろいろな記事を書いていきましょう。
韓国のこと、塾のこと、人生のこと。

幻
fantasy

明治学院大学

日吉駅から目黒線に乗ると、そのまま白金高輪駅(しろかね たかなわ えき)
まで行けます。そこで降りて、目黒方面に歩くと、いくらもしないうちに、
右に赤レンガの建物が。明治学院大学です。
「明学」(めいがく)と呼ばれてます。

洋館が立つキャンパスは、さすがに伝統を感じさせます。
一方、ダイニング・ラウンジは明るくて広く、値段も手ごろ。
女子の姿が多く、女子大の佇まい。

ヘボンが横浜に1863年(文久3年)に開いた「ヘボン塾」が源流。
その後、この塾は東京に移り、明治学院となります。戦後、大学に昇格。

ヘボンは「ヘップバーン」と呼んだ方が原音に近いのですが、
歴史的呼称となってしまった今ではどうしようもありません。

さて明学。歴史的には福澤諭吉が開いた慶応義塾よりも古く、
ミッション・スクールとしても最古。長い伝統を持ちます。

正式に明治学院となった1887年(明治20年)一期生として島崎藤村
(しまざき とうそん)が入ってきます。藤村は明学で外国文化に触れ、
日本社会を客観的に見つめる力を養いました。藤村の作品群、
特に「破戒」は、日本社会だけに埋没しては決して
書かれなかったでしょう。

ちなみに藤村の「桜の実の熟する頃」という小説には、明学での一年間、
卒業後の二年間が描かれてます。明学の校歌を作詞したのも藤村。
まさに明学、誇るOB。

学部としては法、経に加えて心理学部、社会学部、文学部、国際学部。
理系科目を作りませんでした。戦後、都内の多くの私大がユニバーシティを
夢見て、理系学部を作り、敷地が手狭になり、郊外へと移転。

結果、学生文化や伝統が途切れ、大学全体の魅力も失くしていきました。
一年次は戸塚キャンパスに通うとはいえ、二年次・以降は全員、
この白金キャンパスに通えることは、明学の運営が
確かだったことを示してるでしょう。

伝統的に人文研究に優れ、著名な学者も揃ってます。この学部陣容なら、
学部の垣根を超えた研究もできそうです。

国際紛争を心理学から解き明かす研究。
芸術の価値を社会学から説明する研究。

白金にあるロケーションも文句なく、伝統にも裏打ちされてます。
教授陣も充実。ですが、ここで疑問がわきます。これだけ揃ってるなら、
どうして明学。もっと知名度を上げなかったのか、と。

1950年代までは上智も三流・男子校だったわけですから、
早、慶、明学となる可能性も十分にあったのです。

ところが明学。慶大には大きく引き離され、MARCH一角である
青学にも、抜かれてます。明学は三田にある慶大と渋谷にある青学の
ちょうど真ん中あたり。良い場所にあるのに・・・

後知恵になりますが、「語学重視」をシッカリ打ち出さなかったことが
原因でしょう。明学の設立経緯なら、戦後の早い時期に「外国語学部」を
設立し、質の高い語学教育を受けられると、内外に喧伝するべきでした。

上智が男女共学になった後、したことが、まさにそれ。1990年代くらいまでは
「語学がシッカリ学べる」ことは、それだけで受験生に大きなアピールでした。

上智は外国語学部・文学部が大学を引っ張り、つられる形で法、経営が
伸びました。青学についても、外国語学部を作らなかったとはいえ、
文学部がまず引っ張り、法、経営が上昇。

ところが明学。どことなく中途半端なまま、年月を過ごし、教授は著名でも、
活躍するOB、OGが出ず、法、経も伸び悩みました。条件が揃ってるのに、
それが受験生に見えず、現在に至ってます。

女子率が高いことも、骨太の学生が出にくい理由でしょう。明学の女子率は
なんと70%。男女共学の大学の中では一位。

ということは明学。曇りなき目で見れば、お得な大学とも言えます。
世間の評価が高くない故に、偏差値が低くて入りやすい。
入学後はMARCHには負けない教育。

今春、私の教え子も明学に進学しました。マジメな女子。明学は必ずしも
第一志望ではありませんでした。明学に進学するかどうか、相談に来た時、
私はイチ推し。名よりも実を取るなら、明学はお薦め。結局、
彼女は明学に進学。

