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朝鮮総連・本部ビル売却問題(3)

朝銀信用組合が総連・本部ビルを事実上の担保として行った杜撰な融資。
その額は、分かってるだけでも六百三十億円。それらが不良債権となり、
本部ビルは競売にかけられました。

奇妙な落札者が現れては消え、昨年、四国・高松の不動産会社マルナカが
二十二億円で落札。総連・立ち退きが決まったかに見えました。

ところが今回、マルナカは本部ビルを、なんと四十四億円で、山形の
不動産会社に転売。この山形の不動産会社が、総連と賃貸契約を結び、
総連は今のまま、九段で業務を続けることになりました。

これに先立ち、総連は移転先と目されてた文京区のビルを売却。
得た資金を今回の転売に使ったとされてます。これについて、
総連からのコメントはありません。

昨年末から、総連が立ち退き準備を全くしてないことが、ウォッチャーには、
話題になってました。恐らく、山形の不動産会社もダミー。
総連は手品のように、本部ビルを取り返しました。

牧場
pasture

朝鮮総連・本部ビル売却問題(2)

朝鮮総連が不良債権の担保に当てた本部ビル。不良債権が明らかになり、
本部ビル裁判が始まってから、名義人が一時、公安調査庁・元長官に
移ったことがあります。公安調査庁は朝鮮総連を取り締まる機関。
その元トップが、こともあろうに本部ビル名義人に。

司法のプロならば、その行為が裁判を長引かせることに役立つと、すぐに
気づくはず。元長官はインタビューに答えて、総連の言い分も聞くべきとか、
本部ビルが存在した方が監視しやすいとか、いろいろ述べてますが、
結局、全て言い訳。総連とのつながりを疑われても、しかたないでしょう。

さらに驚くべきは、そもそも名義人になる話を元長官に持っていった人物が、
なんと日弁連・元会長! 日弁連といえば、親中、親北、親韓を主張する、
完全な反日団体。その元会長が総連に味方することは、ある意味、
あり得ること。けれど総連と公安調査庁・元長官の橋渡しとは。

公安調査庁と日弁連は司法の場では正反対の立場を取るべき機関。
なのに、こんな場所ではズブズブの関係。

この二人は後に、総連から詐欺容疑で訴えられ、逮捕されました。
利用され、切られた、ということでしょう。したたかな総連。利用されただけの
愚かな元長官と元会長。そもそも、こうした人物が登場してくること自体、
総連の闇、日本の闇を浮き彫りにしてます。

カフェ
cafe

朝鮮総連・本部ビル売却問題

バブル期、杜撰(ずさん)な与信で一兆四千億円の不良債権を出した
朝銀信用組合。朝鮮総連系の金融機関。貸出金の多くは北朝鮮に
流れたとも言われ、返ってくることはありません。

一兆四千億円の補填(ほてん)に血税が使われ、債権回収機構(RCC)が
朝銀の債権者に。RCCは朝銀の貸し出しを精査。朝鮮総連が事実上、
不良債権の担保になってる六百三十億円を洗い出しました。

朝鮮総連にそんな額を返せるはずもありません。RCCは朝鮮総連を
相手に裁判を起こしました。平成十七年。今から十年前のことです。

この過程で朝鮮総連・本部ビルの所有権が公安調査庁・元長官に渡る
という信じられない状況になりました。公安調査庁といえば、朝鮮総連を
監視、取り締まる機関。その元トップが朝鮮総連の名義人になるとは。

しかも、朝鮮総連が被害者として、この元長官を起訴したものだから、
話はますます、ややこしくなりました。

結局、これらは全て朝鮮総連による引き伸ばし。数年が流れました。
その後、最高裁まで上告。最高裁は朝鮮総連の競売を決定。

けれど奇妙な落札者が次々と現れては消え、昨年、やっと四国の
企業が落札。その後、どうなったのかは聞こえてきません。
まだ本部ビル売却は終わってません。

朝鮮総連・本部ビルは、北朝鮮・大使館の役割を果たしてきました。
日本と北朝鮮には国交がなく、日本政府は今も、北朝鮮を国家として
認めてません。その本部ビルが売却された後、どうなるのか、
北朝鮮ウォッチャーは注目してます。