その後、しばらくして彼女から連絡。キャンパス・ライフが楽しい、とのこと。
高校の教員を目指してみようかな、とも。

先生、背中を押してくれて、ありがとう。

私の判断は間違ってなかったようです。これからもガンバって下さい。

バラ
rose

来週の日経平均

ギリシアの選挙が日曜日にありますから、その影響で、
来週は最初から、日経平均が大きく動くことが予想されます。

ギリシアが緊縮策を受諾すれば、上がり、
拒否すれば下がるでしょう。

いずれにせよ、短期的に大きなトレンドが見込めます。
選挙結果は予測できずとも、どちらかに傾いた時に、
トレンド・フォローをして短期利益を狙うことは可能。

短期なら、信用取引を活用してもいいでしょう。

緊縮策・受諾となった場合、
商いを伴って上がっていくでしょうから、
現物買いとともに信用買いでレバレッジをきかせます。

緊縮策・拒否と出た場合、
かなりの下げとなるでしょうから、
輸出に頼ってる企業、欧州との関わりが深い企業の株に、
カラ売りをかけるのです。

ただし信用取引をする場合、買いでも売りでも、
短期勝負を心がけるべきです。そして万一、
自分の思惑と反対方向に市場が動き始めたら、
すぐに損切りしなければなりません。

その動きができるなら、市場が大きく動く場面は、
上げでも下げでも、利益を出せる絶好のチャンス。
来週が楽しみですね。身構えておきましょう。

夏前に、ちょっとしたお小遣いを稼いでおけば、
家族とオイシイ食事に行けますね。

六月
hydrangea
日経平均8600円台 

渋谷の英作文講座

一日だけの講座。塾の勉強では抜けがちな英作文に焦点。
来てた人は十五名。精鋭ばかり。最初は短い英作文から始めて、
少しずつ長くなっていきます。そして本格的な英作文。

最後に自分の意見を述べる、自由英作文。自由英作文は全員が提出。
できません、なんてヘタレなセリフ、誰も言いませんでしたね。
それだけでも、この講座、やってヨカッタ。答案は私が
添削した後、郵送されます。

あじさい
June

駒場高校

東急・田園都市線の池尻大橋駅(いけじりおおはし えき)。
駅を出て、坂を上がっていくと、左に駒東。それでも真っすぐ行くと、
淡島通り(あわしま どおり)。右に曲がれば、都立・駒場高校。
地元では駒高「こまこう」。

筑駒(つくこま)駒東(こまとう)に押されて長い間、注目されてこなかった
都立高校。ですが他の都立と同じく、進学実績が上がってきました。
とはいえ、まだ東大へ行ける高校ではありません。早慶、MARCHへの
進学を狙う層が集まってます。設立は古く1905年(明治38年)。
府立・第三高女が前身。第三高女の頃は麻布にありました。

浅草の一女(現・白鴎高校)。小石川の二女(現・竹早高校)。
麻布の三女(現・駒場高校)。

高女・御三家の一角を占める名門。高女の頃から体育が重視され、
「三女に行けば、足が大きくなる」とまで。戦後、男女共学になった時も、
駒高には公立高校で唯一「保健体育科」が設置。この保健体育科は
今も続いていて、毎年四十名の募集。体育の好きな生徒が集まります。

私立高校のスポーツ科みたいに、何がなんでも全国大会に行かねば
ならない、甲子園に行かねばならない、という意気込みではないため、
バランスは取れてます。

保健体育科は普通科とは授業、行事が違い、修学旅行もありません。
その代わり、別なプログラムも。

一年生の遠泳。二年生のスキー教室。三年生のキャンプ。

さて駒高。薄茶色の校舎。案内してもらおうと、中に入ってみました。
すぐに「五大陸」と呼ばれる五つの石のオブジェ。
「鳥の歌」と呼ばれるブロンズ像。

玄関を入るとエントランス空間。お昼時、パンを売ってました。
「~大会出場」という紙があちこちに。それらを見てると突然。

コンチオッス!