樹氷
Schnee

朝鮮総連とパチンコ業界

年間売上が二十兆円ともいわれるパチンコ業界。
心の弱い日本人が、店へ行き、すって帰ってきます。

パチンコ店オーナーの大半は在日朝鮮人。彼らから朝鮮総連に資金が流れ、
それがほとんどピンハネされずに、北朝鮮・本国に送られてきました。
その額、年間で二千億円。ざっと計算して、パチンコ業界の売上のうち、
1%が北朝鮮に流れたことになります。

この資金で北朝鮮・独裁者は体制を維持。核兵器までこしらえました。
核兵器・一個の製造価格はおよそ三百億円ですから、日本からの
資金があれば、経済的に十分可能。

愚かな日本人・庶民のパチンコ代が、巡り巡って、北朝鮮の核兵器に
化けたわけです。その核兵器を使って、北朝鮮は日本を陰に陽に恫喝。
唖然とする他、ありません。

しかもパチンコ業界。警察官僚OBがキャリアもノン・キャリアも多数、
天下り。警視総監まで天下った例も。これでパチンコ業界を取り締まれる
はずありません。パチンコ業界と警察は、まさにズブズブの関係。
拉致問題がこれまで、なかなか解決しなかった理由の一つが、
ここにあります。

湖
See

在特会

「在日特権を許さない市民の会」の略。平成十九年に設立。在日朝鮮人が、
他の外国人と比べて、さまざまな特権を持つことに反対する団体。

大東亜戦争・終結後、日本政府は在日朝鮮人に、基本的には
朝鮮半島へ帰還させる政策を取りました。けれど、あれこれの
理由で帰還せず、日本に残った者、六十数万人。

彼らは戦争まで日本人だったわけで、外国人扱いするのは忍びない、
という考えが共有され、在日は特別外国人として、日本で暮らし始めます。

平成三年には「特別永住」という制度ができ、在日は、ずっと日本に
滞在できるようになりました。戦後七十年になろうとする今、在日も三世、
四世の時代。日本で生まれ、育った彼ら。けれど日本国籍を取ろうとせず、
祖国は相変わらず、朝鮮半島。そんな彼らが、特別永住という特権を
持ってるのはオカシイという意見が出始めました。

その意見を最も先鋭に主張する団体が在特会。例えば、昨年、
地裁判決が出た京都の朝鮮学校。この朝鮮学校は隣接する児童公園を
勝手に不法占拠。朝礼台やサッカー・ゴールまで置いて、近隣住民が
使えないようにしました。朝鮮学校はこの児童公園で運動会も行い、
やりたい放題。役所は黙認。住民は何も言えませんでした。

そこに行動する保守、在特会が登場。不法占拠をやめろ、と叫び、
朝礼台やサッカー・ゴールを校門前に戻しました。そして拡声器を
使って、お決まりのヘイト・スピーチ。

これに対し、京都地裁は朝鮮学校の告発を認め、昨年、在特会に、
なんと千二百万円の支払いを命じる判決。いくらなんでも重すぎる、
となるところですが、メディアは、ほとんど取り上げませんでした。

あるいは京都・宇治のウトロ地区。ここでも、在日が戦後、不法占拠。
このケースでは、さすがに最高裁が退去を命じましたが、不法占拠は
今も続いてます。おばあさんが登場し「どかすなら、殺してくれ」と
泣き叫ぶシーンは、いかにも朝鮮半島。

ウトロ問題にも、最も本格的に切り込んでるのは、
やはり在特会。ある意味、彼らの存在は貴重。

とはいえ、そのヘイト・スピーチが過激。死ね、殺せ、スパイの子・・・
これだけで、彼らの主張に耳を塞ぐ日本人も多数。
損してると言わざるを得ません。

在特会のヘイト・スピーチに対し、半グレ在日がカウンター。新大久保で
何度も衝突事件が起きてます。その衝突が見世物と化し、
それ目当てに新大久保に行く人まで現れる始末。

行政の無責任、メディアの無視に比べ、行動を起こす在特会。
児童公園を不法占拠され、喜ぶ日本人もいません。心中で、彼らを
応援してる人もいるはず。けれど今のまま、ヘイト・スピーチを
続けるなら、在特会が広範な支持を得ることは難しいでしょう。

道
early summer

在日の団体

在日の団体は大きく二つ。韓国系の民団と北朝鮮系の総連。
民団は南麻布、総連は九段に大きな本部ビルを構えてます。
朝鮮学校も民団系、総連系に分かれます。

民団と総連は対立してるようでいて、共同事業を行うこともあります。
ちょうど韓国と北朝鮮が撃ち合いを始めたかと思えば、共同で
工業団地を運営したりするのと同じ。

九段にある総連本部ビルには数年前から売却問題がもちあがってます。
けれど一向に進みません。進展するかと思えば、奇妙な人物や団体が
登場し、そして消えていきます。総連本部ビル売却問題は闇が深く、
私も全貌を捉えることができません。

緑
dream

戦時中の朝鮮人・労務徴用

戦後、十五年経った昭和三十五年、日本の外務省は戦時中の朝鮮人・
労務徴用について史料を発表。それによると、対米戦が始まる前の
昭和十四年末、在日朝鮮人は百万人。この数は昭和二十年、
二百万人に膨れ上がってました。

戦争中の六年間で百万人、朝鮮半島から連れてこられたかのようにも
見えます。けれど、増えた百万人のうち、七十万人は自らの意志で
日本に渡航した人。そして、出生などによる自然増。

残り三十万人は、当時、需給が逼迫してた鉱工業、土木事業などの
募集に応募してきた人。個別渡航です。

国民徴用令によって、半島から連れてこられた人はごく僅か。
しかも、労務徴用された場合も、徴用令に定める賃金が支払われてます。
国民徴用令は朝鮮人だけでなく、日本人に等しく適用されました。
当時、朝鮮、台湾、満州は全て日本。

朝鮮からの労務徴用は当初、忌避され、他地域に比べて遅く始まりました。
昭和十九年九月のこと。昭和二十年三月に配船を打ち切ってますから、
実質、半年ほど。労務徴用された朝鮮人がごく僅かなのも、そのため。

そして終戦。内地にいた朝鮮人には半島に帰還したいと思う人もたくさん
いました。日本政府はそのような人のために、配船作業に入ります。
朝鮮人の軍関係者、労務徴用者は優先して帰還。

昭和二十年八月から昭和二十一年三月まで、半島に帰還した
朝鮮人は百四十万人。内地には六十万人を少し超える
朝鮮人が残りました。

昭和二十一年五月に発足した第一次・吉田内閣。GHQから、朝鮮人は
全員帰還させるように、という指令を受けてました。日本人にとっても、
国内に少数民族問題が発生するのは好ましくありません。

そこで、残った朝鮮人に希望調査を行います。すると大部分は
帰還したいと回答。担当者だった白洲次郎は、それに基づいて、
全員帰還の方向で作業に当たりました。

ところがその後、実際に帰還した朝鮮人は八万人ほど。残りは、
帰還したいという希望は出しながらも、二の足を踏みました。
日本政府が再三、帰還可能の通知を出したにもかかわらず。

この時点まで残った朝鮮人は、長く定住した人がほとんどで、
生活基盤を日本に置いてました。それを捨てて、今後どうなるか
分からない半島に帰還などできなかった、というのが実情でしょう。

もちろん、当時の日本には厳然として朝鮮人差別がありましたから、
居心地が良かったはずはありません。でもだからといって、
半島に何かあるわけでも、ありませんでした。