男子が大きな声で通り過ぎました。こちらはビックリ。保健体育科の
生徒でしょう。上下関係を厳しく叩き込まれてますね。生徒ホールを覗くと、
男子と女子がそれぞれ固まってます。この食堂、安くてボリューム満点だとか。
私も入って食べてみたいほど。けれど万座の注目を集めるのは必至。
できませんでした。

生徒ホールの向こうにジム。いろんなトレーニング機械。そしてサッカー場。
けれど駒高の施設の中で圧巻は、併設されてる陸上競技場。高校とは
思えない広さ。ここなら400mリレーも本格的にできそうです。

運動部だけではありません。駒高は伝統的に百人一首部が強く、
ここ二年、全国大会で連続優秀を果たしてます。

そんな駒高から歌手の加藤登紀子(かとう ときこ)が出ました。
加藤は駒高を卒業した後、近くの東大に進学。文学部・西洋史学科。
1960年代、まだ都立高校が輝いていた頃。

在学中に歌手としてデビュー「赤い風船」がヒット。そんな彼女のもとへ
ある日、全学連・委員長がやって来ました。当時は学生運動が盛ん。

なあ、君。歌うまいんだろ。
今度、ブントの大会で何か歌ってくれないか。

それを聞いて加藤は。

歌を使って、人の気持ちを掴もうって?
それって純粋な政治運動じゃ、ないじゃない。

すると彼は。

・・・それも、そうだね。

アッサリ諦めて帰っていきました。そのアッサリ感が意外だったと、
後に加藤は語ってます。二人はこの後、頻繁に会う仲になり、恋人に。

とはいえ全学連・委員長の彼。デモに参加しては逮捕され、
を繰り返してました。刑務所から戻って来る間だけの短い逢瀬。
彼は刑務所でどう過ごしていたのでしょうか。その姿を
加藤が歌った曲「ひとりねの子守唄」。

ひとりで寝る時にゃよー ひざっ子僧が寒かろう
おなごを抱くように 暖めておやりよ

彼が出所してきた時、加藤は世間で流行ってた、この曲を
一番に聞かせます「この曲、アナタを想って作った曲よ。」

けれど彼は。

こんな曲、哀しすぎる。

プイと出て行ってしまいました。その日はそのまま帰らなかったとか。
後に加藤は「知床旅情」(しれとこ りょじょう)で歌手としての地位を不動に。
けれどそんな時、彼は実刑判決を受け、数年間、刑務所で暮らすことに。
もうこれまでみたいに、頻繁に会うこともできません。加藤は彼との
獄中結婚を決意。彼の子供がもう宿ってました・・・

さて、塾での話もしましょう。進学率が上がるにつれて、塾でも
駒高生を見かけるようになりました。昨年、駒高・二年の女子が
フラッと渋谷教室に。一番後ろに座りました。

三年生になっても、持ち上がりで私のクラスに。同級生の女子を
連れてきました。相変わらず、いつも教室の一番後ろ。でも、
そんな彼女たちが、いつか自信を付け、教室の一番前に
座ってくれることを、私は楽しみにしてます。

さくらんぼ
cherries

小石川中等教育学校

都立の名門・小石川高校がこんな名前になりました。小石川は
両国と同じく2006年(平成18年)都立の中高一貫校に。
ただし両国とは違い「小石川高校」という名前とは
決別したようです。

中高一貫校にするだけでなく、校名まで変えたのは、
「小石川高校」という名前ではダメだと判断したからでしょう。
それは非常に正しい判断とも言えます。

思えば小石川。都立・全盛時には東大に六十~八十名の合格者を送り、
東大・合格者ランキングのトップ・テンには、いつも入ってる常連校。
この頃、小石川に学び、東大に進学した後、名をなした
学者・実業家もたくさん。

珍しい卒業生としては加藤剛(かとう ごう)がいます。
大河ドラマ「風と 雲と 虹と」で平将門を演じました。
その後、若きチンギス・ハーン、テムジンを描いた
「青き狼」でテムジンを。