二の足を踏んだ彼ら。その直感は正しかったでしょう。まもなく朝鮮戦争が
勃発。半島では二百万人以上が命を落としました。生き延びたとしても、
その後、二十年ほど、特に南朝鮮では極貧状態。

労務徴用に話を戻しましょう。労務徴用された朝鮮人のうち、日本に
残ったのは二百四十五人。彼らも自らの意志で残ることを選びました。
在日朝鮮人は強制連行されて、帰れなくなり、しかたなく日本に残った、
という歴史観がどれほど間違ってるか、これで分かるでしょう。

外務省・史料は「犯罪者以外、日本政府が朝鮮人を国内にとどめた例は
一例もない」と結論。これが事実。しかも、こんな史料を見なくても、
在日年配者に聞けば、強制連行など、なかったことは、
たちどころに分かるはずです。

花
flowers

朴烈

戦前の大逆事件には四つあります。

明治四十三年の幸徳事件 大正十二年の朴烈事件
大正十二年の虎の門事件 昭和七年の桜田門事件

朴烈(ぼく れつ)は大正十二年、関東大震災が起きた直後、逮捕されます。
震災直後、在日朝鮮人に関する流言が飛び交い、その一環として、朴も逮捕。
ところが取り調べ中に、朴が天皇暗殺・計画を自白し始めたことから、
憲兵は仰天。大逆事件の扱いに。

無政府主義者だった朴。「革命家」を自称。当時の日本には、
大杉栄(おおすぎ さかえ)など無政府主義にかぶれるインテリが多く、
朴も在日ながら、その一人。大正十一年には日本共産党も設立。

当時、大逆罪で死は免れませんでした。朴も自白し始めた時点で、
死を覚悟。そばには日本人の愛人・金子文子(かねこ ふみこ)がいました。
朴と金子は無政府主義・運動で知り合い、愛人関係に。
二人ともヤケッパチ人生。

朴烈事件が奇妙な経緯を辿るのは、裁判が始まってから。
半ば死を覚悟した朴と金子に、恐れるものなどありません。しかも、
あろうことか、裁判の最中に、朴の膝に金子が座り、本を読むという、
赤裸々な写真が世間に流布。政治問題になりました。

野党だった立憲政友会。ここぞ、とばかり、民政党の第一次・若槻内閣を
批判。一体、大逆罪で拘留中の二人が、どうしてベタベタできたのか、
この写真を取ったのが、誰なのか、なぜ世間に流布したのか、今だに謎。
歴史が好きな人なら、この怪写真をどこかで見たことがあるでしょう。

大正十五年、恩赦により、朴と金子には減刑が言い渡され、無期懲役に。
革命家として死ぬつもりの二人は拍子抜け。金子は減刑書類を
看守の前で破り捨てたとか。

どうか私を、朴と一緒にギロチン台の上へ放り上げてくれ!

金子は、そんなことを言う日本人。もともと変わった女子。
朴とつきあい始めて無政府主義に目覚めます。身寄りない身だったため、
失うものもなく、死は常に身近。結局、彼女は刑務所で首を吊って自死。
その報を聞いた朴は無言でした。

朴は敗戦まで刑務所で過ごします。二十二年間も拘留されました。
この二十二年間で、血気の革命家は理性の人に変わってました。
当時、刑務所は革命家が勉強する場所。朴も必死で本を読み、
その過程で無政府主義、共産主義の恐ろしさを理解。
ゴチゴチの反共主義者となって刑務所から出てきました。

日本人が去った朝鮮半島は、共産主義の北朝鮮と、自由主義の南朝鮮に
分断。朴はもちろん、南朝鮮を支援。北朝鮮系の民鮮(後の朝鮮総連)に
対抗する形で、在日本・朝鮮居留民団(民団)を設立。初代・団長に就任。

やがて朝鮮戦争が勃発。朴は半島に渡ります。そこで北朝鮮軍に
捕らえられ、今度は再び共産主義者に転向。しかし、諜報員の嫌疑を
かけられ、消息が途絶えました。その後のことは、ハッキリ分かりません。

部屋
room

在日朝鮮人の「解放」

大東亜戦争・末期、日本内地にいた朝鮮人は二百万人。彼らは半島で
食い詰め、夢を託して日本に渡ってきた人たち。半島でも最貧の済州島・
出身者が多かったと言われてます。今も韓国人が在日朝鮮人
(チェイル・キョボ)を軽蔑するのは、そんな歴史的理由から。

戦後、日本を占領したGHQ。在日朝鮮人を日本軍国主義の犠牲者と定義。
GHQが彼らを「解放」したと発表。それがそのまま在日朝鮮人に、受け入れ
られました。しかも「解放」という言葉から、そもそも朝鮮人が日本に来たのは
「強制連行」されたから、というトンデモナイ勘違いが流布。

在日はもちろん、それが嘘だと知ってるのですが「強制連行された」と
大声で言えば、日本人が態度を和らげるのを見て、これは使える、
と悟りました。

同じ時期、GHQによって文字通り、解放された日本共産党の徳田球一、
志賀義雄。彼らは府中刑務所を出た後、GHQを「解放軍」と呼び、GHQ前で
「万歳」を叫びました。戦後・十年間、共産党は在日と行動を共にしたため、
在日の「解放」が共産党の「解放」と奇妙に通底し、
「強制連行」という嘘がますます浸透。

戦争時、半島に百万人を超える日本人がいましたが、敗戦により、
全員、帰還。同じことを在日もできたはず。特に第一次・吉田内閣は
GHQからの指令もあり、在日の半島帰還を進めました。帰還事業を
一手に引き受けたのが白洲次郎。

けれど二百万人いた在日のうち、帰還したのは百四十万人。
六十万人は日本に残りました。済州島・四三事件なども発生。
一度、半島に戻って、再び日本に帰ってくるケースも。

この六十万人が在日の始まり。彼らは強制連行されたわけでもないし、
戦後も自分の意志で、日本に残ることを選択。帰るチャンスはいくらでも
ありました。もちろん彼らの大半は、帰らなくてヨカッタと思ってるでしょう。

在日も三世、四世の時代。その三世、四世が「自分たちは八月十五日に
解放された」と平気で発言することには驚きです。そういう教育を
受けたか、知ってて、わざと言ってるのでしょう。

韓国、北朝鮮の国籍を手放そうとせず、名前もハングルのままで、
特別永住権を与えられ、日本の行政サービスを受ける三世、四世。
韓国、北朝鮮の男子なら、避けて通れない兵役も、彼らは免除。
そして「日本で選挙権がほしい。」どういうことでしょうか?

東京・北区、十条にある朝鮮学校に行けば「民族を愛し、祖国を心から
愛する愛国者になろう!」のスローガンがハングルで大書。三世、
四世になっても、彼らの祖国は朝鮮半島。日本ではありません。

緑もみじ
green

三国人

日本が大東亜戦争に敗れた後、在日朝鮮人に「自分たちは戦勝国」という
奇妙な錯覚が生じました。彼らは焼け野原になった駅前・一等地を
不法占拠。持ち主のいなくなった土地を勝手に占有。現在、
駅前にパチンコ屋が多いのも、その名残です。

各地で無許可の朝鮮人学校を設立。民族教育を始めました。
恐らくは日本人が朝鮮半島で三十六年間、支配層だったことの逆を
日本でやろうとしたのでしょう。

あまつさえ「無賃乗車・許可証」を勝手に作成。乗車料金も払わずに、
日本人乗客をどかして、電車に乗り込み始めました。

反日漫画「はだしのゲン」。あの漫画の戦後編でも「ドケ ドケ」と
日本人乗客を追い払う在日朝鮮人が登場。「はだしのゲン」で
そうなのだから、事実は押して知るべし。

もちろんGHQにとって、在日朝鮮人のこの動きは看過できないもの。
朝鮮は戦勝国ではない、という意味で「第三国」と呼ぶよう命令。
在日朝鮮人も「第三国人」あるいは「三国人」に。