とはいえ加藤の名を知らしめたのはTBSで三十年間、
放送された「大岡越前」今や大岡越前と言えば、加藤です。
最近ではNHKが総力を挙げて制作した「坂の上の雲」で
伊藤博文を演じました。

加藤は小石川を卒業した後、早大・第二文学部に進学し、
その後、俳優としての道を歩き始めます。

さて小石川。「学校群制度」の導入により凋落。中堅の生徒が
「他に行くとこもないし」という感じで進学する、何の魅力も
特色もない都立高校になり果てました。2000年代に始まった
都立高校の躍進。それにも乗り遅れ、小石川はこのまま
衰退するしかないと思われました。

けれど、その状況を打開するための中高一貫校の設立。小石川としては
プライドだの、伝統だのを持ち出す場面ではありませんでした。

手段はどうでもいいから、再び、優秀な生徒が
門を叩く名門校になりたい。

この危機感は妥当でした。校名を変えてまで中高一貫校にこだわった
ことは小石川の背水の陣を象徴してます。では、小石川という、
かつての名門校は、どういう歴史を持ってるのでしょうか?

戦前の府立五中。数字は若いといっても、府立四中の設立からは、
十数年経ってました。そんな五中の設立にあたっては、
慎重な人事が練られました。

そして白羽の矢が当たったのが、伊藤長七(いとう ちょうしち)。
今も小石川に行けば、校舎に入った正面に、長七の胸像があります。

長七。熱血教師だったようです。けれど、その先駆的な精神が時代に
合わず、あっちこっちで問題を起こします。そんな長七の評判は当時、
拓殖大学・学長をしていた後藤新平の耳にも入ります。

やはり時代の先を見る目を持ってた後藤は、五中の設立にあたり、
長七を強く推挙。かくして長七は五中の初代校長に就任しました。

とはいえ型破りな長七の教育方針は、職員・生徒の度肝を抜きます。
まずは服装。当時は珍しかったネクタイ・詰襟りを導入。
服装からして「真のジェントルマン」の輩出を目指します。

そして女性教師を登用。府立中で女性が
教壇に立ったのは、五中が初めて。

長七の郷里・長野での「転地修養」も始めました。修学旅行など
考えられなかった当時、東京の生徒が田舎を体験することは、
ほんのつかの間であれ、どれほどワクワクすること
だったことでしょう。

海外にも目を向けてた長七。五中では早々とレコードを使った
英会話・授業が行われました。今でこそリスニング授業は珍しく
ありませんが、この頃、学校がリスニングに時間を割くこと自体、
画期的なことでした。アメリカを、そして世界を見つめていた
長七の視線を窺い知ることができます。

長七は鯉のぼりに水素ガスを詰め、アメリカまで飛ばす計画も。

アメリカまで、飛んでけ!

もちろんこの計画は挫折し、鯉のぼりは迷走した後、埼玉の畑に墜落。
長七の夢は挫折しました。ところが戻って来た鯉のぼりを前に長七は。

諸君。この鯉のぼりはアメリカに行った後、
戻って来て、埼玉で発見されたんだよ。

聞いてる生徒の誰一人、言い返すことはできませんでした。

先生、そうですか・・・

長七は生徒を常にジェントルマンとして扱いました。

たかが教員にすぎない自分。けれど目の前にいるのは、将来、国家を
担うかもしれない人物。年齢・職責に関係なく敬わなければ。

長七の気持ちが痛いほど伝わってきます。長七は五中の理念として
「立志・開拓・創作」を掲げました。小石川が中高一貫校と
なった今も、その理念は受け継がれてます。

小石川では最初の二年間を「立志期」次の二年間を「開拓期」。
最後の二年間を「創作期」と位置付けてます。

もちろん進学実績を上げることは大目標。四十五分授業を七時間。
知識の定着を目指します。その一期生が今春、卒業。
その成果は東大4名。早大41名。一学年を百六十名に
絞った結果としては、立派な数字でしょう。

東大・本郷キャンパス。六義園。小石川植物園。この真ん中に小石川は
あります。落ち着いて勉強するには、格好のロケーション。
制度改革とあわせ、今後、徐々に見直されていく
学校ではないでしょうか。