ところが「朝鮮人」と同様に「三国人」も次第に差別の響きを帯び、
使用が憚(はばか)られるようになりました。石原慎太郎・衆議院議員が
都知事時代、ことあるごとに「三国人」と発言してたのは有名なこと。

二十一世紀に入り、在日朝鮮人も代替わり。石原議員はともかく、
これまでの経緯はどうあれ「三国人」という言葉を
今は使うべきではないでしょう。

野原
spring

血のメーデー事件

昭和二十五年・六月、突如、勃発した朝鮮戦争。当時、
在日朝鮮人の間には、北朝鮮を支持する動きが拡大。
「在日朝鮮・統一民族戦線」(民戦)の結成につながります。

当時の朝鮮戦争は、後のベトナム戦争のように見られてました。
小国・北朝鮮が大国・アメリカの横暴に抵抗してるというイメージ。
朝鮮戦争は韓国の北進から始まったというデマも流布。
民戦は支持を拡大します。

民戦に呼応したのが日本共産党。徳田球一、志賀義雄が
武力闘争を指導してた頃。彼らは民戦と一体となり、各地で
中核自衛隊、山村工作隊を組織。人民政府の樹立、
天皇制の打倒を目指しました。

そんな中で起きた血のメーデー事件。昭和二十七年・五月のメーデー。
日本が主権回復した三日後のこと。民戦と日本共産党が
外苑前でデモを組織。数千人が参加し、会場は
北朝鮮・国旗と赤旗で埋め尽くされました。

やがてデモ隊は皇居前広場に。ここで警官隊と衝突。
多くの負傷者を出す事件となり、革命前のような
騒然とした雰囲気が日本を覆います。

この事件によって、民戦は完全に人心を失い、昭和三十年に解散。
ここで朝鮮総連となり、以降、日本の政治運動には
全く関わらないと宣言。

一方、日本共産党も五カ月後の総選挙では五議席を全て喪失。
武力闘争・路線から議会制・民主主義へと舵を切る端緒となりました。

梅
ume

阪神教育闘争

在日朝鮮人は戦後すぐに在日朝鮮人連盟(朝連)を結成。
朝連は全国各地に無許可の朝鮮人学校を設立。
民族教育を始めます。言わば、日本国内の独立国。

当時はGHQ占領期。日本国内の独立国など許可できるはずもありません。
朝鮮人学校には閉鎖命令。日本人のための日本語教育を
行うべきという当たり前の命令が出されます。

ところが朝連がこの命令に反発。昭和二十三年・四月二十四日、
朝連が大阪と神戸で役所に殴り込みをかけるという、
トンデモナイ事件が発生。「阪神教育闘争」です。

GHQはこの事件に断固たる処罰で臨みます。すぐに「非常事態宣言」を発令。
GHQが非常事態を宣言したのは、この時が最初で最後。朝連には
解散命令が出され、翌・昭和二十四年、朝連は解散します。

梅
late February

文世光事件

大阪の在日だった文世光(ムン・セグァン)は朝鮮総連・
幹部から指示を受け、パク・ジョンヒ大統領の暗殺を画策。
北朝鮮が素晴らしい国だと、日本でも宣伝されてた頃。
1974年(昭和49年)のことです。

文は大阪の交番から拳銃を二丁盗み、日本人・女子をたらしこんで
彼女の夫のパスポートを手に入れ、それを使ってソウルに渡りました。

8月15日、南山・国立劇場で日本からの独立を祝う式典に、
パク・ジョンヒ大統領が夫人を同伴して登場。観衆に手を振ります。
劇場には日本人のフリをして紛れ込んだ文もいました。

大統領の演説が始まって間もなく、銃声が響きます。
大統領は軍経験から咄嗟に銃声と判断。演台の後ろに隠れて難を逃れます。
しかし文が撃った弾の一つが演壇に座ってた夫人に命中。

夫人は病院に運ばれ、数時間の手術を受けましたが絶命。
客席・前列に座ってた合唱団の女子高生も流れ弾で死亡。

文が取り押さえられ、夫人が病院に運ばれた後も、
パク大統領は平然と演説を続け、観衆から拍手を受けます。
やはり肝の据わった人でした。

当時は第二次・田中内閣。政府として、この事件に
関与しない立場を表明。二年前に日中国交・正常化を果たした
田中内閣にとって、反共の砦・韓国に肩入れすることは
できなかったのでしょう。

とはいえ、朝鮮総連を取り締まらず、非合法活動を続けさせ、
あまつさえ大統領・暗殺計画まで許してしまった日本政府に、
韓国人の怒りが爆発。「自作自演ではないのか」という
日本からの報道が火を注ぎました。

ソウルで大規模な反日デモが発生。日本大使館にデモ隊が乱入し、
大使館員が殴られ、ガラスが全て割られました。戦後、最初の反日デモ。

この事件は今、振り返っても、韓国人の主張に理があります。
現在の愚かな反日運動とは全く違う、まっとうなデモ。この時、
日本政府が同じ自由主義・陣営の一員として、迅速な対応を取ってれば、
その後の日韓関係も全く違ったものだったでしょう。

これ以降、1980年代の教科書問題、1990年代の慰安婦問題で、
日韓関係は悪化の一途。2000年代の韓流ブームが歴史を吹き飛ばすかと
一瞬、思われましたが、それも2010年代の領土問題で
あえなく、しぼんでしまいました。

北朝鮮はこの事件後、在日、あるいは日本人を工作員として使えば、
韓国を揺さぶるのに効果的と学習。そのための工作員として、
1970年代後半から、日本人拉致を本格的に実行し始めます。

緑の滴
green

北朝鮮・帰国事業

1959年(昭和34年)12月から始まりました。在日朝鮮人が
祖国・北朝鮮に帰国する事業。日本と北朝鮮は国交がないため、
両国の赤十字を通して、帰国事業が行われました。
1984年(昭和59年)まで二十五年間、続きます。

在日朝鮮人は圧倒的に韓国・出身者が多く、北朝鮮が「祖国」というのも
奇妙な話ですが、同じ朝鮮半島ということで、不問に付されました。

当時は岸内閣。「やっかい払い」の意味もありました。在日朝鮮人は
日本人からの差別もあって、なかなか就職できず、生活保護を
受ける者の割合が急増。その財政負担を減らす狙い。

「なべ底不況」により日本経済は停滞。高度経済成長は、
まだ始まってませんでした。何より十一万人もの在日朝鮮人が
「帰国」を熱望したため、それに応える意味がありました。
「早く北朝鮮に帰りたい」そんな集会が日本各地で開催されます。

北朝鮮は1950年代「千里馬」(チョンリマ)運動を通して、急速な工業化を
断行。日本統治時代、工業地帯の多くが北朝鮮にあったことも幸い。

一方、韓国はというと、朝鮮戦争の痛手から立ち直れず、
経済規模はアフリカ最貧国と同レベル。話になりませんでした。
今では信じられないことですが、北朝鮮が圧倒的に優位だったのです。

日本での朝鮮人差別。北朝鮮の工業力。そして輝ける社会主義の未来。
朝鮮総連だけでなく革新政党、大手メディア、進歩的文化人が
こぞって「地上の楽園」を謳いました。年配の人なら、
「北・讃美」の映像を憶えてることでしょう。

しかし新潟から船に乗り、いざ渡ってみると「永久の凍土」に帰国者たちは愕然。
船から見える景色だけで、みすぼらしさに心が震え、誰も船から
降りられなかったとか。一旦、船を降りてしまえば、それで終わり。
日本との連絡も取れず、永久に閉じ込められてしまいました。