今年の池袋教室にも、小石川生が二人。男子と女子。学校の授業じゃ、
ダメだと思って、塾に来たのでしょう。ただ少しずつ伸びてきた
とはいえ、できたら二年生から受けに来てほしかった。
だったらもう少し楽な展開になったのに・・・

とはいえ、そんな環境に不平を言わず、結果を出すのが
塾講師である私の役目。さあ、小石川生の二人。
これから夏にかけて、一緒にガンバりましょう。

空と海
sea and sky

サレジオ学院高校

私が住んでるマンションは横浜の港北ニュータウンにあります。
十一階。丘の上に立ってるので、実際には三十階位の眺め。

横浜・港北らしく緑がたくさん。森が広がってます。遠くにランドマーク・タワー。
新横浜のプリンス・ぺペも。目の前の森の向こうに校舎。サレジオ学院です。
中高一貫校。横浜の私立名門。男子校です。

名門って、サレジオなんて聞いたことないけど?

そう。横浜以外ではほとんど無名。神奈川でも栄光、聖光、浅野の蔭に
隠れてます。ハッキリ言って、浅野を落ちた人たちが来る学校。
そう言って過言ではないでしょう。

なんだ、落ち武者の学校か。

でも、だから悪いとも限りません。ボーとしてて、中学入試の最難関には
間に合わなかったけど、そこそこ潜在能力はある、そういう男子が入学。
しかも新入生を、背の高い校長先生が校門でハイ・タッチで迎える校風。
これは注目しないわけにはいきません。

1960年(昭和35年)サレジオ修道会によって設立されました。
1963年(昭和38年)に川崎に移転。そして1995年(平成3年)に、
現在の横浜・港北に新校舎を建てました。それ以来、ずっとここに。

「信・愛・理」を校訓としてます。サレジオ修道会はもともと、十九世紀・後半を
生きたイタリア人ヨハネ・ドン・ボスコが設立した修道会。ボスコは
イタリア統一運動とはうらはらに、そこで取り残される青年を
目の当たりにします。

国家の統一、そして殖産興業。教育がない故に、
その流れについていけない青年が続出。

この青年たちを何とかしないと、イタリアに、いや、人類に未来はない!

ボスコは青年教育に生涯を捧げることを決意。その決意どおり、
多くの教育機関を設立しました。彼の遺志は彼の亡き後も受け継がれ、
世界中にサレジオ修道会の学校。

日本でも港北のサレジオ学院だけでなく、今や関西の名門となった
大阪星光学院もサレジオ修道会の設立。

さて港北のサレジオ学院。ボスコの理念に忠実に、宗教の授業を
行ってます。中学では週に一時間から二時間。高校からは
「人間学」という科目で宗教を学びます。

二十五才の男作り。
え?

サレジオ学院が掲げてます。男子として、そこそこ大人になる
二十五才に焦点を当てて教育することのこと。確かに大学受験が全てでは
ありません。生徒たちの将来に想いを馳せるなら、確かに二十五才前後に
焦点が絞られます。三十才を過ぎれば、よほど肝の据わった
男子でない限り、先が見えるからです。

一学年を百八十名に限定してるサレジオ。ホワッとした、ガツガツしない、
優しい男子を集めてるようです。北山田、センター北で夥しく見かける
サレジアン。受験の話をしたり。授業の話をしたり。それくらいしか
話題もないのでしょう。けれど決して他の乗客に迷惑をかけません。

横浜教室でも今年、三年生にサレジアン。二年生・二学期にフラッと来て、
そのまま通塾。最初、書いてくる和訳はメタメタ。けれど精度がだんだん
上がっていき、二年生の冬期講習、三学期。そして受験生の春期講習、
本科を経て、実力がついてきました。

先週の土曜日、そんな彼が講師室にいる私のところへ。

リスニング対策、どうしたらいいでしょうか?