九万三千名の帰国者。うち日本国籍者は七千名近く。夫が朝鮮人だったため
北朝鮮に渡った「日本人妻」は千八百名。残り五千名は彼らの子供でしょう。
在日朝鮮人が北朝鮮でどうなろうと、望んで行ったわけですから、同情の
余地はありません。けれど不憫なのは日本人妻、子供たちです。

最初だけ、金日成が「帰国者」を自ら出迎え、暖かく接しましたが、
じきに化けの皮がはがれます。日本人は最下層「成分」に入れられ、
周囲からの差別に苦しみます。暖かく穏やかな日本社会とは全く違う、
過酷な北朝鮮。そして朝鮮男・特有の家庭内暴力。

「日本に帰りたい」と呟いただけで密告され、管理所送りになることも。
日本人妻はまさに、この世の「地獄」を見ました。自殺した日本人妻も
多かったとか。脱北者の話から、その惨状がうっすらと伝えられてます。

朝鮮総連だけではありません。帰国事業を喧伝(けんでん)した革新政党、
大手メディア、進歩的文化人は今、日本人妻に道着的責任を
感じないのでしょうか? 彼女たちについて今、
一言もないとはどういうことでしょう?

日本人妻が現在、生きてたとしても七十~八十代。現在の日朝関係を
考えれば、彼女たちの日本帰国は、もはや絶望的です。

カタツムリ
snail

済州島・四三事件

在日朝鮮人の歴史を語る時、四三事件を抜きにすることはできません。
「よんさん じけん」と読みます。この事件は日本史では全く出て来ず、
韓国でも全く教えられてません。韓国社会の恥部に触れる微妙なテーマ。
彼らが触れたがらないのもムリありません。

とはいえ六十万人ともいわれる在日朝鮮人。しかも毎年、二万人ほど
帰化してますから、実数は確実に増加。彼らの歴史が四三事件にある
わけですから、私たちも視野に入れないわけにはいきません。

済州島(チェジュド)は歴史的に囚人・流刑地。ただでさえ貧しい
朝鮮半島の最下層。その島で食い詰めて日本に渡った者、二十万人。
日本統治時代のこと。彼らは故郷を捨て、日本に新天地を求めました。

ところが1945年(昭和20年)日本の敗戦。第一次・吉田内閣は清算の
意味も込めて、在日朝鮮人の半島帰還を促します。そこで活躍したのが
吉田の右腕だった白洲次郎(しらす じろう)。

それに伴い、済州島に帰った在日朝鮮人も少なからず。ところが
朝鮮半島は当時、日本が去った後の空白地帯。北の共産主義・勢力と
南の自由主義・勢力が反目。

そんなところに1948年(昭和23年)4月3日、済州島で大規模な
反政府運動が勃発。共産主義を掲げる武装隊があちこちで武装蜂起。
北朝鮮に呼応。

1948年8月に発足した大韓民国。李承晩は共産主義者に徹底的な粛清。
「予見拘束」といって、本人は何もしてなくても、身内の誰かに共産主義を
疑われる人物がいた場合、その罪を予見して拘束。そして銃殺。
いわゆる連座制。

粛清で命を落とした人は六万人とも八万人とも。粛清は残虐で、
とてもここで描ける内容ではありません。その残虐さはちょうど、
韓国人が現在、主張してる日本軍の残虐さそのまま。ここに、
私たち日本人が考えるヒントも含まれてるでしょう。

一旦、済州島に帰った在日朝鮮人は「こんな場所にいられない」とばかり、
命からがら日本に逃げ帰りました。そして日本に定着。1950年6月には、
朝鮮戦争が勃発。韓国政府軍と武装隊との戦闘に油を注ぎました。

韓国政府は「共産主義者」への粛清を続行。韓流ドラマを見てても、
当時に話が移ると、ホンの少しですが粛清シーンが出てきます。
今も完全に忘れられてるわけではありません。

在日朝鮮人の原点はこの四三事件。けれど日韓問題が浮上しても、
この事件はなぜかスルー。もっと光を当てるべき事件です。

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