それなりに対策を伝授。一橋・法を志望するサレジアン。
最初は、夢みたいな志望校でしたが、だんだん現実味が。
成績を聞いてみました。すると。

今のところ、右肩上がりです。

ここまで言われて「一橋・商とかいいんじゃない?」なんて
言えなくなりました。そう。一橋でも社学、商あたりなら、講師の力技で
押し込むことも可能。だけど法はデキル人でもなかなか・・・

でも、そんな提案をする必要もなさそうです。まだ六月。
受験までには時間があります。一緒に最後まで走り抜きましょう。

小さい花
flowers
大阪星光学院高校

立川高校

多摩に立高あり。

町田市、日野市、調布市、小平市、八王子市、武蔵野市・・・
東京・多摩地区の首長・元首長を数多く輩出してる都立・立川高校。
地元では「立高」(たちこう)。ここまで地元首長を集中して輩出する
都立高校もまれ。一体、どんな学校なのか、気になりますね。

というわけで新宿教室での授業前、立高に行ってみることに。
田園都市線を溝の口で乗り換え、そのまま南武線で立川まで。
稲田堤を過ぎたあたりから、多摩の豊かな自然が見えてきます。
明るい季節。緑が眩しい。

立川駅・南口からモノレールに沿って大通り。しばらく歩いて、
左に曲がると、見えてきました。立高。正門を入ってすぐ左が格技館。
右が体育館。目の前に校舎があります。建物の外壁はどれもタイル張り。

グラウンドが広い。都心の都立高校では考えられない広さ。
ここなら部活動も思いきりやれそうです。

校舎に入ると、すぐ左に生徒たちの制作した油絵。廊下が広い。
ちょうどチャイムが鳴って、女子の一群が格技館から校舎へ戻
ってくるところ。走って通り過ぎました。
体育の授業が延長したのでしょう。

受付を済ませて、学校を一通り回って、正門から出ようとすると、
向こうから今度は男子の一群。もうチャイムが鳴って、しばらく
経ってるのに、悠々と。すると、そのうちの一人が
何を思ったか、大きな声で私に。

コンチハ!

私も思わず大きく返事しました。一体、誰だと思ったのでしょう。府立二中を
前身とします。設立は両国と同じ1901年(明治34年)。数字の若さが名門を
物語ってます。けれど、明治のこの頃、中央線は通っていても、立川は
まだ原野だったはず。どうしてそんな場所に二中が設立されたのでしょうか。

調べてみましたが、不明。恐らく当時の教育行政の中に中央線・沿線、
そして東京・多摩地区の発展を見抜いた人がいたのでしょう。
大正・昭和にかけての多摩地区の広がりを見るなら、
その人の目が正しかったことが分かります。

二中の頃から自由が重んじられる校風。今も校訓は「自主・自律」。
生徒に自分で考えさせます。1950~60年代、立高は東大・合格者を
二十名ほど出す、全国ランキング二十位くらいの高校でした。
さすがに日比谷、戸山、西には及びませんでした。

その後、都立高校の凋落により、立高も低迷。多摩地区トップの座を、
私立の桐朋高校に奪われてしまいました。2000年代になって、立高も
動き出します。授業時間を六十五分にして、生徒の集中力を鍛えました。
ただし今年度から他の都立同様、五十分・授業に。

立高と言えば六十五分・授業が売りだったはず。それをどうして元に
戻したのでしょうか。ホンとは受付で、理由を聞きたかったのですが、
聞けませんでした。

今春、2011年度・実績で東大2名。早大98名。慶大32名。
多摩地区らしく外語11名。首都大22名。農工大15名。

帰りに立川の街も見てみました。すると予備校ばかり。
三大予備校"sky"。城南予備校。四谷学院。早稲田塾・・・
ショボイのがゾロゾロ並んでるだけにすぎません。こんな街に
上位層をターゲットした意欲的な教室をそっと出店してみたら・・・

今年、新宿教室の私のクラスには、県千葉の男子が二人。
ガンバってる彼ら。県千葉から新宿教室の間には、ハードルが
いくつもあるはずなのですが、それらを飛び越して私のクラスに。
立高生だってそうしない理由はありません。

来たれ、立高生! 

本物の英語を伝授します。東工大、外語、早慶・・・
そこらへんでいいんだったら、楽に押し込んであげましょう。

てんとうむし
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